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現代文の趣旨把握の仕方についての質問です。

私の持っているテキストの問題文の文章についてなのですが、 以下の現代文の文章(一部抜粋)の趣旨がどのように把握された(導かれた)のかが分かりません。 永い間人間の万能性を示すしるしとされていた科学が、私たち人間の生物的な生存の基盤そのものである生態系を知らない間に大規模に破壊していたことは文明の大きな逆説であるといっていいだろう。人間の有限性ということは昔からいわれてきたが、それは個体の生についてか、でなければ人間一般についてただ抽象的にいわれただけにすぎない。その点では、私たちの生存の場としての生態系が有限なものであると考える捉え方は、私たちの地球観と世界観とを大きく変えさずにはおかないのではなかろうか。 この文章の趣旨はテキストによると、 (近代)科学の考え方は生態系を破壊し、現在、その事態への反省が「地球観と世界観」の見直しをせまっている。(抜粋に当たり一部修正・割愛) となっていたのですが、 「現在、その事態への反省」の部分がどこから導かれたのかが、いまひとつ明瞭ではなく、 また、なぜ文章中の該当部が「現在、その事態への反省」と解釈され、そのように表現されているのかが分かりません。 ちなみに、私はこの「現在、その事態への反省」の部分は、 本文の「(科学が、・・・生態系を・・・破壊していたことは)文明の大きな逆説(である)」の箇所か あるいは「私たちの生存の場としての生態系が有限なものであると考える捉え方」の箇所か のいずれかが対応しているように思うのですが・・・どうでしょうか? また、今回の文章は問題文の一部抜粋であり、 抜粋直前の本文「(近代科学によって)・・・こわされたものや見えなくなったものは私たちの生活のとって身近かな、しかし欠くことができないもの、しかも残り少ない有限なものだからである。」 の具体部として論じられているという位置づけでの文章でした。 この直前の本文も関係あることは分かるのですが、 今回の文章(具体部)の中に、趣旨の「現在、その事態への反省が」の部分にあたる箇所が見当たらない場合、直前の本文が何か関係しているのでしょうか? いずれにせよ、 この「現在、その事態への反省が」の部分が問題文のどこに由来するのかが分かりません。 お知恵をお貸し下さい。宜しくお願い致します。

みんなの回答

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.3

筆者は、 「永い間人間の万能性を示すしるしとされていた科学が、私たち人間の生物的な生存の基盤そのものである生態系を知らない間に大規模に破壊していたことは文明の大きな逆説であるといっていいだろう。」 と述べています。 この場合の「逆説」とは、「ある命題から正しい推論によって導き出されているようにみえながら、結論で矛盾をはらむ命題。」という意味になるでしょう。 http://dic.yahoo.co.jp/detail?p=%E9%80%86%E8%AA%AC&stype=1&dtype=0 この意味に則って上記内容を解釈してみると、 「永い間、科学が人間の万能性を示すしるしであることは正しい推論によって導き出されているように見られてきたが、実は、その科学は結果的に、私たち人間の生物的な生存の基盤そのものである生態系を知らない間に大規模に破壊していた。これは、科学が万能性を示すしるしであるという命題に矛盾していると言っていいだろう。」 のようになると思います。 つまり、「科学は万能ではないと言っていいだろう」と述べていることになります。 これは、「その事態への反省」がなければ出てこない論述になると思います。   

w08A02587
質問者

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ご回答くださりありがとうございました。 参考になりました。

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回答No.2

「現在、その事態への反省」を《導かれた見解》と思うのですね。   『(永い間人間の万能性を示すしるしとされていた科学が、私たち人間の生物的な生存の基盤そのものである生態系を知らない間に大規模に破壊していた)ことは文明の大きな逆説であるといっていいだろう』の【文明の大きな逆説である】は、「逆説であると、現在はいっていいだろう」という《見解》の記載です。   テキストにある文章がややよくないと私には思えます。 【原文テキスト】(近代)科学の考え方は生態系を破壊し、現在、その事態への反省が「地球観と世界観」の見直しをせまっている。(抜粋に当たり一部修正・割愛) 【代替テキスト】近代科学が生態系を破壊していたという事態認識に基づく反省が、現在、「地球観と世界観」の見直しをせまっている。(抜粋に当たり一部修正・割愛) 上記の代替テキストように考えた上で原文テキストを読むと、「現在、その事態への反省」は「永い間人間の万能性を示すしるしとされていた科学が、私たち人間の生物的な生存の基盤そのものである生態系を知らない間に大規模に破壊していたことは文明の大きな逆説であるといっていいだろう」の文章意図を短く表現したものと理解できると思います。    ~~~~~~~ 蛇 足 ~~~~~~~   オリジナル原文が次のようなものであったすると、【テキストに示されている“この文章の要約”】はあまりよくないように思えます。 ~~~推定オリジナル原文~~~~ (近代科学によって)・・・こわされたものや見えなくなったものは私たちの生活のとって身近かな、しかし欠くことができないもの、しかも残り少ない有限なものだからである。永い間人間の万能性を示すしるしとされていた科学が、私たち人間の生物的な生存の基盤そのものである生態系を知らない間に大規模に破壊していたことは文明の大きな逆説であるといっていいだろう。人間の有限性ということは昔からいわれてきたが、それは個体の生についてか、でなければ人間一般について、ただ抽象的にいわれただけにすぎない。その点では、私たちの生存の場としての生態系が有限なものであると考える捉え方は、私たちの地球観と世界観とを大きく変えさずにはおかないのではなかろうか。 ~~~私が考える“推定オリジナル原文の要約”~~ 科学は適用次第で生態系を破壊することもある。それにも関わらず、近代科学は万能の印とだけ考えている人間は、気付かぬうちに大規模に生態系が破壊されたのを、文明の逆説とか科学の逆説だと思ってしまう(錯誤してしまう)。そうした人間も、個体だけでなく生態系も有限なものであると気付くことで、地球観と世界観、科学観を変えることがあるかもしれない。 ★★ 蛇足の蛇足 ★★ 原文には「地球観と世界観とを大きく変えさずにはおかない」とあります。しかし、文全体を考えると、科学は人間の万能性を示すしるしとされていたという「科学観」が変わるということも含んでいるハズなので、記載漏れを追加します。 原文は「科学」と「科学についてのイメージや評価」を用語的に区別してないです。また「逆説」の用語の使用法が誤っています。しかし、これが人間がしている誤解の端的な表現であるとすると、この言葉を変更しては要約にならないので、そのまま使います。 「変えさずにはおかないのではなかろうか」を「変えるべきだ」と要約することも可能です。それは原文の筆者のスタイルを見ないと判定できません。ただし、この原文はもともと人間は長期間誤解してきたという事実を挙げているのですから、今後も錯誤は基本的には続くと考え、多くの人間の中には何かに気付き世界観や科学観を変える人がいないとはいえないだろうという推定を述べているとして要約する方が妥当と思います。

w08A02587
質問者

お礼

ご回答くださりありがとうございます。 参考になるご助言ありがとうございました。 ただ、質問と回答の対応関係をより明確にして、ご回答いただきたかったです。 また、質問のどの部分にどのようにお答え下さったのかを明示してくださると、コミュニケーションがより円滑化して こちらとしても理解が早まり、より助かったのですが。 余計なことを言ってしまいました。申し訳ないです。 ありがとうございました。

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  • spring135
  • ベストアンサー率44% (1487/3332)
回答No.1

>ちなみに、私はこの「現在、その事態への反省」の部分は、 本文の「(科学が、・・・生態系を・・・破壊していたことは)文明の大きな逆説(である)」の箇所か あるいは「私たちの生存の場としての生態系が有限なものであると考える捉え方」の箇所か 違います。 正解は「私たちの地球観と世界観とを大きく変えさずにはおかない」の部分です。変えるのは反省があるからです。

w08A02587
質問者

お礼

ご回答くださりありがとうございました。 参考になりました。 簡潔明瞭にお答えくださりありがとうございました。

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