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源氏物語の翻訳について
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- A.Waleyの『 TALE OF GENJI 』(帚木 The Broom-Tree)の訳について、わからないところや訳の間違いについて教えてください。
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今晩は。梅から桃へ———人の心は移り気です。 いつも大変丁寧なお礼をありがとうございます。ご質問がツボにはまっていますので、英語が伸びている徴だと思います。 前回の補足:「サナダムシ文」は、どこで切れるともなくダラダラ続く長い文の意ですが、品のない言い方ですので、公の場で使われませんよう。「牛のヨダレ文」と言ってもいいでしょうが、これも品がないですね。誠に「文は人なり」ですね。 1)『 ”So it is in these trifling matters. And how much the more in judging of the human heart should we distrust all fashionable airs and graces, all tricks and smartness, learnt only to please the outward gaze! This I first understood some while ago, and if you will have patience with me I will tell you the story.” 』 >そんな具合に、それはこれらの些細な事柄の中にあります。そして人間の心を判断する中で、私たちは、どれほど多くなおさら、表面的な注視を楽しませるためだけに身につけられた、すべての社交界の気どり、すべての企みと抜け目のなさを疑わなければならないでしょう!私はこれを最初にいくらか少し前に理解しました。そしてもしあなたたちが私に忍耐を持つつもりなら、私はあなたたちにその物語を話すつもりです。・・・・・? ●最初の部分以外は完璧です。また最後の文では、if 節の中の will は「好意のwill」で、敬語的な機能を持っています。「もしあなたたちが私に忍耐を持ってくださるなら」という感じです。 >So it is in these trifling matters.・・「it」は前回の文の 2)の(they) hope their flourishes will be mistaken for genius.の部分ですか? ●倒置になっていて、it is so in these trifling matters ということで、it は「状況の it」でしょう。「こうした些細なことにおいて、(状況は)そのようです」 so は、人の目に媚びたものと本格的なものの間には違いがあるということを受けています。 >how much・・・・どれほど多く?これは「in judging of the human heart」にかかっているのではなく、「how much should we distrust~」の構造ですか? ●その通りです。 >the more・・・・なおさら? ●how much the more をひとまとまりで考えたほうがいいでしょう。こうした the を俗称「副詞の the」と言い、「その分」という意味を持ちます。どの分だけかと言いますと、「ささいなことについても(人気取りと本物の差に)注意しなければならない分」です。ですので、訳は、おっしゃるように、「なおさらいっそう」が適訳です。 >should we distrust ・・・・ここの「should」は当然の意を強調して「・・・しなければならない」という訳ですか? ●その通りです。 >learnt only to please the outward gaze・・・・これは「all fashionable airs and graces, all tricks and smartness」にかかる言葉ですか? ●その通りです。ここらあたりは見事な解析でした。 2)『 So saying, he came and sat a little closer to them, and Genji woke up. To no Chujo, in rapt attention, was sitting with his cheek propped upon his hand. Uma no Kami's whole speech that night was indeed very much like a chaplain's sermon about the ways of the world, and was rather absurd. 』 >そのように言って、彼(馬頭)は来て、そして彼らにもう少し詰めて座りました。そして源氏は目を覚ましました。頭中将は、心を奪われた注目の状態で、彼 は頬杖をついて座っているところでした。馬頭のその夜のすべての話は、実に法師の世の習いについての説教と同様でした。そしてむしろこっけいでした。・・・・・・? ●完璧です。a little closer to them は came にも掛かっているでしょうから、「彼(馬頭)は、彼らにもう少し近いところに来て座りました」のほうがいいでしょう。 >in rapt attention,・・・・「in」は「~の状態で」の意味でしょうか? ●その通りです。 >absurd・・・・こっけい? ●その通りです。仏教者が世俗的なことについて説教を垂れるのは筋違いですので。(たとえば、高僧が、「妾は3人までにするがよかろう」とか言うと滑稽ですね。) 3)『 But upon such occasions as this we are easily led on into discussing our own ideas and most private secrets without the least reserve. ”It happened when I was young, and in an even more humble position than I am today,” Uma no Kami continued. 』 >しかしこのような場合、私たち自身の考えと、最も私的な秘密を、少しの準備なしで議論することに、私たちはたやすく誘惑されます。「私が若く、そして今日(こんにち)あるより更にもっと身分が低かった時、それは起こりました。」馬頭は続けました・・・・・・? ●reserveは「遠慮」です。それ以外は完璧です。 >upon such occasions as this・・・「this」は雨の降る夜、仲の良い者同士で話している状態を指しているのでしょうか? ●そうだと思います。雨に降りこめられた3人の色男の間の心理的 chemistry ですね。ついつい、隠しておくべきことまで、魔がさしたように、話してしまう心理… >without the least reserve・・・少しの準備なしに(議論する)、というのは、その場の思いつきで話す、ということですか? ●上述したように「少しの遠慮もなく」ですから、「きわめてあけすけに」ということになります。 >1)で言っていることはこれもまた現代に通じることのように思われます。 ●普遍的なことなのでしょうね。「見せかけだけの誠」に引っかからず「本物の誠」を見極めなければならないわけですが、どうもわれわれは失敗しますね。左馬頭の論理は少しおかしくなっていて、本当は、逆接、すなわち、「モノの真贋を見分けるのは比較的簡単【だが】人の心の真贋を見分けるのは難しい」と言わなければならないところです。ちょっと余計な例え話のつけすぎで、紫式部はそれを滑稽に描いていると思います。光源氏がうたた寝するわけですね。 ************************* 《余談》annus mirabilis たる1922年 → 1920年代のパリ → 岩田豊雄 → 文学座 → 久保田万太郎 と、とどまるところをしらない脱線の与太話でしたが、ここで心を改め(?)、1922年に戻りましょう。しかしその前に、少しイプセンに触れておきたいと思います。(また脱線です!) 実は日本の新劇の発展には2人のお手本があり、1人がシェイクスピアで、もう1人がイプセンでした。ノルウェー人ですが、西洋演劇中興の祖と言って過言ではないでしょう。 ところで演劇の「三一致の法則」というのをご存知ですか?古代ギリシャ演劇ではこれが遵守されていたのですが、しだいに無視されるようになり、シェイクスピアも無視しています。イプセンはこれを復活させ、起爆力のある近代演劇を考案したのです。(つづく)
お礼
今晩は。季節は巡ってまた梅を愛でることでしょう。 いつも大変丁寧に回答をしてくださってありがとうございます。 ツボにはまっているのかはまっていないのか自分では気付いていないのですが・・・ 「サナダムシ文」は、どこで切れるともなくダラダラ続く長い文の意、とのことですが、 ちょっと勘違いして捉えていた感じです。「牛のヨダレ文」の方がよりわかりやすいですが、 ユーモアと解釈させていただきますね。(笑) if 節の中の will は「好意のwill」ということで、訳にきれいにはまりますね。 So it is in these trifling matters.・・「it」は「状況のit」なのですね。 (割と「状況のit」がよく出てきているような気がします。) 「it is so ~」という倒置ということを教えていただいてすっきり理解できました。 「こうした些細なことにおいて、人の目に媚びたものと本格的なものの間には違いがある」という ことでしょうか。 「how much the more 」で何かイディオムがあるのかと思ったのですが、 なかったので、どう訳そうかいろいろ考えました。 「the more」で辞書を見ると「the more・・・because」(・・・だからなおさら・・) や「the more・・・the more・・」(・・・すればするほどますます) という形で載っていたので、この場合にうまくあてはめられず、 結局でも「なおさら」という訳を使いました。 (moreで調べていましたが、theで調べるとよかったですね) 副詞の「the」は桐壺の「the more senseless,the more unendurable ~」で出てきていましたね。 「the」に「副詞」の「その分」という意味があるのをもう一度頭に入れたいと思います。 「learnt」が過去分詞だと思ったので「all fashionable airs and graces, all tricks and smartness」にかかっているのかと思いました。 2)は「came and sat 」とひとくくりにしようか、「and」で一旦切ろうか考えましたが 「a little closer to them 」が両方(cameとsat) にかかっているのですね。 「 a little closer to ~」は「もう少し近いところに」ですね。 「法師の世の習いについての説教」の意味を解説してくださってありがとうございます。 普通に、法師が世の習いについて説教するのと同じ様に、馬頭は話したのだなと、 あまりひっかからずに読んでしまいましたが、説明をいただいて「こっけいさ」がわかりました。 「the ways of the world」を「世俗的なこと」ですね。 3)の「reserve」は「遠慮」だったのですね。辞書をよく読んでいくと「遠慮」「控え目」「自制」 などがでてきますね。一つの単語でも全然違う意味を持っているのは不思議なところです。 「without the least reserve」で「きわめてあけすけに」ですね。 chemistry・・・化学反応? 雨が降る夜というのは何かそういう演出効果があるのかもしれませんね。 「見せかけだけの誠」に引っかかると人間は、「本物の誠」を見極められるようになる気がします。 左馬頭もいろいろ惑わされて論理の筋が立たなくなってしまったのでしょうか。 光源氏も身を入れて聞くべきところとそうではないところを心得ている感じですね。 ******************************** 脱線(?)しながら停車した駅でガイドブックをいろいろ手に入れました。 イプセンについてですが、私は『人形の家』の作者ぐらいのことしか知識がありません。 (実際読んではいません) 「西洋演劇中興の祖」なのですね。 「三一致の法則」というのは初めてお聞きしました。 (インターネットで調べてみました。) その三つとは「時の単一」「場の単一」「筋の単一」のことですね? そんな法則があったのですね。 この法則を復活させて「起爆力のある近代演劇を考案した」とのことですが 具体的にどういうことなのか知りたいです。 ************************************ 前回紹介してくださった相馬黒光の『黙移』を読みました。 とてもていねいな美しい日本語で書かれていますね。 「中村屋」の話が中心なのかと思いましたが、物騒な事件に巻き込まれたりして 大変な人生を送られた方だったのですね。 (お子さんを5人も亡くされた事や実のお姉さんの事も大変でした) (少し前に有島武郎の『或る女』を読んだのですが、黒光の従姉妹にあたる「信子」がモデルに なっていたことがわかって興味深かったです。) 島崎藤村の『春』を読むと更に実際にいた人物たちのことがわかりそうですね。 (金曜日にまた投稿します)