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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:肝硬変末期の父。もう死期が近いのに転院を迫られ…2)

肝硬変末期の父。もう死期が近いのに転院を迫られ…

papanda26の回答

  • papanda26
  • ベストアンサー率40% (407/1002)
回答No.6

お父様、余命宣告されたのですね。 それでは転院どころではないですよね。。 またしばらく緊張状態が続くかと思います。 こんな時くらい、家事は奥様にお願いしましょう! そういう時に助け合うのが家族なんですから。甘えてくださいね。 大変な時ですから、お礼は結構です。

noname#215716
質問者

お礼

ありがとうございました。 父の余命が「1週間」と宣告されました。 また、このカテゴリ:「家族」の欄で質問させて貰います。 どうか、よろしくお願いします。 m(_ _"m)

noname#215716
質問者

補足

申し訳ありません… 明日の晩ご飯、さっき作って、疲れました… また、時間のあるときに、お礼させて貰います。  m(_ _"m)

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  • 肝硬変末期の父なのに…行くのか行かないのか?

    この質問サイトで、このような使い方をしていて良いのか分かりませんが…、 たまらなく、とても精神的に不安定な状態になってしまったので、 昨日も投稿しましたが、また投稿しています。 お気を悪くされた方には心からお詫びします。 まず、父の病状を、コピーと貼り付けします。m(_ _"m) 71歳の父は、C型肝炎から肝硬変、肝臓癌となり、 年末から腹水がたまり、足も腫れて、仕事も辞めました。 そして、とうとう 2月1日、肝性脳症で風呂場で倒れ、緊急入院 私と母が交代で毎日、腹水で食欲のない父の食事の世話等で通い始めました。 でも、まだ元気そうに見えました… 2月16日、1回目の腹水を抜き、 2月18日、食道静脈瘤破裂で吐血… 個室に移される… この日以後、家族、私と母と弟は一変しました。 もちろん父も、素人の誰が見ても、もう末期的にしか見えません 母は病院に泊まり込み、私は母のサポートで1日病院に、 弟は東京から週末ごとに帰省します。  もちろん父も、素人の誰が見ても、もう末期的にしか見えません。 食道からの吐血なので、固形物は食べられず、 点滴と水だけ… 腹水でお腹がパンパンなので、 水を飲みたがりますが、飲むと腹水を圧迫して苦しみます。 3月2日、とうとう2回目の腹水を抜きました… 体力が落ちることが分かっていて。 腹水を抜いて、私と母に冗談を飛ばすように、よく喋るようになりましたが、 それも3日後ぐらいから、腹水が元の状態にもどり、 昼間でも寝ている時間がかなり長いです。 でも、3時間ほど毎に、「み、水、飲ませてくれ・・・」 と言うので、家族はとても看護師さんだけに任せる訳にはいきません。 以上、貼り付け。 今日は、妻は職場の送別会で居なく、こういう時は、子供2人は、 すぐ近くの妻の実家で義母に晩ご飯を食べさせてもらいます。 ですから、私は料理をする必要もなく、また1人で晩ご飯を食べないといけません。 今日は、朝に火曜と金曜のスーパーの特売日で、買い物に行って、 父のところに行けるのに、なぜか「今日は休もう」と思ってまだ行っていません。 なぜか?「行きたいのに行ったらいけない!?」という精神状態になっています。 車で20~30分の病院なのに。 昨日が忙しさに、疲れ果ててしまい、今日、家でゆっくりしていると、 急に、「父に会いたい。会わないといけない。」、 でも、「病院に行っても、母が休める訳ではない」 という思いが両方出て、鬱になりかけに近い状態です… 今日、行かなければ、1人で寝て1日を過ごして鬱になるパターンです。 今から、何とか行こうと思っています… でも、この忙しいのに?、ホワイトデーのお返しを買わないと、とか、 ジーンズが破れたから、ユニクロでジーパン買わないととか、 どうでも良いことが考えに入ってきています。 母も、この忙しい時に、毎年している卒業式の女子学生の「はかま」の「着付け」 のレンタルと事務的処理の仕事をしています。 2週間後の実施日まで準備があります。 私と同じで何かチグハグというか、17年前の阪神淡路震災の時と同じようなことをしています… 今朝、母と電話で話しました。 どうして休めないのか。 2週間、休まず泊まり込むのか? 弟が帰って来たら、土日は看護師さんが多いから家に休みに帰る。と言い。 父の部屋は個室です。 もちろん個室料金は払います。 簡易ベッド、トイレ、お風呂、あります。 2週間、母さん、仕事持っているのに、家に帰らず、 それは、この2週間が父さんの山場なんか? ちがうわよ! そんなん、医師にも分からない! と、私も、考えに訳が分からない状態… 東京に居る、父に会いたくても会えない弟のことを気にしてか? 疲れるから、たまには休まないといけない? でも、すぐ会えるから会いたい! ホワイトデー?ジーンズ? もう、パニックです・・・・・・・・・・ 鬱病の私は、20年診て貰っている、心理士のカウンセリングがありますが、 それも行けません。 すみません、訳が分からない質問ですね。 行くのか?行かないのか? 行きたければ、行けばいいじゃないか! そんなことも解っていません… ほんとうに、申し訳ありません。 何かしていないと、精神がもたない状態です… 疲れても、何かしてないともたない。 母の気持ちも解る気がします。 本当に気を悪くされましたなら、申し訳ありません。 申し訳ありません。

  • 肝硬変末期で死期の近い父と、現実を直視できない弟が

    もともと、C型肝炎に感染させられていた父(71歳)は、 C型肝炎が17年前に発症し、インターフェロンの治療を受けましたが、完治せず、 C型肝炎から肝硬変→肝臓癌、食道静脈瘤の手術を数回、受けて、 とうとう、2月1日、肝性脳症のため風呂場で倒れ、緊急入院し、 腹水でお腹が妊婦さんのようにパンパンに腫れ、両足もむくみ、 毎日、父の病院に通い、昼から来る母と交代で看ていました。 腹水のせいで、食欲が無く、でも私が父の口に運んで何とか半分食べてくれていました。 2月15日、1回目の腹水を針で抜いて、食欲も出てきて、 回復に向かうと思っていた矢先の 2月18日、食道静脈瘤が破裂して、吐血、 6人部屋から個室に移されました。 その日だけ、父の見舞いを休んでいた私(42歳の息子です)は、 次の日、個室に移された父の顔色を見て愕然としてしまいました。 まるで血の気が無く、土色のようになった顔色の父は今まで見たことのない父でした… 酸素チューブと点滴のチューブに繋がれ、心電図の電極を貼られた父の姿を見た時、 見てはいけないものを見てしまったという感じと、 父がもうすぐ逝ってしまうと直感的に悟りました。 それまで、こういうサイトを見つけたりして、父の回復を探していましたが、 http://www.kanen.ncgm.go.jp/forcomedi_cir.html 病院の主治医によると、上のサイトで、「腹水穿刺排液」の後の処置は、 「腹水濃縮再静注法」と書いてあったので、弟がこの治療法を試せませんか!? と医師に詰め寄りましたが、90年代に、この処置が効果的でないという結果がでており、 現在の父の状態は、危険因子が3つ、 ・ 肝硬変 ・ 腹水 ・ 食道静脈瘤が今度破裂すると「致命的」 と、私たち家族には絶望的な説明に終わりました・・・・・ 私も母も「弟」も、1年前に父が3回目の肝臓癌の手術した時に、 「ある程度の覚悟」を決めていたと思っていました。 父は、お酒が大好きで、意識が無くなるまで、とことん飲んでいました。 C型肝炎が完治しなかった時も、肝臓癌が発症した時も、 「酒を断つ」ことは一切しませんでした。 外から見れば、「命を削っても、酒を飲んでいるようなもの」、でした。 「自業自得」と言えばそれまでですが… しかし、20歳前に、「うつ病=抑鬱神経症」になった私には、父の酒の意味が伝わります・・・ 大学受験に失敗し、就職もしなかった、うつ病の私は常に希死念慮から逃れられません。 「どうせ、こんな自分だから」と自分を卑下し、自分の人生に意味は無い。 と、どう考えても、考えても、行き着く先は、「自分の人生に意味は無い」になります。 今は、2人の娘がいますが、妻の扶養家族になって、 「主夫」として生きるしか「生きる術」がありません。  けっこう惨めなモノです… でも、娘が産まれてから、自分が親だから、惨めでも生きないと… 惨めな人生でも、娘のために、買い物して、料理して、 情けないヤツでも、嫁さんに養ってもらっていても、「体裁なんかどうでもいい!」 って自分の人生のプライドを捨てて、開き直りました。  こうなると、けっこう「楽」なものです。 一方で、父は、父で、挫折を味わってきました。 M菱電機と言えば、誰でも分かる、家電メーカーです。 そこで、60年代にテレビの研究職として働き始めた父も、 M菱に集まった有能な人材には勝てず、事務畑の方に追いやられました。 また祖父(父の父)が戦後、裸の身から一財産を作ったことを考えれば、 父の挫折は、会社の中だけでは無いのかと思います… 父のことは私の憶測までですので、確かなことは聞いていませんし、 そんなこと(挫折)を話す父ではありません。 しかし、弟は違うと思うんです。 私と同じ公立の進学高校を出て、1年浪人しても、国立のK大学に入り、 サッカー部の主将をし、「地所」と言えば誰でも分かる「M菱地所」に入り、 高校から付き合っていた彼女が奥さんになり、平和な家庭を持っています。 私も弟の経歴に「ひがんだ」時もありました。 正直に言うと。 弟は私と違って、優しいヤツです。 しかし、今、父の死を前に、弟が危険なんです。 父が入院してから、東京に居る弟は飛んで帰って来ました。 それからも、大阪に出張があれば、実家に泊まって、 母が病院に泊まり込めば、病院に泊まって、父の看病をします。 私宛のメールに、 「兄ちゃん、父さんは腹水が苦しいかも知れないけど、腹水を抜いたら体力が落ちるから、  腹水はこのままで、食欲が出るようになって、繊維質のものを食べれば、  アンモニアも体から出て、肝性脳症が防げると思うんだ。  だから、母さんと兄ちゃんで看病して貰って、父さんの回復を気長に待とうよ。」   と… 母も、さすがに、これには心配しています。 私も同じです。 弟は医師の説明を一緒に聞いた、父の水しか飲めない姿を見た。 水を飲んで、腹水を圧迫し苦しむ父の姿を見たはずなのに・・・・ 「現実」が見えていないのか????? 「現実」を直視しようと出来ないのか…????? 大学を出てから、実家を出て東京に行った弟です。 東京で家庭を持った弟です。 私は実家から車で5分の所に住み、毎週のように孫を連れて父の所に行きました。 一緒に食事をし、娘たちを遊んで貰い… そういう父の思い出が、私には多々あります。 しかし、東京に居る弟には「無い」。 私は、父には本当に、「今まで十分に生きてくれた」と思えています。 でも、弟は東京と神戸という「距離」が、 「父との想い出」、みたいなものを不足させたのかと… それとも、幼少期の根源的な「父子の触れ合い」が不足しているのか… 私が長男で、弟が次男で、私が父の愛情を弟より多く受けたのか??? とにかく、71歳と平均寿命より早く逝ってしまう父を前に、 健気な、楽観的な、メールを送ってくる弟が心配で堪りません。 母は「時間が解決する、時間があの子に教えてくれる」と言いますが… 私が20歳の時、「鬱」で「廃人」のようになった経験を、 39歳の今の弟にさせたくないんです。 父はもう長くありません。 父の最期の前に、私から弟に無理にでも解らせないといけないのでしょうか???

  • 肝硬変末期で死期の近い父と、現実を直視できない弟

    もともと、C型肝炎に感染させられていた父(71歳)は、 C型肝炎が17年前に発症し、インターフェロンの治療を受けましたが、完治せず、 C型肝炎から肝硬変→肝臓癌、食道静脈瘤の手術を数回、受けて、 とうとう、2月1日、肝性脳症のため風呂場で倒れ、緊急入院し、 腹水でお腹が妊婦さんのようにパンパンに腫れ、両足もむくみ、 毎日、父の病院に通い、昼から来る母と交代で看ていました。 腹水のせいで、食欲が無く、でも私が父の口に運んで何とか半分食べてくれていました。 2月15日、1回目の腹水を針で抜いて、食欲も出てきて、 回復に向かうと思っていた矢先の 2月18日、食道静脈瘤が破裂して、吐血、 6人部屋から個室に移されました。 その日だけ、父の見舞いを休んでいた私(42歳の息子です)は、 次の日、個室に移された父の顔色を見て愕然としてしまいました。 まるで血の気が無く、土色のようになった顔色の父は今まで見たことのない父でした… 酸素チューブと点滴のチューブに繋がれ、心電図の電極を貼られた父の姿を見た時、 見てはいけないものを見てしまったという感じと、 父がもうすぐ逝ってしまうと直感的に悟りました。 それまで、こういうサイトを見つけたりして、父の回復を探していましたが、 http://www.kanen.ncgm.go.jp/forcomedi_cir.html 病院の主治医によると、上のサイトで、「腹水穿刺排液」の後の処置は、 「腹水濃縮再静注法」と書いてあったので、弟がこの治療法を試せませんか!? と医師に詰め寄りましたが、90年代に、この処置が効果的でないという結果がでており、 現在の父の状態は、危険因子が3つ、 ・ 肝硬変 ・ 腹水 ・ 食道静脈瘤が今度破裂すると「致命的」 と、私たち家族には絶望的な説明に終わりました・・・・・ 私も母も「弟」も、1年前に父が3回目の肝臓癌の手術した時に、 「ある程度の覚悟」を決めていたと思っていました。 父は、お酒が大好きで、意識が無くなるまで、とことん飲んでいました。 C型肝炎が完治しなかった時も、肝臓癌が発症した時も、 「酒を断つ」ことは一切しませんでした。 外から見れば、「命を削っても、酒を飲んでいるようなもの」、でした。 「自業自得」と言えばそれまでですが… しかし、20歳前に、「うつ病=抑鬱神経症」になった私には、父の酒の意味が伝わります・・・ 大学受験に失敗し、就職もしなかった、うつ病の私は常に希死念慮から逃れられません。 「どうせ、こんな自分だから」と自分を卑下し、自分の人生に意味は無い。 と、どう考えても、考えても、行き着く先は、「自分の人生に意味は無い」になります。 今は、2人の娘がいますが、妻の扶養家族になって、 「主夫」として生きるしか「生きる術」がありません。  けっこう惨めなモノです… でも、娘が産まれてから、自分が親だから、惨めでも生きないと… 惨めな人生でも、娘のために、買い物して、料理して、 情けないヤツでも、嫁さんに養ってもらっていても、「体裁なんかどうでもいい!」 って自分の人生のプライドを捨てて、開き直りました。  こうなると、けっこう「楽」なものです。 一方で、父は、父で、挫折を味わってきました。 M菱電機と言えば、誰でも分かる、家電メーカーです。 そこで、60年代にテレビの研究職として働き始めた父も、 M菱に集まった有能な人材には勝てず、事務畑の方に追いやられました。 また祖父(父の父)が戦後、裸の身から一財産を作ったことを考えれば、 父の挫折は、会社の中だけでは無いのかと思います… 父のことは私の憶測までですので、確かなことは聞いていませんし、 そんなこと(挫折)を話す父ではありません。 しかし、弟は違うと思うんです。 私と同じ公立の進学高校を出て、1年浪人しても、国立のK大学に入り、 サッカー部の主将をし、「地所」と言えば誰でも分かる「M菱地所」に入り、 高校から付き合っていた彼女が奥さんになり、平和な家庭を持っています。 私も弟の経歴に「ひがんだ」時もありました。 正直に言うと。 弟は私と違って、優しいヤツです。 しかし、今、父の死を前に、弟が危険なんです。 父が入院してから、東京に居る弟は飛んで帰って来ました。 それからも、大阪に出張があれば、実家に泊まって、 母が病院に泊まり込めば、病院に泊まって、父の看病をします。 私宛のメールに、 「兄ちゃん、父さんは腹水が苦しいかも知れないけど、腹水を抜いたら体力が落ちるから、  腹水はこのままで、食欲が出るようになって、繊維質のものを食べれば、  アンモニアも体から出て、肝性脳症が防げると思うんだ。  だから、母さんと兄ちゃんで看病して貰って、父さんの回復を気長に待とうよ。」   と… 母も、さすがに、これには心配しています。 私も同じです。 弟は医師の説明を一緒に聞いた、父の水しか飲めない姿を見た。 水を飲んで、腹水を圧迫し苦しむ父の姿を見たはずなのに・・・・ 「現実」が見えていないのか????? 「現実」を直視しようと出来ないのか…????? 大学を出てから、実家を出て東京に行った弟です。 東京で家庭を持った弟です。 私は実家から車で5分の所に住み、毎週のように孫を連れて父の所に行きました。 一緒に食事をし、娘たちを遊んで貰い… そういう父の思い出が、私には多々あります。 しかし、東京に居る弟には「無い」。 私は、父には本当に、「今まで十分に生きてくれた」と思えています。 でも、弟は東京と神戸という「距離」が、 「父との想い出」、みたいなものを不足させたのかと… それとも、幼少期の根源的な「父子の触れ合い」が不足しているのか… 私が長男で、弟が次男で、私が父の愛情を弟より多く受けたのか??? とにかく、71歳と平均寿命より早く逝ってしまう父を前に、 健気な、楽観的な、メールを送ってくる弟が心配で堪りません。 母は「時間が解決する、時間があの子に教えてくれる」と言いますが… 私が20歳の時、「鬱」で「廃人」のようになった経験を、 39歳の今の弟にさせたくないんです。 父はもう長くありません。 父の最期の前に、私から弟に無理にでも解らせないといけないのでしょうか??? いま39歳で、会社も家庭も順風な弟を「廃人」のようにさせたくないのです…

  • 肝硬変末期の父はこんな状態でも生きないと…?

    何度も投稿している者です。 昨日、父の主治医から初めて説明を受けました。 危険因子は3つ。 ・ 食道静脈瘤:今度、2回目の破裂をすると致命的に… ・ 肝硬変 ・ 腹水 私は42歳の男性ですが、 この医師が私より若く30歳代のように見えたからではなく、 この医師の説明が全く意味不明にしか思えませんでした。 素人に理解不可能な説明が続きました。 塾の講師をする私から見れば、家族に理解・納得させる気が無いんです。 まあ、こんな医者はどうでもいいんですが。 昨日、今日と、母がいったん家に帰って、お風呂をし、 私と父で、父の個室に居る時間が長くなりました。 父は、「み、み、水をくれ・・・」と言います。 私は、水を飲んだら腹水がさらに貯まって、父が苦しくなるから、 「ゆっくりな、時間かけて飲もう、父さん…」 と言って飲ましても、100mlの吸い飲みをすぐに空にしてしまいます。 父は、「も、もっと、水くれ・・・」と言います。 仕方なく父の希望に添うように 1時間ほどかけて700~800mlの水を飲ませてしまいました… それからが、ちょっとした地獄でした。 飲んだ水で、腹水を圧迫したのか、父が苦しみだし、 「押してくれ」 「何を?何を?」 「な、な、ナースコール」 「ええんか?押してええんか?」 「いや、待ってくれ・・・」 を3回繰り返し。 ようやく、父が寝てくれたので、とりあえず外の風に当たろうと、病院の外へ。 部屋に戻ると、父は苦しんでいました・・・ 「しんどい~、しんどい~、しんどい~」と言うだけ… 私はさすがにヘトヘトになって、 父の顔を見ることも出来ず、 「しんどいなぁ~!、しんどいなぁ~!」 「でも、父さん、今まで、しんどいこといっぱいしてきたやんかぁ~!」 「会社でもしんどかったやろ~!」 って言うだけ… 辛かった・・・・ 「看取るというの辛さ」というのが初めて理解できました。 胃ガンや肺ガンの末期の方が「痛い」と言うと聞きます。 父は肝臓癌もありますが、転移もなく、小さいままで、 腹水の「苦しみ」が堪らないんだと思います。 「虫の息」と言いますが、まさに今の父は「虫の息」です。 人は、ここまで苦しんで、憔悴しきってからで、死なないといけないんですか????? 確かに、犬や猫と違うから、安易に他人が死をもたらすことは出来ません。 でも、もう父は十分に私たちの為に生きてくれました。 昨日、今日、と溜まらず私は、 「父さん、しんどいな~、ありがとうな~、ここまで生きてくれて、ありがとうな~」 って、何度も何度も繰り返し言いました。 私も辛くて憔悴しきっています。 母は、泊まり込んで1人で父を看ています。 母の方が・・・・・ もう私には十分です。 ここまで生きてくれて、ありがとう。 ここまで生きてくれて、おつかれさまでした。 心の準備はしてきました。 父はもうお腹以外は、骨と皮だけです。 酸素チューブと点滴のチューブ、 ただの延命? 私には苦しみをいつまで父に与え続けるのかと思ってしまいます。

  • 肝硬変末期の父 主治医の判断

    もともと糖尿病(アルコール性)で、毎月1回町医者に健診に行っていた父が、去年の10月までは普通に生活していたのですが、急激に腹水が溜まり、体重が15キロも増え足もむくんで歩くのもやっとになってしまいました。父は母と生活しており、母も脳出血で右半身付随になっており、ほとんど歩けない状態なので、父が頼りと言うような生活をしておりました。救いは隣の家に姉夫婦が住んでいて、現在は7割同居しながら親の面倒をみてくれています。私は離れたところに住んでいて主人と3歳の子供と3人暮らしで仕事をしています。父と町医者の主治医は、もう10年以上の付き合いで、友達のような関係です。その主治医は、こんな父の状態を診て「お酒やめれば治るから」と言っているばかりなので、大きい病院に行くことを私だけが年末から訴えていました。(みんな主治医の言葉を信じるばかりで受け入れてもらえず)先週姉夫婦も、さすがに日々衰弱していく父を見ていて辛くなり、主治医の先生に紹介状を書いて貰いたいと言ったら、もう1年持たず手の施しようがないから無理に大きい病院に入れず家族の中で逝かせてあげた方がいいと言われてみんな困惑していましたが、姉夫婦もその方がいいと思ってしまっています。私は毎週末帰って父に大きい病院に行く事を勧めていて父も辛いので入院してもいいと言っています。しかし姉夫婦は1杯しか飲めないけど好きなお酒を飲んで幸せに逝ってほしいと考えていて、連れていく気はもうないのです。主治医はお腹が大きくなってから、1度もお腹を触っても診てくれていないようで、このまま大きい病院で1度も検査しないまま死なせていいものかと私と主人は思っているのですが、姉夫婦の説得が難しい状況です。実際介護しているのは姉夫婦ですし、遠い空から口出しするなと言われてしまいます。1日1日が心配でしょうがありません。どうしたら良いのかわからなくなってきてしまいました。

  • 肝硬変末期の父が余命1週間と宣告されました…

    よろしくお願いします。 もし出来れば、医療関係の方のアドバイスを求めています まず、私は匿名ですが、「nao913」です。 質問履歴を公開にしています。 このカテゴリ:「家族」の欄で、何度も投稿しています。 父の病状については、 http://okwave.jp/qa/q7973280.html を参考にしてください。 さて、一昨日、母が主治医から余命1週間と宣告されました。 尿の量が減っているな、と思っていましたが、 肝硬変末期の上に「腎不全」が来たみたいです…… 人工透析が1週間できなければ、どうなるか素人でも解りますね…… 今の父に人工透析をしても意味が無いことも素人でも解ります。 そこで、質問なのですが、 父は、肝硬変末期で、3回、腹水を抜いて、 それでも、またお腹も両脚も腫れています。 こんな父が、穏やかに最期を迎えることが出来るでしょうか??? 腎不全の最期というのは、どういうものなのでしょうか??? 遅れましたが、私は父の長男(42歳)です。 私は父の病院へは、車で25分で行けます。 しかし、弟は東京に居り、関西のK市の、この病院には、 どんなに早くても3~4時間かかります。 父の最期に弟も居させたいと思ってもいます…… どうか、アドバイス、よろしくお願いします。 m(_ _"m)

  • 肝硬変末期の父が余命1週間と宣告されました…

    よろしくお願いします。 もし出来れば、医療関係の方のアドバイスを求めています まず、私は匿名ですが、「nao913」です。 質問履歴を公開にしています。 カテゴリ:「家族」の欄で、何度も投稿しています。 父の病状については、 http://okwave.jp/qa/q7973280.html を参考にしてください。 さて、一昨日、母が主治医から余命1週間と宣告されました。 尿の量が減っているな、と思っていましたが、 肝硬変末期の上に「腎不全」が来たみたいです…… 人工透析が1週間できなければ、どうなるか素人でも解りますね…… 今の父に人工透析をしても意味が無いことも素人でも解ります。 そこで、質問なのですが、 父は、肝硬変末期で、3回、腹水を抜いて、 それでも、またお腹も両脚も腫れています。 こんな父が、穏やかに最期を迎えることが出来るでしょうか??? 腎不全の最期というのは、どういうものなのでしょうか??? 遅れましたが、私は父の長男(42歳)です。 私は父の病院へは、車で25分で行けます。 しかし、弟は東京に居り、関西のK市の、この病院には、 どんなに早くても3~4時間かかります。 父の最期に弟も居させたいと思ってもいます…… どうか、アドバイス、よろしくお願いします。 m(_ _"m)