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山林の荒廃とは?

最近めきめきとキャンプやハンティングにのめり込んでいるのですが、その手の本を読んでいると、森というのは人の手が入らないと荒廃するという記述をよく見かけます。そこで教えていただきたいのですが、 (1)荒廃する=極相林化する という解釈でよいのでしょうか? (2)人工林が手入れしないと荒廃するというのはよく判るのですが、自然林も人の手が入らないと荒廃するというのがよく判りません。素人としては自然が自然のままであるのは結構な事のように思われるのですがどのように良くないのでしょうか? (3)それはあくまでも「人間の都合」でよくないのですか?それとも野生動物などにとっても好ましくない事なのでしょうか? お礼、返事は100%保証しますのでよろしくお願いします。

  • 農学
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noname#29428
noname#29428
回答No.5

森について語るときは,森の定義から入らないといけないかも知れません。森林には,原生林,それを伐採した後に形成される二次林,里山,植林とあります。 一般の人の多くは,植林以外は自然林と思っているのではないかと思います。自然林とは,植林した人工林に対しての言葉ですからある意味では当然のとらえ方なのですが,自然林を自然な森と捉えてしまう方がおります。 本当の自然林とは,人の手を必要としない原生林とその伐採後の二次林を言うのであって,人の手を絶えず必要とする里山は決して自然林ではありません。そこを区別するために「里山」と言った言葉を使用することとなったようです。 日本人は,薪や炭を得るために,再生能力が極めて高いクヌギ・コナラ林を里近くに移植しながら造ってきました。これが里山です。完全なクヌギやコナラの栽培林です。 畑を放置すれば雑草が生え,遷移が進行して荒れるように,里山も放置すれば遷移が進行して荒れてしまいます。なぜに荒れると表現するのかは,多様な生態系が単純化されていくからです。 日本の多様な生物種は,多様な生態系が維持してきました。中でもかなりの部分を里山とその周辺の生態系が維持してきたことが解りました。絶滅危惧種の多くがこの生態系の生物です。 文化的な観点から見たら,「花鳥風月」と言った日本の文化の根元が里山にあったのです。

11falls
質問者

お礼

自然林の定義すっごく良くわかりました。私の場合、杉やヒノキの林=人工林の思い込みがあったようです。そうですよね、クヌギなんかきちんと等間隔で植樹されていますもんね。荒れる=生態系の単純化はちょっと目からウロコです。勉強になりました。ありがとうございます。

その他の回答 (5)

  • mkyarol
  • ベストアンサー率12% (4/33)
回答No.6

この質問の山林とは関係ないかもしれませんが、竹林の荒廃も問題になってます。竹は、成長が早いためのほっておくと他の植物を駆逐してしまいます。昔は、竹の子堀りとか竹細工で伐採していたのがつかわなくなりましたから。また、竹は地下茎で増えるので、枯らすことも難しいです。そのため、里山とか放棄農園など竹林に侵食されつつあります。竹の利用法がなかなかないために、解決策もなかなかないみたいです。

11falls
質問者

お礼

竹の利用法といえば以前、竹のおがくずを餌にしてカブト虫の繁殖をしていた業者がTVで取材されていました。でも日本中をカブト虫だらけにするわけにもいきませんしね(笑) 竹の侵食を含めて、「里山とは人為的な手入れが必要」であること、とてもわかりやすく頭に入りました。質問と関係無いなんてとんでもない。ありがとうございます。

noname#118466
noname#118466
回答No.4

No2補足します。 言わんとするところはなんとなく分かりますが・・・ ここでいう森が荒廃するは、人間から見てに決まっています。森が森の言葉で我々の森は荒廃していると擬人化して言っている・・・とすれば 11fallsさんの見解は正しいかも知れません。 キャンプやハンティングの本が対象とする森は原生林ではないはずです。基本的に原生林はキャンプやハンティングに解放されていないはずです。従ってそのような書物が言っているのは里山のことです。ところがその里山が最近は荒廃している。なぜか?里山は人と共生することでその美しい姿(勿論人間から見て)を保ってきたのです。人間との共生をやめれば里山はよい意味で自然に帰りもとの里山でも美しい自然林でもなくなるでしょう。強い木だけが生き残り、いや生き残る木は少なく外部の異種の木に占領されてしまうでしょう。それを森が自然に帰ったといって喜ぶには慣れ親しんだ里山という概念を忘れ去る必要があります。つまりその手の本が前提としている森ではなく次元の違う話になるでしょう。

11falls
質問者

お礼

CWニコル氏はハンターであり自然保護者でありますが、自分の所有するアファンの森では専従の森の管理者を雇っています。一方で知床の原生林伐採に強く反対しています。適度に手を入れるべき自然と手付かずで残しておくべき自然がある。日本国民全員ががそういうふうに「普通に」考えることができればなぁ・・と思います。再度の回答ありがとうございます。

11falls
質問者

補足

再度お付き合いありがとうございます。 No1の方の捕捉でも述べましたが、「害虫」「益虫」という区別は人間の都合によって生物の価値に優劣をつけているわけですよね。それはもちろん自然科学的な見地ではありえません。同じように我々が一般に森の荒廃を定義する尺度は自然科学的なものなのか、それとも「害虫益虫」の類なのかを知りたかったのです。「人から見て」でも二通りの見方があります。どちらが良いか悪いかを論じるつもりではありません。こんな補足でよろしいでしょうか・・

  • tanigawa9
  • ベストアンサー率35% (61/171)
回答No.3

>(1)荒廃する=極相林化する という解釈でよいのでしょうか 違います。荒廃とは樹木ばかりではなく、表土の流失や斜面の崩落などによって植生が回復しがたくなったり、森林の垂直的な多様性が喪失して笹藪化、ススキ野原化、などの単調な相に変化してしまって容易に復元できなくなってしまったりすることです。人工林化する事はすなわち荒廃しやすい単調な植生を造り出したことになったわけで、それ故、放置してはならないわけです。 >自然林も人の手が入らないと荒廃するというのがよく判りません。素人としては自然が自然のままであるのは結構な事のように思われるのですがどのように良くないのでしょうか? これは貴方のおっしゃるとおりです。この論理はかつて原生林を乱伐していた頃の、林野庁及び営林署が呪文の如く繰り返していた言葉で、伐採を正当化するための言い訳です。自然はその適地に適種を配置した形で極相林を形成しますので、人の手は必要ないのです。 >(3)それはあくまでも「人間の都合」でよくないのですか?それとも野生動物などにとっても好ましくない事なのでしょうか? それはあくまでも人間の都合だと思われます。 森林はともかくとして、それを取り巻く行政に付随(癒着)している建設土建業者や地方官僚にとって、林道の建設補修、砂防ダムの建設などの利権は美味しすぎて容易に捨てきれるものではありません。

11falls
質問者

お礼

人工林というのは手入れをし続けなければならない宿命なのですね。文字通り不自然な物だというのがとてもよく判りました。・・・というか回答全部が私が求めていた答えとぴったりで怖いくらい(笑)です。 ありがとうございます。

11falls
質問者

補足

皆さんの回答を参考にすると日本人というのは、古来どうやら自然科学的な見地でなく、人間の一方的な都合で利用しにくくなった森を「荒れた」と表現しているのではないかと思えてきます。 「川」を考えてみても行政側は、蛇行したり淵や瀬があったりする自然の川を「荒れている」と思っているようで、ご丁寧にコンクリートで一直線にしてブルドーザーで淵を埋めてまっ平らにしてくれます。 そんな川では魚は繁殖できません。 すいません、愚痴ってしまいました。補足になってませんね。 そもそも畑正憲さんとCWニコルさんの対談「森からの警告」(ソニーマガジン)を読んでいろいろ考えさせられた次第です。

noname#118466
noname#118466
回答No.2

1)人工林 人手不足、輸入木材との競合などが原因で荒廃問題があることは説明不要のようですね。 2)原生林 こちらも一度も人手が加えられていない森や林のことなので問題ないと思います。 3)里山 最近に始まったことではありませんが荒廃が心配されているのは里山のことでしょう。日本の美しい里山はおそらく縄文時代以来人間が適当に手を加えることによって成り立っています。日本が高度成長期に突入した昭和30年代までは、里山はよく管理されていました。なぜなら村人は定期的に里山にはいり、薪をとり、草を刈り、野草を摘み、家畜を放牧し、栗や山の果物を探しながら 里山の手入れをしていたのです。手入れによって植物の世界の弱肉強食を食い止めていました。(極相化防止) 里山の荒廃は他の要因も加わっています。 *ゴルフ場開発 *ゴミ捨て場 *産業道路、高速道路の縦断 *住宅開発 町に住んでいる人の中には、里山を守ることは木を切らず山に入らないことだと原生林の保護と混同している人もいます。

11falls
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 そうですよねぇ~原生林に人手が入らなくても問題はありませんよね。安心しました。 人が自然に手を触れない、草木一本切らないのが自然保護だと思ってる狂信的な人々がいるのは悲しいことです。人間はあくまでも食物連鎖の一部に過ぎません。動植物を殺して食べることで自らの命を維持できるというのに・・ 捕捉もしましたので、また回答いただけたら幸いです。ありがとうございます。

11falls
質問者

補足

3)里山 の回答を拝見すると、やはり人手が入らずに森が極相化に向かうことを「荒廃する」と表現するのだな・・ と感じます。私が質問(1)で訊きたかったことです。 そうするとやはり「森が荒れる」というのは単に人間の側の都合に基づく表現なのでしょうか? 宅地や道路の開発による「荒廃」は問題が拡大するので除外させてください。

noname#6737
noname#6737
回答No.1

1、杉やヒノキなどの人工林は、植林するときに一本一本の間隔を狭めて植えます。 そのままでは大きく育ったときに十分な日光が当たらないので、間伐をします。 しかし、安い輸入材の影響で材木の値段が下がると、十分な手入れができずに放置されます。 そうなると、一本一本が細く、弱い木しか育ちません。 台風などで容易に倒れてしまいます。 2、自然林といってもいろいろありまして。 まったく人間の手の入っていない原生林は、手を入れるべきではないでしょうね。 知床や白神山地などでしょうか。 しかし、そうした森は非常に少数です。 人間の手によって伐採、植林されていないが、人間が古くから利用してきた多用な植生の森も自然林と表現する場合があります。 里山と言われるような森は、薪として細い枝やヤブ伐採されると空気の通りや日当たりが良くなり、 その結果、そこに生息する植物、昆虫、鳥の種類が増えるという研究結果があるそうです。

11falls
質問者

お礼

早速の回答ありがとうございます。 1、は良くわかります。根こそぎ倒れたところから表土が流出したり、山肌が崩れたりしますしね。 補足をしておきましたので、もし再度回答いただけるようでしたら幸いです。ありがとうございます。

11falls
質問者

補足

こんばんわ!少し説明不足だったようで捕捉します。 確かに里山の森などに人手を入れることで森が陽性を保ち通気や日照が確保され、そこに動植物が根付くのは確かでしょう。そこでは例えばワラビなどは繁殖できるでしょうが、キノコやシダなどの陰性植物は姿を消していきますよね。ですから手入れされた陽性の森も、手付かずの陰性の森も生態系の様相が異なるだけで動植物の総数は変わらないと思うのです。 人間にとって利用しやすいのは陽性の森のはずですから、つたが絡まったり下草が覆い茂ったりして利用も入山もしにくい陰性の森を「荒れた森」と言っているのではないか?と思ってこの質問をしました。 つまり自然科学的な見地ではなく、人間の側の一方的な理由で「荒れた」と表現しているのではないか、例えば人間に都合の悪い昆虫を「害虫」都合のいいのを「益虫」と呼んでいるように。

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