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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:般若心経の無苦集滅道について)

般若心経の無苦集滅道について

ctaka88の回答

  • ctaka88
  • ベストアンサー率69% (308/442)
回答No.23

お釈迦様が法を説いたのは、人間の永劫の苦からの解放を目的としています。 人間が我に執着しているから、その勢いのまま人は輪廻し永劫の苦の中にある。 この苦から解放されるためには、因縁を見通し、我は無いことを体得し、輪廻から離れる(解脱)しかないと言うのが仏教です。 これを般若心経では「照見五蘊皆空度一切苦厄」と言っているのです。 輪廻する主体は霊魂ではないかというのが疑問なのでしょうが、それに対しては答えないというのも一つの態度です。 今ひとつの考え方は、それは相互依存関係の中にある我がそれまでの勢い(業)で転がっているだけだというものです。

kame_doronuma
質問者

補足

うーん、難しい...

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