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思想的な言葉、日本語を英訳。『最後の親鸞』(吉本)
の言葉の一節ですが、よく判らないなりになんか凄いことを言っているように思い、誰かに英訳していただければ、少しは判る切っ掛けになるのではと思い、質問しました。 <知識>にとって最後の課題は、頂を極め、その頂に人々を誘って蒙を開くことではない。頂から世界を見下ろすことでもない。頂を極め、そのまま、寂かに<非知>に向かって着地することが出来ればというのが、おおよそ、どんな種類の<知>にとっても最後の課題である。この「そのまま」というのは、私たちには不可能に近いので、いわば、自覚的に<非知>に向かって還流するよりほかに仕方がない。 しかし、最後の親鸞は、この「そのまま」というのをやってのけているように思われる。 どのように英訳されてもOKですので、よろしくお頼みします。
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The ultimate task for "wisdom" is not to reach the summit and enlighten others by leading them to it. Nor is it to look down on the world from that height. To attain the highest and, as is, to land toward "non-wisdom" is, probably, in any kind of "knowing," the ultimate task. What I mean by "as is" is nearly impossible for us, so we are likely to drift back toward "non-wisdom" consciously. But, it appears Shinran at the end, could achieve this goal "as is."