• 締切済み

美大の3年です。今後の人生が不安すぎて。。

現在20歳女、某私立美術大学の3年生です。デザイン学科にいます。 今年の秋から、就職活動が本格的になります。周りの友人達も、ポートフォリオをつくったり、インターンへ行ったり、いろいろ動き始めています。私は、どうしてもやる気になれません。表面的なこと、、何もできなくなってしまいました。 美大に入る前は、卒業したら素敵なデザイナーになりたいな!なんて漠然と思っていてデザイン学科に入ったのですが、デザインやアートを学べば学ぶほどに、そんな気持ちは薄れていったんです。それは、例えば偉人の言葉を読んだ後に一時的に生まれる衝動で「やる!」とか「やらない!」とか思いたつものとはまた違った種類のもので、ゆっっくり年月をかけて、「元々の私自身」をむきだしにされていったような感覚です。いろいろなものをみて影響を受けたのは事実ですが、何らかの思想に染まったというわけではなく、むしろ私が着込んでいた様々な既成概念みたいなものを、一枚一枚脱がされていく感覚です。 そして、私は、この一枚一枚脱ぐ感覚をとても愛しています。ふっと何か消える時、鳥肌が立って、、言葉でうまく言えませんがもう何よりそれを愛しています。 全てを削ぎ落として、そうしたら、きっと、自分。生きること。人生の本質的な部分がわかるかもしれない。とにかく、きっとすごいんだって事だけはわかります。それに、自分は人生を、そういうふうに削ぎ落として生きなきゃいけないんだなあということもわかります。 この、身震いする感動は、自分の精神がクリアな状態になればなるほど、感度が増していきくことに最近気づきました。なので、クリアな精神を保って生きていく、というのが私の生きるべき人生なんだと思っています。それは、自分が絵を描いたり、音楽を奏でたり、写真を撮る瞬間など、、そういう時に感じます。 就職して、デザイン会社なんかにはいると、クリアな精神が保てないんだろうなというのがわかります。美術と関係無い仕事をしても、だめになるんだろうとわかります。私の才能や実力は別として、私の精神的なものは、作家や、研究者など、そういう部類の人間になのだと思います。説明くどくなってしまいましたが、私はそういう生き方をしたいです。 私のお家が裕福だったらできるかもしれません。ひたすら自分の活動に打ち込んで生きていけばよいのですから。私の家は貧乏です。私は自立してお金を稼がなければいけません。高い学費の美大も、土下座して行かせてもらってます。奨学金を借りたりして、なんとかやりくりしています。 本当は、美大を卒業して、自分のやりたい美術の仕事で、しっかり働いて親孝行していこうと思っていたのに、なんかそんなことできなくなってしまいました。どうしても自分の精神に純粋にいたいです。。 20歳のいま、何かにならないともう何もない気がして怖いのです。 いろいろな事に敏感な20歳です。大きな決断を、いましなければいけない気がしてなりません。 飢え死にしたり、借金まみれになる覚悟は、無いのです。。 でも、自分をごまかして、表面的に「生きてる真似」は、もうできません。 人生の選択肢が、たくさんあるようで、何もないような、、。 毎日、毎日、人生について考えます。とても焦っていますし、途方に暮れています。 最近では、不安が先にきて絵も描けなくなってきてしまって、、何もできなくて苦しいです。 すごく抽象的な言葉で申し訳有りません。 周りの人間にも、うまく説明できなくて、、 共感者が少なくて、相談もなかなかできないのです。 読んでいただいた方ありがとうございます。 なにか お言葉を頂けたら嬉しいです。

みんなの回答

noname#175206
noname#175206
回答No.10

 お礼、ありがとうございます。#9です。 >極端な事を断定的におっしゃいますね。 >あなたが綴ってくれた「フィクション」のような人生にならないように注意しますね。  ある程度公知になっていることであれば、たとえばオウム真理教事件を調べてみるといいでしょう。  もっと、ぞっとする例がぞろぞろ出てきます。「フィクション」など可愛いものです。  もし引き返すという気持ちがあるなら、もう一つだけ申し上げておきます。神秘体験をいったん受け入れたら、そこから引き返すのは死ぬほど苦しいです。だから「斬り捨てよ」という激しい言葉があるわけです。  斬り捨てるのは、要は自分自身、しかも最も大事にしているものであるので。それが、ほとんどの人が引き返せない理由でもあるのですが。

noname#175206
noname#175206
回答No.9

 どうしようかなと思ったんですが、複数の知り合いの辿った不幸な道に進む人は、やはり声はおかけしないといけないと思いまして。  禅宗で「野狐禅」という「魔境」があります。しっかりした師についていないと、陥りやすい間違いです。  具体的には、空を悟れば業からも自由になると間違って思い込んだ人が、畜生道に堕ちて、野狐に転生してしまったという話です。  真実に目覚めたような気がする。何か実感がこもって、そう思える。  しかし、何一つとして、以前よりできるようになったこともないし、具体的に分かることも増えていない。前に分からなかったもので、具体的に分かったものも一つとしてないない。  ただ単に自分が何らかの意味で「凄い人」になった気がするだけ。神秘体験の一種ですが、有害なものです。  禅宗では、「神に会えば神を斬れ、仏に会えば仏を斬れ」といったような言葉が残されています(これ自体、もっと以前にあった言葉を少し変えただけです)。斬り捨てるのは、周りの何かではなく、自分の中に勝手に現れた内なる仏や内なる神ですけどね。  もしも、そんなことがあるのなら、たとえば違法薬物等の使用者の中から、聖人や賢者が続出です。実際には、そういうことは起こらない。  質問者様の神秘体験が邪まなものであることは、既にご質問文にあります。 >20歳のいま、何かにならないともう何もない気がして怖いのです。 >飢え死にしたり、借金まみれになる覚悟は、無いのです。 >毎日、毎日、人生について考えます。とても焦っていますし、途方に暮れています。 >最近では、不安が先にきて絵も描けなくなってきてしまって、、何もできなくて苦しいです。  たとえば、上記のようなことです。  こういうことは、たとえ目覚めたことが小さなものであっても、それが正しいものなら、起こりません。思春期中盤あたりで、すぐになんとでもなるような小さな挫折で、起こるような悩みです。18歳辺りで思春期を終えた、20歳の悩みではないです。  知っている限りで、こういう間違った神秘体験(一気にやってくるとは限りません)に取り付かれた人の行く末は、だいたい同じです。  真面目に働けません。せっかく仕事を得ても、放り出してしまいます。何せ、自分は他人より凄いのだから。凄いはずの道も行こうとしません。何せ、自分は既に凄いのだから。  生活も整わず、凄いはずのこともできず、親か誰かに養われつつ、裏づけのないプライドだけが膨らんでいきます。もう、仕事を探して応募しても、どこからも受け付けてもらえません。  呆れた知り合いが離れていきます。友達も呆れて、付き合いたがらなくなります(おそらく、これはもう始まっています)。  やがて、養っていた人も養いきれなくなります。そのころには自分はもちろん、最後までかばおうとしてくれていた人も心身を害しています。後は察してください。  こういう話をしても、通じないことは知っています。今まで、何を言っても無駄だったわけですので。ただ、良心が許さないので、お話しました。  できるだけ早く、質問者様と現実との具体的な接触があることを祈りつつ。

7461345
質問者

お礼

ありがとうございます。ちょっとゾッとしました。そうならないように気をつけようと思いました。 「有害な神秘体験」を見極められるようになろうと思いました。 >仕事を探して応募しても、どこからも受け付けてもらえません。 >友達も呆れて、付き合いたがらなくなります(おそらく、これはもう始まっています)。 >今まで、何を言っても無駄だったわけですので。 極端な事を断定的におっしゃいますね。 あなたが綴ってくれた「フィクション」のような人生にならないように注意しますね。 死ぬまで、努力、制作、継続しつづけます。プライドは、膨れないように。

noname#160385
noname#160385
回答No.8

精神の強さは何のためにあると思いますか。環境に左右されずに、自分の道を自分で維持するためです。 私は出来が悪いながらも院生で、研究の道に進んでいます。研究というと、なるほど感受性をかなり酷使するのです。論理とか資料だけじゃなく、インスピレーションが来ないと、面白くも何ともありません。仕方ないのでそれを待って、昼寝したり、散歩したり、美術館をまわったりします。こうなると、事によれば、あなたがしたいような生活を私はやっているのかもしれません。 しかし研究をしてもしがらみは多く、精神がクリアに保てるとは言い難いものがあります。最近、私自身が読んだ本ですが『文学部唯野教授』などを読むと、その一端が垣間見えるかもしれません。お金があれば、研究でもすれば、という仮定はあまり考えても意味がないように思います。どこにいっても人間付き合いがあり、大なり小なり、思ったようには行きません。大学など権力機構です。 時々私は研究者や作家は、鋭い感性を有している振りをしているだけなのではないか?とさえ、思います。私自身、かなり演技しているところが多いのですし、演技しているからこそ、ちょうどいいところもあります。純粋な素のままの自分でいたら、他の研究者に反論されただけで、「純粋さを汚された」と考え、激怒して喧嘩になってしまいますから。 純粋である事は、とても気分がいいと思います。頭の神経がピンと張りつめ、快楽物質が脳にまわっていきます。でもそれにこだわり過ぎてはならないと思うのです。私の経験でいえば、これぞ純粋と思った仕事が常に優れているとは限りません。何と言うか、遊び心だとか、余裕がないと、線が細くてどっしりとした落ち着きがないのです。 これは言っても分からないかもしれません。少しの間、芸術に没頭してみたらどうですか。すると完璧に純粋な時に描いたものが、常にクオリティが高くない事が分かると思うのです。

7461345
質問者

お礼

ありがとうございます。 『文学部唯野教授』早速図書館で探して、無かったので取り寄せて、今日手に入りました。読んでみますね。 私も色々考えて、院へ進学する事に決めました。 「純粋」は良いものとしか考えてなかったので、あなたの言葉はとても新鮮にきこえました。 研究者や作家の「演技」については、私も同感です。でも、演技というか、誇張というか、、 確かにそう考えると、「純粋さ」が常に素晴らしいとは言えませんね。 純粋なものとクオリティは無関係なのかも、とさえ思えてきました。 はい、とにかく没頭してみます。秋になって、モチベーションもすごくあがってます。 どうもありがとうございました。

  • cubetaro
  • ベストアンサー率24% (1289/5171)
回答No.7

 現実問題として奨学金の返済があるワケですから、就職(もしくはバイト)して返済しながら創作活動をするというのが現実かと思います。  どうせ就職するなら、デザインに関係した仕事の方がコネクションが出来るので、デザイン関係又は教育関係(大学教員、スクールや、子供向け絵画教室など)に就職しながら、空いてる時間に創作活動して、個展を開いたりという所でしょうか。  画材店(と言っても僕のいた店舗は額縁とかリトグラフ販売がメインでしたが)でバイトした事もありましたが、デザインをかじってる人も多くて、それなりに楽しかったですね。  純粋に今やりたい事を実現するためには、金持ちのパートナーを見つける以外にないかと。  それが出来ないなら、ちょっとでもデザインに絡んだバイトをして、ボロい古民家でも借りて、創作活動をするしかないかと。  ---------  あと、制限(〆切など)があるからこそ作品って完成する気がします。  人間は日々成長しますので、〆切がなかったら、いつまでも(作品が)気に入らなくて、手直しを続けて作品が完成しない気がします。

7461345
質問者

お礼

現実的なアドバイスありがとうございます。 結局、学費の安い、藝大の院へ自費で進学することに決めました。 藝大は休学が無料なので、一年間稼ぎまくって、院と奨学金返済していこうと思います。 なので数年は貧乏しながら学生をやっていこうと思います。もっと実力をつけて、 院をでるころには、今よりは自分らしさや自分と社会の折り合いのつけかたもわかっているはず、、 そうですね、近い目標は大切ですね。締め切りは必要です。人生なんて考えだすと、 めがまわってきて結局目先のことができなくなってしまったりします。 この夏はそんな風にもんもんとして終わってしまいました。後悔はしてませんが、不器用な夏でした。

  • mstk2
  • ベストアンサー率26% (157/588)
回答No.6

お釈迦様が荒野で座禅をくんでいる状態ですね。 もう何年か続ければ悟りが開けて、すごいものが作れるという予感がある。ただ残念ながら今はまだ発展途上。世間をうならせる作品をつくるまでには至っていない。でも適当に手をうつのはいや。ほかの仕事で糊口をしのぐのもいや。 となると、これはもう今の路線のまま行けるところまで行くしかありません。それで志をとげるか、飢え死にするのどっちが早いか、要するにギャンブルですが、もともと行者の修行ってそんなもんです。少なくともお釈迦様は飢え死にする覚悟で座禅をくんだと思います。 一般に、人並みの生活をしながら自己実現できるほど世間はあまくありません。自分らしさを捨てられないなら、人並みの生活を捨てるしかない。道を究めたいなら死ぬ気でやり、失敗したら潔く死ぬ。その点、質問者さんは、どちらを選ぶにせよ根っこのところの覚悟が足らないように感じます。 1点注意しておくと、周囲の友人の動きが気になるようではダメですね。この線で行きたいなら人は人、自分は自分です。その根本が揺らぐようでは、自分の精神もへったくれもない。 お釈迦様はボロ布1枚で修行しましたが、そのつもりで生活してみてはどうですか。 金も自分の住まいもなくなるだろうが、それが質問者の求める1枚1枚脱ぐという感覚でもあるはず。 すべてをそぎ落としたい人がお金や世間体にこだわるのもおかしな話です。 

7461345
質問者

お礼

的確なアドバイスありがとうございます。ありがたいです。 >1点注意しておくと、周囲の友人の動きが気になるようではダメですね。この線で行きたいなら人は人、自分は自分です。その根本が揺らぐようでは、自分の精神もへったくれもない。 本当にそうだな、と、、、思いました。人は人、自分は自分、わかっていたはずなのに、あなたのこの言葉を聞いて、 まだ自分は揺らいでいるなって気づきました。精神を統一して、自分は自分。しっかり自分の方向へ努力していこうと 改めてひきしまりました。ありがとうございます。 >すべてをそぎ落としたい人がお金や世間体にこだわるのもおかしな話です。  本当にそうですね。 とにかく、自分の目の前の作品と向き合います。ありがとうございました。

  • grafan
  • ベストアンサー率33% (55/166)
回答No.5

33歳2児のパパです。 私はトランペットを職業にしたいなと一時期考えた事がありましたが、今では一生の趣味となり宝物となっています。 大学でやった事がビジネスにならないとダメとは思いません。 趣味として一生続けるのがいいと思います。 生きていく為には稼がなくてはいけません。 どんな職業でもいいと思います。 楽なものは無いと思いますが、やりがいのある事は見つかると思います。 こうやって悩む事は人間として成長する過程で必要な事です。 苦しいかと思いますが、永遠と続く事ではありませんので安心して悩んでください。 頑張って下さいね。

7461345
質問者

お礼

一生の宝物。素敵です。。 やりがいのあることをずっとやっていきたいです。 将来についてずっと考えてしまいますが。。。目の前のことをできるように頑張ります。 ありがとうございました。

  • orenge11
  • ベストアンサー率13% (5/38)
回答No.4

この歌も、「20の君へ」と読み替えても良いと思います。 http://www.youtube.com/watch?v=pFJ8EFzywjw

参考URL:
http://www.youtube.com/watch?v=pFJ8EFzywjw
7461345
質問者

お礼

どうもありがとうございます^^素敵でした!

  • orenge11
  • ベストアンサー率13% (5/38)
回答No.3

次の歌が参考になれば幸いです。 http://www.youtube.com/watch?feature=endscreen&v=qhe7FoXhi70&NR=1

参考URL:
http://www.youtube.com/watch?feature=endscreen&v=qhe7FoXhi70&NR=1
回答No.2

バイト経験はおありでしょうか? 人生は人それぞれです。美大生だからといってデザイン会社に入る必要はありません。 大学の先輩や講師などに相談してもらうのが一番よいのですが・・・。 とりあえずどこでもいいので自分が少しでも働いてみればすぐに答えは見つからずとも答えは出てくると思います。 地元のスーパーやコンビニで働くのだっていいじゃありませんか。 まだ若いのですし後からやりたい事が見つかればすぐに追いつけますよ。 あえて言うなら今すべき事は、「どうやって定職についてお金を稼ぐか」です。 自力で何年も工場で働き、お金を稼いで海外で絵を学びお金がなくなれば日本へ戻り、またお金が貯まるまで工場で働く。 そういったことを繰り返してる人だっています。本気でやりたい事があれば苦しい事も乗り越えられるはずです。 もしくは絵は趣味ってことでもいいんじゃないでしょうか。

7461345
質問者

お礼

ありがとうございます。バイトは飲食、内職、事務、派遣、レジ、、色々やってきました。 貧乏してもいいので、自分のつくったもので生計たてられるように頑張りたいです。 「趣味」にはできないです。。 とにかく、頑張ります。ありがとうございました。

  • 22390000
  • ベストアンサー率21% (20/95)
回答No.1

 あなたの言う事は全くその通りです。  たくさんの選択があるようで何も無いような不安。  経済的に恵まれたからで切る事。恵まれないから出来る事。そのまた反対。  あなたの言う事は全くその通りで,人生のどこでもそうですしいくつに成ってもそうです。  真実は若いときに感じて,人生に宿題をくれます。  ある時其れに気がついてびっくりしました。  人生の師は自分の子供時代だったり10代か20代初めだった気がします。  それから先は,子供時代の自分にどう応えるかだったと今でも思います。  60代後半に成ろうという今も。  

7461345
質問者

お礼

お言葉ありがとうございます。とても腑に落ちました。 「子供時代の自分にどう応えるか」 年をとるごとに、腑に落ちながら、幼少期に進んでいきたいと強く思います。 そして、0歳に還って死にたいと。 今自分がそう感じている二十歳特有の(?)純粋さと、勢いで、そのままの鋭さで、寿命まで研ぎ澄ましていってしまいたい気持ちです。 どの場面で、何に折り合いをつけるべきなのか、わからなくなってしまいました。 また抽象的な表現で申し訳有りません。。 もし良かったら、20歳で読むと良い本や映画、その他、何かあったら教えていただけませんか? よろしくおねがいします。

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