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日本史
「歴史家の数だけ歴史はある」ということに対して自分の意見をまとめてレポートを書いていかなければなりません。どういう切り口で書いていいかわかりません。教えてください。
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- sekai_s2
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「歴史家の数だけ歴史はある」は、「真実は一つですが、立場の違いにより解釈がことなる」ということでしょうか? 黒澤明監督の映画「羅生門」等も参考になるでしょうか? 九州王朝説(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E5%B7%9E%E7%8E%8B%E6%9C%9D%E8%AA%AC)も立場が違うと解釈が大きくちがう典型ですね 60年程度前のユダヤ人ホロコーストでさえ肯定論・否定論があります。 http://turugi10.hp.infoseek.co.jp/marco/marco0.html http://www.jca.apc.org/~altmedka/aus.html 中共や韓国の歴史観も日本とは大きく異なりますし、歴史は勝者によって創られるということや歴史には政治的イデオロギー的フィルターが掛かるという切り口もありますね。 http://members.xoom.alice.it/alice275193/index.html 偽りの歴史から教訓はえられませんし、進歩もありません。同じ過ちを繰り返します。フィルターによって歴史評価を誤って、過ちを繰り返した例等も面白いと思う。
- GratefulDead
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「出来事」と「問い」 歴史が、過去に何が起こったかという「出来事」(史実)探るだけであるならば、「歴史家の数だけ歴史はある」と言うことにはならないはずです。後世の人間が過去に起こった出来事を変えることは出来ない以上、史実はひとつしかないからです。 いうまでもなく歴史学の本質は、過去の「出来事」を知ることだけではありません。「出来事」の羅列から発せられる「問い」を見つけ出し、その答えを探求していくことにあると思います その「問い」とは、 例えば、吉野作造は、明治維新前と維新後の国民の政治に対する意識の変革(江戸時代は民衆が政治に口出しするのは大罪であるとされていたが、明治初年から人々は天賦人権、万機公論などの発想にとびついた)なぜ起こりえたのかと「問い」を発しています。 同じような「問い」はフランス革命後のトルストイも発しています。愛の法則に奉じていたキリスト教徒同士が互いに殺しあいをさせたものは何であるのか? この2人の問いに共通していえるのは、国民のレベルで巨大な認識の変化が起きる歴史的経緯と論理(歴史の深部を動かす力)を知りたい、というものです。 E・H・カーは歴史学について「史料それ自体は歴史の深部を動かす力について何も教えてくれないが、歴史家の興味は歴史の深部を動かす力についての探求につきる。これを探る為には史料を用いて考えなければならない。これが歴史の研究である」と述べています。 カーが述べるように歴史の研究とは「出来事」を用いて「問い」に対する答えを探求することであり、この探求の過程で歴史家個人個人の個性と能力が発揮されることとなるので「歴史家の数だけ歴史はある」ということがいえるのではないでしょうか。 【参考文献】 吉野作造「我国近代史に於ける政治意識の発生」 トルストイ「戦争と平和」エピローグ第2編 E・H・カー「ナポレオンからスターリンへ」
- torauma
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7CHです A氏:「これはひとつの例であって、この通り教えよというものではない」 B氏:「非学問的な所説が必ずしも無力なイデオロギーであるとは限らない」 法家:「疑わしきは罰せず」 goo :下のページもみて
司馬遼太郎、永井路子さんなど、歴史小説家の方々を例にとってもおもしろいものが書けるとおもいます。 どちらの方もご自身で出典(たとえば「吾妻鏡」の漢文を読んで小説を書いたり)されているようです。 その上で、空想をまじえて小説におろす。 ただし、きちんと研究をふまえているかたの空想は、論文をたてるときの仮説の発想に非常に酷似しています。 結果、歴史小説家の中には大変優秀な歴史研究家、書いた小説が後世で仮説・結論として通用してしまい、現在では定説になった例もあります。 いかがでしょうか♪ レポートがんばってください。
- o24hi
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おはようございます。 日本の歴史と言えば,天皇制と切っても切り離せないと思います。特に,古代の天皇には色々議論があるところですから,その辺りをお調べになって,書いて見られたらどうですか。
- himawari223
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邪馬台国はどこ??は議論百出でいまだに結論がでていません。 このテーマから入っていくのも面白いとおもいます。