• ベストアンサー

武家の官位、布衣、諸大夫について・・・。

こんばんは。 武家の官位に布衣と諸大夫があります。 これは理解出来るのです。 それが布衣役、諸大夫役となると官職になります。 Wikで調べてもみたのですが、今一判然としません。 例えば、これを会社に置き換えるとどのようなものなのか? 御教示いただければと思います。

noname#180427
noname#180427
  • 歴史
  • 回答数3
  • ありがとう数3

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • fujic-1990
  • ベストアンサー率55% (4505/8062)
回答No.1

 武家のランクは、「官位」と「家格」「禄高」「役職」の4つで、総合的につけられていました。  ぜんぶ密接に絡んでいましたが、外様大名の禄高は高いが役職には就けないというのは有名ですよね。  例えば、阿部正弘は  官位・・・ 従四位の侍従  家格・・・ 譜代大名  禄高・・・ 11万石  役職・・・ 老中  で、武家の官位は、朝廷の「位階+官職」です。実際に官職の仕事はしませんが。  おっしゃる「布衣」の官位は「六位相当」ですが、武家には6位以下の叙任がないので、式典のときに「布衣」を着るのでそう呼んだだけで、正式な「武家の官位」ではありません。 新井白石の思いで話、折たく柴の記下では「その官五位の諸大夫に過ぎず」と書かれています。  ゆえに、武家の官位に「五位の諸大夫」はアリです。  くどいですが、武家の官位は「位階+官職」ですが、布衣役、諸大夫役という「官職」はありません。  武家の役職には、将軍、大老(臨時)から足軽・中間(家格と見れないこともない)までありますが、布衣役、諸大夫役という「役職」もありません。  ひょっとしたら、質問者さんは「布衣の人が就く役職(複数)」「諸大夫の人が就く役職(複数)」というような意味でお使いかなとも思いましたが、どうなんですかね?    会社で言うのは難しいですが、軍隊で言うと、布衣の人が就けるのは下級士官(尉官)、諸大夫の人が就けるのは、上級士官(佐官)というところでしょうか。  

noname#180427
質問者

お礼

有難うございました。

noname#180427
質問者

補足

おはようございます。 どうも私の質問のしかたがまずかったようです。 おっしゃるとおりです。 布衣の人が就く役職、及び諸太夫の人が就く役職・・・。 それを教えていただけたらと思いました。 成程、軍隊は頷けます。 ではこれを徳川初期に置き換えるとどうなりましょう?

その他の回答 (2)

  • fumkum
  • ベストアンサー率66% (504/763)
回答No.3

徳川幕府の職制も多岐にわたりますが、現代の会社に置き換えると、布衣役は課長級、諸大夫役は部長級に相当すると思います。取締役が若年寄・京都所司代・大阪城代あたり、代表取締役が老中、側用人・御側御用取次が取締役秘書室長程度と思います。ただし、以上はおおよその傾向で、個人や時代により力関係は変化します。 さて、本題に戻って幕府の役職には大きく分けて大名が就く大名役といわれる職と、旗本が就く旗本役といわれる職に分かれます(御家人層が就く御家人役というべき役職群もあります)。この旗本役の内、最も格の高い役職が諸大夫役で、位が従五位下で小大名並みでした。諸大夫役より格が落ちるのが布衣役で六位相当ですが、いずれも旗本役中でも数が少なく、顕職であり高級官職とも呼ぶべき存在でした。また、御側御用取次などのように旗本が就任しながらも大名に累進しやすい職や、大番頭や大目付のように初期には大名が就任し、その後旗本役になった職もあります。 諸大夫役に就任する場合、従五位下に叙位され、相当の律令官職に任官し、河内守などを名乗ります。布衣役の場合、布衣の着用を許され、6位に任官したものとみなされました。諸大夫役とはその役職に就任すると諸大夫に任官される役職群であり、布衣役も同じです。 幕府の組織図でいえば、将軍に直接つながる大老・老中・若年寄・寺社奉行・奏者番などは大名役ですが、老中・若年寄の直接支配(直属の部下)はほとんど旗本役であり、おおよそ老中支配は諸大夫役が多く、若年寄支配は布衣役が多い傾向にありました。ただ、若年寄支配でも将軍に近侍する小姓頭取・中奥小姓・小納戸頭取などと、軍事組織の花形である小姓組番と書院番(合わせて両番といいます)の長である番頭は諸大夫役です。 詳しくは下のページで確認してください。 幕府主要役職リスト http://www.interq.or.jp/jazz/rhinoda/edo/bakufu1.html 江戸幕府役職辞典 http://homepage1.nifty.com/kitabatake/edojob.html# 布衣 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%83%E8%A1%A3 以上、参考まで。

noname#180427
質問者

お礼

おはようございます。 会社に例えてとても分かりやすいお答えです。 出典リストも教えていただき参考にさせていただきます。 お忙しい中、本当に有難うございました。 お二人がベスト・アンサーと思います。 残念なことにお一人にしか差し上げられません・・・。 2度にわたって、お答えをいただいたfujicー1990さんいと思います。 お許しください。 本当に有難うございました。

  • fujic-1990
  • ベストアンサー率55% (4505/8062)
回答No.2

補足を拝見しました。  中学か高校の歴史授業で、八代将軍吉宗の事績として、目安箱とともに「足高の制」を習ったと思いますが、あの制度が必要だったことからも分かる通り、江戸時代の役職は官位ではなくて、おおむね「禄高」で決まっていました。  「あの仕事(例えば江戸町奉行)をさせるには官位が低いので、官位を上げてあげよう」という発想にはならず、「その仕事をする間、禄を足して、その仕事ができるようにしてやろう」という発想になったわけですから。  ですから、厳密に言うと、「布衣向きの役職」「諸大夫向きの役職」というのがあるわけではなくて、「禄高500石の家向き役職」「禄高2000石の家向き役職」というのがあった、ということになります。  で、ご希望ですので、結果として布衣や諸大夫の人が就いた役職のうち、手元の資料にはっきりと諸大夫、布衣と書いてあるものを転記してみます。 大番頭    5000石  諸大夫 大目付    5000石  諸大夫 江戸町奉行 3000石  諸大夫 勘定奉行  3000石  諸大夫 作事奉行  2000石  諸大夫 普請奉行  2000石  諸大夫 京都町奉行 1500石  諸大夫 禁裏附    1000石  諸大夫 大坂定番  3000俵  諸大夫 小姓頭取  300~1000石 諸大夫  (小姓 2年で 500石 諸大夫) 御納戸頭取 1500石  諸大夫 勘定吟味役  500石  布衣 諸国代官   さまざま  布衣 小普請支配  3000石 布衣 旗奉行    2000石  布衣 鎗奉行    2000石  布衣 百人組頭   3000石  布衣 持弓頭    1500石  布衣 持筒頭    1500石  布衣 鉄砲方     300俵  布衣 目付      1000石  布衣  写し間違いがないとは言えないので、出典を書いておきますと、稲垣史生著の時代考証事典です。 > ではこれを徳川初期に置き換えるとどうなりましょう?  ご主旨がよく分かりませんが、江戸幕府は、徳川家発祥の地というか、松平家だったころの家の職制をそのまま幕政に持ってきたということですので、多少対応禄高が変わっているかもしれませんが、レアケースだろうと思います。  例えば、武鑑には、家康が京都で儀式に参列していて、盛装のまま小便をしたくなった場合に小便用の竹筒を差し出す役とその仕事に就いている(作法を伝える)家の名が連綿として幕末まで載っていたそうです。   それほど制度を変えなかったのだそうです。  したがって、江戸初期に「置き換える」までもなく、そのままだろうと思います。  

noname#180427
質問者

お礼

再度のお答えをいただき、恐縮しております。 実に良く分かりました。 併せて出典も教えていただき、感謝いたしております。 お忙しい中での回答・・・本当に有難うございました。 とても参考になりました。

関連するQ&A

  • 柳沢出羽守と松平出羽守の両立は武家名乗り?本物は?

    勉強になっております。語句など知識に間違いがあれば遠慮なくそれもご指摘下さい。最適な用語を学びたいと思っています。 1.出羽守の官職を持つ、公家がいたのでしょうか。 2.出羽守に限らず、○○守、○○介など武家と官名が重複する官職を持つ公家がいたのいたのでしょうか。 3.江戸時代の武家官位は員外官とありますが、同時に、それは官職ではなく、官名だけだとあります。そういう名前だけものを員外官というのでしょうか。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%AE%B6%E5%AE%98%E4%BD%8D 禁中並武家諸法度で決められてからの名乗りに代わる言葉、「武家官位」などという後世の歴史用語でない、他の言葉がありませんか。法度では何かしらの言葉で表現されているはずですが、武家の官名なのでしょうか。「名乗り」は公式用語ではないように思うのですか。 ちなみに名乗りとは位階も含まれるのですよね。すると、 4.言葉遣いに苦慮される人は多いと思うのですが、 官名と言えば「○○守」などを指す言葉として歴史話が通じるのでしょうか。律令制の地方官の官名に限った用語はないのでしょうか。 5.武士の間では、官名を、どのように呼んでいたのでしょうか。会話としては「そちの名乗りはなんじゃ」と言っていたのでしょうか。幕政上の公式では「そちの官職はなんじゃ」でしょうか。 幕府と朝廷では公式には何という言葉で事務処理されていたのでしょうか。 6.柳沢出羽守も、松平出羽守も、勅許を得ているはずですから、 (先のリンクより) 「そのまま官途名として認められた位記・口宣案」については、いくらでも発給できたということになりますよね。朝廷側の名簿はなんというのですか。やはり武家専用の別の名簿ですか。やりたい放題の名簿。 8.しかしながら、将軍の官位、例えば、正二位、内大臣、右近衛大将、征夷大将軍は、官名だけでは、ありませんよね。しかし松平出羽守は武家官位で名前だけ。朝廷的に、本物と偽物が混在しているということになりませんか。大名は本物で、幕臣陪臣は「武家官位」。ひょっとして、幕末の小栗上野介はもちろん名前だけの武家官位だが、高家旗本の吉良上野介は、朝廷からもらった本物だったから、高家と言えるのであって、実力のある官位だったとか? 9.素人ながら「武家の官位」の上下には敬意を感じぜずにおられなかったのですが、それが「武家官位」であれば、朝廷的には、本来の物とは別の名ばかりの代物だったわけですか。その権威が武士社会では有効だったということでしょうか。 柳沢出羽守と松平出羽守の重複問題は、官職の重複自体には、何の問題もなかったということですよね。幕政上、区別できなくなるというだけのことですよね。 公家の方にも出羽守がいるとすれば、公家では○○守の官名の重複は許されませんよね。律令国に一人ですからね。 部分的で結構ですので宜しくお願いします。

  • 左衛門尉

    左衛門尉という職は、武家に好まれたようですね。 官位相当表によると 左衛門大尉 従六位下 左衛門小尉 正六位上 となっています。 しかし、一般の大名などは五位なのですから、官位と官職が合わない気がします。 官位相当制の例外なのでしょうか。

  • 従三位中納言と正三位参議どっちが上?

    江戸時代の武家の官位は複雑です。 位階が低くて官職が高いのと位階が高くて官職が低いのが存在しているようです。どっちが上ですか。 1)従三位中納言(水戸家)と正三位参議(典厩家) 2)正四位下参議(前田家)と従三位中将(尾張、紀伊初官) 3)従四位上中将(島津、伊達極官)と正四位下少将(水戸、前田家初官) 4)従四位下少将(国持大名極官)と従四位上侍従(越前松平家初官)

  • 公家の位階について

    よろしくお願いします。 1,一般的に、江戸時代には公家の家格は固定すると聞いています。しかし、分家などした場合は、やはり官位が下がるわけでしょうか?  2,そもそも江戸時代の間に、公家の分家がそんなにたくさん出来たとも思えませんが、次男や三男はどうなっていたのでしょうか? 3,家格が定まったと言われる江戸時代でも、上がるのは基本的に無理でしょうけども、反対に没落する家(たとえば殿上人から地下みたいに)というのはあったのでしょうか? 4,上位の公家が、官職を兼任するのはよく分かるのですが、下位の大夫、または地下の官人でも兼任は多かったのでしょうか? 5,そもそも江戸時代の朝廷を構成していた公家・官人はどのくらいいたのでしょうか? まさか律令の規定通りの人数をそろえられたとは思えないのですが・・。 以上、たくさんありますが、ご存じのものがありましたら、気が向いたもの、お一つでもお答え下さると助かります。

  • 五騎の騎は馬一騎?

    1室町時代から戦国時代に関する小説や現代語訳された古文書などに「土岐山城守手勢五騎」などと出てきます。 この場合の五騎とは馬に乗れる身分の上級武士の数でしょうか。また一騎につく下級武士や雑兵の数は、地域によって異なるのでしょうが、何人ぐらいいたのでしょうか。 2江戸時代千石未満の旗本でも「近江守」のような官職名を持った人がかなりいたようですが、この場合官位は従五位の下などに相当する程度のものだったのでしょうか。だとすると、同じ官位を持った小大名と同格だったのでしょうか。旗本が詰める江戸城での部屋は帝鑑の間ではなと思いますが、同格だと廊下で小大名とすれ違ってもお互い会釈で済ませていたのでしょうか。言葉遣いなども同等だったのでしょうか。 わかる方、ご教示ください。

  • 太政大臣の権限。

    かつて日本には太政大臣があることは知っています。特に朝廷での官職での太政大臣の権限は どれ程あったのでしょうか? 明治維新前後の日本でも太政大臣のポストはありましたが呼び名は『だじょうだいじん』という呼び名です。それも三条と言う公卿が一時的になっただけです。 (1)太政大臣の呼び名が『だいじょうだいじん』という名であった頃の立ち位置どうなんでしょうか? 武家での太政大臣は平清盛、足利義満、豊臣秀吉、徳川家康、徳川秀忠、徳川家斉。 特に徳川秀忠や徳川家斉は本格的に江戸時代になってからと認識してます。 (2)また、豊臣秀吉も太政大臣を頂点とした武家官位制考えてたともありました。本当でしょうか? (3)太政大臣は世襲できますか? (4)太政大臣の引退後の呼び名はどう呼ばれるのでしょうか?征夷大将軍は大御所。関白は太閤など。 (5)太政大臣は関白や摂政と兼任しないと権力の立場が不安定なのか? 5つ質問の回答をお願いします。

  • 代官山の都市空間形成の歴史について(12軒道路)

    閲覧ありがとうございます。 質問はタイトルの通りで、現在代官山の武家屋敷について調べています。 その中で、旧山手通り沿いが屋敷街で、通りの両側に屋敷が12軒しかなかったことから12軒道路と呼ばれるていた、という史実を知ったのですが、その具体的な対象、範囲が判然としません。 以下は、旧武家屋敷が表示されているマップですが、どれが該当するのでしょうか? あるいはマップ外に及ぶのでしょうか? http://daisukikai.org/wp/wp-content/uploads/2012/06/72c2db8665dad3fa850acb9d8206f843.pdf また、江戸から終戦までの代官山地域の空間・都市地域形成に関心を持っております。 武家屋敷が現在の市街地に与えた影響や、武家屋敷以外の土地がどのように利用され発展してきたのかなど、何かご存じであれば併せてご教示頂ければ幸いです。 よろしくお願い致します。

  • 履歴事項全部証明書について

    履歴事項全部証明書の項目について、いくつかご質問させてください。 ①株券を発行する旨の定め とは、株券を発行するかしないかに関する定めでしょうか? 旨はどう理解したらいいでしょうか? ②取締役会設置会社に関する事項 これはどう理解したらいいでしょうか?  隣の「取締役会設置会社」と書いてあるのは、この会社は取締役会設置会社である って理解で宜しいでしょうか? ③監査役についても、②番と同じ質問です。 外国人です。 ご教示のほど、よろしくお願いいたします。

  • 官位

    従三位とかの官位は今も 国家に功績があった者に贈られているようですが 関連のHPがあったら教えてください

  • 会社法831条1項について

    法律初学者です。 会社法831条1項にある「当該決議の取消しにより取締役、監査役又は清算人(…)となる者も、同様とする。」の「当該決議の取消しにより取締役、監査役又は清算人(…)となる者」が、理解できません。 これにつき、極めてやさしくご教示願います。