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日本はなぜアメリカと戦ったのですか?

日本はなぜアメリカと戦ったのですか? 優秀な明治人は清ロシアに勝利しましたが 昭和初期日本人はミッドウエイで完敗したのでしょうか? 戦力人材とも圧倒的に日本有利だったはずです。 少なくとも対ロ戦よりはるかに有利だったと思います。 上海人にはとても不思議です。

  • 歴史
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みんなの回答

  • gonveisan
  • ベストアンサー率20% (477/2365)
回答No.9

日露で勝った制海権をとっただけ 中国で陸戦でかっただけ 本国までせめられてない 日本借金して戦争している これ以上戦争できない状態 樺太の半分の割譲だけ この為国内では暴動が起きている 講和しただけ アメリカとの戦争 内閣 軍人上層部でアメリカとの国力差を知らないものはいなかった。 日米交渉外務省にじゃまされ頓挫 詳しくはいわくろひでお http://iwakuro.com/ 半年一年は暴れてみせる その後は知らない責任はもてないという事。 海軍の山本が当時の首相近衛に語った事 国内の石油の備蓄アメリカ産の石油で三年分 戦争継続の為の物資の計画 神重徳大佐の部下が作製を命ず これにより戦争にゴーサイン しかしこれは条件が破綻すれば反故になる計画 現実そのとうり ミ島海戦 連合軍に暗号解読攻略場所が特定されていた にせ電報により AFはミ島の事 だからアメリカ軍に先の海戦で損傷した空母を 特急で修理しながら工員も乗っていた 戦場にに向かう空母3隻 日本海軍米国空母は多くても<2隻  先の海戦珊瑚海での損傷空母は1月は出てこれないと予想 大和以下攻略部隊の敵艦隊の出現の情報は 機動部隊に無線封しで知らせてない 以上空母が存在の有無と索敵と ミ島攻略飛行隊の空母の帰還とアメリカ空母の発見とが、かさなり 空母攻撃隊を直ちに、発艦させると、その間にミ島攻撃隊は 海に不時着することになり、ミ島攻撃隊を収容してから 攻撃隊を発艦させるあいだ 味方母艦直援機護衛機が 魚雷を積んでいるアメリカの雷撃機を攻撃為低空まで降りている その間隙何も妨害されず 帰りの燃料ぎりぎりの、急降下爆撃機に攻撃され、空母は被弾した 護衛機はよく活躍したと思います 防空システムが上空低空と分かれていたら と後知恵ですが、残念です 1隻のこり敵空母損傷させたが反撃され撃沈された 教訓情報戦だったと思いますよ

回答No.8

質問者の誤解の指摘から入ります。 >戦力人材とも圧倒的に日本有利だったはずです。 これは根本的に間違っています。 日本が勝てないことは、政治、軍事のトップは十分に認識していました。 だからこそ「何故戦ったのか?」という質問の意味が重要になるのです・ なぜ負けることが解っていた戦争にあえて突っ込んだのか?」という不思議です。 これについては最近ようやく答えが出ました。 NHKの放送で、国民が熱狂的軍国主義に陥っていたからだ、ということです。 本当は戦争をしたくなかった政治軍事のトップも、国民のこの熱狂に圧倒されて、いまさら戦争をしたら負けるに違いない、とは言えなくなったのです。 なぜ国民がこんな軍国主義に陥ったのか?と言えば、「近代」とか「民族主義」の問題です。 現在の中国、韓国の近代化と民族主義の状況をみればこの情熱が如何に理不尽なものか理解でします。 日本も含めて、近代化と民族主義には注意が必要です。 また理不尽な戦争が起こらないとも限らないからです。

  • TANUHACHI
  • ベストアンサー率31% (791/2549)
回答No.7

 実際に日本がアメリカと戦火を交える切っ掛けとなるのは日露戦争にまで遡ります。日本とロシアの間での戦争がどうのこうのといったレベルの問題ではありません。ポーツマスの講和会議を仲介したのはアメリカで、そのアメリカがなぜ極東のシベリア横断鉄道の敷設権問題に出しゃばって来たのか。この辺を史料から辿ってみればお判りになるはずです。  ゲーム感覚で歴史を眺められては堪ったものではありません。日露戦争に勝利したとの判断ですが、これも誤解。講和条約の内容をみてみれば、戦勝国にとってのメリットなど微々たるものでしかありません。そのために国内では臥薪嘗胆を叫ぶ一部熱狂的なナショナリストが煽動する形で焼き討ち事件などが発生してます。  それを誤解した軍部や一部の政党人・マスメディアは「我が国はロシアと戦って勝った」などと臆面もなく口にしていますが、当時の戦費は17億円、それも全て外国からの借金で賄ったとのお寒い背景もあり、それを指摘した高橋是清は2.26事件のテロ行為により落命します。  更にもう一つ条件を付記するならば、当時の日本国内は昭和恐慌のまっただ中にあり、実を言えば戦争どころではなかった。これを回復させるための目的で戦争を始めたならそれこそ本末転倒です。全てを国内で調達できるアメリカと比較して日本は鉄や銅といった金属資源も石炭石油のエネルギー資源も全て海外に求める以外の手段てなどなかった。ここに天地ほどの差があることなど一目瞭然です。  アメリカ国内ではウォルト・ディズニーが『白雪姫』をオール・カラーで製作していたのに対し、日本国内での映画といえば未だモノクロそれも同じものを俳優を換えて作っていた程度です。国力と民度いずれにしても比較になりません。そして現在、司馬遼太郎などの物語を「歴史」として受け止めてしまう貧困な歴史観がジワジワと認知されつつあるそのこと自体に私は恐怖感を感じざるを得ません。

  • mekuriya
  • ベストアンサー率27% (1118/4052)
回答No.6

そうですね。上海人が不思議に思うのも無理は無い。なんせ当の日本人でさえ、ほとんど理解している人がいないことがあります。 それは明治と昭和では、日本の中身がまるっきり変わっているということです。明治の日本を指導したのは薩長の武士です。陸軍は長州閥、海軍は薩摩閥です。日露戦争では陸の乃木 海の東郷といわれた。陸の乃木こと乃木希典は長州藩の支藩である長府藩士でした。第二次長州征討では山縣有朋指揮下で軍功を挙げ、明治維新後は、不平士族の反乱を鎮圧するなどの活躍をした。そういう百戦錬磨の経歴がある。 では海の東郷こと東郷 平八郎はどうか。東郷は薩摩藩士で、薩英戦争、戊辰戦争などに従軍した。この両雄は、実戦経験が豊富なだけでなく、それぞれドイツ留学、イギリス留学を経験するなど教養の厚みも違う。軍だけでなく政治も藩閥政治、元老政治といわれながら、薩摩藩士、長州藩士が指導的地位にいました。伊藤博文、桂太郎は長州藩士、山本権兵衛は薩摩藩士です。 明治日本を牽引したのは紛れも無く長州藩と薩摩藩の士族です。 それが昭和になってどう変わったのか。 1922年の山縣有朋の死が象徴しています。山縣有朋が大御所として睨みを利かせていた時代の日本は、統制がとれていた。しかし、その後は衆愚に迎合した政党政治家が泥沼の混迷を演出してしまうのです。 山縣有朋の死去の前後に日本の転機となる出来事がいくつも起きている。 1921年バーデン=バーデンの密約、日本労働総同盟発足 1922年日本農民組合結成 1923年日英同盟失効、関東大震災 明治は武士の時代であり、昭和は労働者と農民の時代であるということなのです。 バーデン=バーデンの密約とは何か。東條英機一味が陸軍改革を誓った秘密会合です。表向きはそういうことなんだけど、要は長州閥の追い落としを企んだ謀略です。東條は盛岡藩の能楽師の家系で、父親が出世できなかったのは長州閥のせいだと逆恨みしていたのです。盛岡藩は戊辰戦争で明治新政府に抵抗し賊軍となっただけに明治時代は冷遇されていた。満更逆恨みともいえないのかも知れません。 満州事変を首謀した石原莞爾は山形県出身、板垣征四郎は岩手県出身です。 昭和の軍人は、明治時代とは逆に戊辰戦争で賊軍となった藩からばかり出ているのです。 東北の百姓が米作りに専念している間は日本は平和だということです。

  • nishikasai
  • ベストアンサー率24% (1545/6343)
回答No.5

>昭和初期日本人はミッドウエイで完敗したのでしょうか? 普通、日本では昭和初期と言うと昭和一ケタ時代を思い浮かべます。でも貴方は上海の人だそうですからまあ初期でも構いません。 ミッドウェーは確かに貴方の仰るように日本は完敗しました。原因は山本五十六長官の指示がいまいち伝わっておらず現場は長官の指令とは違う行動をとってしまったからだと思います。 でももういいです。いま日本は平和な国になったんですから。勝ってたら、いい面もあったでしょうけど、現在の平和な日本はなかった。 先人の犠牲のもとに現在の平和があります。私は毎年靖国神社にお参りします。それは平和な日本を作るために散った先人に感謝するために行くのです。 貴方がた中国の人々にとって靖国神社は疎ましい存在かもしれませんが、我々日本人にとっては平和のシンボルであり、日本の守り神なんです。

回答No.4

開戦時点で負け決定です 鉄の生産量で圧倒的にアメリカ有利 日本は戦艦一隻作るのに約一年かかってたがアメリカは三ヶ月で出来た 日米開戦はだまし討ちみたいな形になったのでアメリカは余計に燃えた しかも日本は航空機戦力を真珠湾攻撃で証明したのに戦艦に頼る大鑑巨砲主義をとった そしてアリューシャン ミッドウェー作戦は暗号解読されてさようなら… 日米開戦の理由は ロシアに勝ったのでアメリカにも勝てるだろっていうアホな考え

  • rokometto
  • ベストアンサー率14% (853/5988)
回答No.3

何故戦ったのか、ですか… 学者みたいな立証はできないけどいいよね。 ヨーロッパでドイツが勝ちまくりイギリスがアメリカにヘルプを出していた。 アメリカは当時中立法があり介入できなかった。 そこでドイツの同盟国日本を挑発しドイツに攻撃する口実を作る一方、アジアからヨーロッパの植民地を一掃し一気に勢力を拡大することを考えた。 日本人は日本語の難しさを過信し暗号に気を配っていなかったが交渉前から全て解読済みだった。 スパイも合わせ日本の内情を完璧に把握し、石油の備蓄が一年分をきったと同時にハルノートを突きつけた。 ちなみに戦力人材とも完璧に劣ってたよ。 明治は職業軍人だったけど昭和はエリートだらけにしたから。 知識はあるけど前線苦労を何も知らず想定外のことが起きればあたふたするだけ。 国から出たこともないような連中が世界地図だけ眺めて決めた作戦なんて成功するはずがない。 序盤勝てたのはアメリカがまずはドイツをつぶしてからと決めてて日本は後回しにされてたから。 何せ鉄鋼の生産量はアメリカが30倍以上だったし。 失敗はもみ消し決して認めなかった。 ちなみに今の官僚と政治家に似てない? だから戦時中の歴史をもっと学ぶ必要があると私は訴えるんだけどね。 同じ失敗を繰り返しかねないから。 しかし日本は臭いものにフタ、徹底的に避け教科書も1ページの記載もない。 そりゃ怒るよね沖縄の人は。

noname#229784
noname#229784
回答No.2

 戦争の理由 ・世界大恐慌、 ・日本の人口余剰、 ・日本陸軍の暴走(満州、日中戦争) ・日本外務省の不手際(ハルノート) ・アメリカの白人至上主義(移民排斥)   理由はいろいろ・・・  ミッドウェイ  ・索敵の不備  ・情報の漏洩   ・空母の耐久性の不足(よく燃える塗料、爆風を逃せない密閉式格納庫)  ・空母が団子状に固まって動いていた。  ・戦艦部隊が空母部隊のはるか後ろ。(空母を中心とした輪形陣形を取るべきだった)  ・空母護衛戦闘機が、低空から迫ってくる雷撃機を相手をしている間に爆撃機にやられた。(戦闘機の無線の不備)

shanhaijin
質問者

お礼

戦力の分散 高空からの攻撃に対する注意不足 ダメージに弱い空母 昭和の日本に明治の日本の骨太さは感じられません。 物量に負けたは負け惜しみですね。 明治の軍人だったらあのような無様な敗北はありえません。

  • AVENGER
  • ベストアンサー率21% (2219/10376)
回答No.1

>日本はなぜアメリカと戦ったのですか? 日本が生き残るため。ABCD包囲網とかハルノートとか調べてみて下さい。 >ミッドウエイで完敗したのでしょうか? ミッドウェイ攻略が予め米軍に知られていたため。そして、索敵不足。

shanhaijin
質問者

お礼

索敵不足 これこそ無能の極みですね。 孫子先生に笑われますね。 必死の思いで対米戦に突入したのにその緊張感が 感じられません。 レイテの小沢提督の覚悟が無いですね。 生存を賭けた者の戦い方では無いですね。

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