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亀岡の自動車事故で検察が
coaiの回答
- coai
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制度論と感情論を同時に話すのは、いかがなものかと思いますがね。 今回の亀岡の事件は、事件関係者のみならず関係のない誰もがやりようのない憤りを感じる事は確かです。 私も例外ではありません。 ただ制度論の質問をして、得られた回答に感情論で納得がいかないと言うのは違うんじゃないかと思えてなりません。 制度論の話は制度論の話、感情論の話は感情論の話と分けるべきでしょうね。 まあ、被害者感情・遺族感情で考えると、何をどうやっても「納得」なんて得られるわけはないでしょう。少しでも「納得」を求めたいというのは判らなくもありませんが。 部外者なのに説明されても「納得いかない」なんて感情論は、署名活動するなり、国政に打って出るなり、自らが司法試験を受けるなりでもしないと、解消しないものなんじゃないですかね。
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お礼
補足に対しての再回答及びに補足の補足欄が無いのでお礼欄にて失礼します。 改めて全回答を読み直してみて思う所があり捕捉させて頂きます。 全回答者が勘違いされている節があろうと思われるのは 「質問者は亀岡の事件に対して過失致死傷が軽すぎると思っている」 と思われてるのではないでしょうか?という事です。 私は亀岡の事故に対して過失致死傷だろうが危険運転だろうがどっちでも良いのです。 "過失致死傷という判断"が納得いかないとは全く言っていません。 その辺を勘違いされているのではないかと思います。 私の言いたいのは【検察が検察だけの判断で勝手に起訴内容を決定するシステム】がおかしいと言っているのです。 裁判に於いて起訴した罪以外での判決が下りるのであれば【とりあえず何で起訴しても構わない】訳であり、 世論や被害者(遺族)の求めるような起訴内容で"とりあえず"起訴すれば良いのではないか?と言っているのです。 それを無視して【起訴内容は検察様が決めるんだよトーシローは黙っとけ】と言わんばかりの、 検察の独裁的な権限は存在してはいけないと思うのです。 それに対して法律家はどう考えているのでしょうか?という質問です。
補足
感情が制度を作るのでは無いでしょうか? 尊属殺が無くなった背景には"どんなに虐げられても尊属という理由だけで執行猶予にならないのはおかしい"という人間の感情で制度が決まった(変えられた)のではないですか? 現状、検察が被害者(遺族)の意志を無視して検察が勝手に決めた罪で起訴するという方法がまかり通っていても、法治国家である以上はそれに従うしかありません。 ただ、そのルール自体が間違ったやり方だという考え方には法律家は行き着かないのでしょうか?