まだマウスから学ぶべきことはある(最後)
(1)Too often, however, scientists consider them models of human disease, as if a manipulated gene or two could actually recapitulate a disease in a different species. Therapies that ‘cure’ a mutant mouse but then fail in the clinic, bring the mouse into disrepute — as recently lamented by Steven Perrin, of the Amyotrophic Lateral Sclerosis Therapy Development Institute in Cambridge, Massachusetts, who has witnessed the phenomenon too many times in relation to this disease (Nature 507, 423–425; 2014).
しかし、常日頃、科学者はヒトの疾患のモデルをマウスで考える。一つもしくは二つの遺伝子操作したマウスが異なる種においても実際にその疾患を再現するかといったように。
変異マウスが「治る」治療方法のほとんどが臨床では再現性がなく失敗に終わり、ケンブリッジの筋委縮性側索硬化症治療施設代表でこの疾患に関する大半の事象の目撃者であるStevenがそのことを惜しむようにマウスは使いものにならないと烙印を押される。
as 以降がどう訳せばいいかわかりませんでした。 lamended が惜しまれっるということから故stevenとしてみましたがたぶん勝手に殺しちゃいけない感じの文章だったので彼も次のようなことを話しているが…的な感じで訳すんでしょうか。それにしてもいいつなぎ方がわかりません。
(2)this makes a big difference to whether the function of a missing gene will be compensated for.
このことは(違う研究室で作られたマウスは当然異なる遺伝子系統であること)一つの欠損遺伝子が本当にその原因遺伝子となるかどうかという大問題を形成している。
という言葉で余計にややこしくなりました。
意味は分かるのですが意味が分からなくなりました。
結局同じ標的遺伝子を壊しても系統が違うから結果も違う=つまりこの大きな矛盾
はしょうがない。
という意味合いは伝わるのですがではマウスの遺伝子操作は意味があるのか?と初めの疑問に戻ってしまいました。
ちなみにこの後はもう一つの矛盾の話をしていてウイルスによる遺伝子編集がこの同じ変異マウスを作ったのに違う結果が世界中のラボで出てきてしまう理由を話しています。
でも結末ではそれらの理由こそがこのレポジトリが必要であることの理由として著者がまとめています。
This is why it is so desirable to have repositories that guard the health and genetic quality of the deposited mice. It is also why the IMPC is so important — by detailing the function of each gene in a standard genetic background, it will provide a necessary source of information for researchers for many decades, and help in the effort to ensure that biological results are reproducible.
こんな感じですが、結局ここでは何が言いたいんでしょうか。
ウイルスが結局遺伝子編集はしちゃうし遺伝子の欠損を同じく標的しても違う結果にもなるのにこれらのことからどいういふうにして再現性が得られる手助けになるのかがわかりません。