(囲碁)ダメ詰め打ち上げ事件の関連で
「26期棋聖戦第5局●柳時薫○王立誠300手完白番中押し勝ち」におけるダメ詰め打ち上げ事件に関連し、教えてください。
この碁は300手(12の十七で黒6子打ち上げ)で投了となったのですが、遡ると、293手目(12の十四)で黒が半劫をつないだ時点で実質的に勝負は終わり(確か黒の3目半勝ちだったはずだとか)、あとはダメ詰め及び手入れを残すのみとなっていたのでした。
しながらこの事件は、結論的には、立ち会いの石田芳夫九段の裁定により、
『294手以降についても293手以前と何ら変わることなく双方が交互に打つべき状況にあったことに変わりはなく、「アタリ」となった石を相手がつがなければ次に打ち上げることが出来る、という当たり前のルールの元に打っていたのであるから、白が打ち上げたのは何ら問題にはなり得ない』、
という趣旨の結論になったと記憶しています。
では何故"事件"となったかというと、黒番の柳時薫が、293手目を打った直後、白番の王立誠に対し、「終りましたね」と言ったつもりとなり、且つ相手がそれに同意したものと勝手に思い込んだ為、294手目以降の位置づけについて二人の間で齟齬が生じたことが原因と聞いています。
そこで、質問です。
当時、293手目を打った時点で、仮に双方が「終わりです」ということについて合意していた場合、あとは淡々とダメ詰め・手入れを実施してゆく訳ですが、この場合(当時ですよ)、
(1)294手目以降は、もはや双方が交互に打つ必要はなかった。
或いは、
(2)ダメ詰めしてゆく段階で「アタリ」が生じたとき、相手がそれをつがず別の所に打った場合でも、打ち上げることをせず、相手がいずれはつぐものとして放置しておく。
というのが当時の"実態"(慣例)だったのでしょうか、教えてください。
論理的には、実態が(1)或いは(2)のようであったと推定せざるを得ません。つまり、(1)(2)ともに「当時、そうではなかった」ならば、何ら"事件"となる余地はありませんよねぇ。
(追記)
「そこで質問です」の上に記述しました部分についても、誤りがあればご指摘いただければ幸いです。
(蛇足)
本件質問の内容に直接係わってはこないのですが、黒番の柳時薫は285手目(所謂「終わりましたね」以前の段階)の10の十九を一度置き直し(置いた後、1回剥がして同じ箇所にまた置いた)しているんですよね。厳密にはこの段階で失格のはずです。審判員の目にも止まらぬ早さだったのでしょうか。但し、王立誠は当然気付いており、その時点ではクレームを付けなかったが、最後の打ち上げが問題になったとき、「前もあったんだよねぇ。だから」というような意味のことを発言したのを覚えています。当時私は「前も」という意味が分からず、「以前の対局のときも」ということかなと思っていたのですが、実は「本局285手目」のことだったのですね。