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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:《ネット人格》なんて 別の人格があるのですか?)

【ネット人格とは】あなたは知っていますか?ネット上でもう一つの人格が存在する!

このQ&Aのポイント
  • ネット人格とは、現実の自分とは異なる人格がネット上で存在することを指します。電話や手紙と同様に、ネット上でも人格が変わることがあります。
  • ネット人格には、現実の自分とのギャップが生まれることがあります。人々はネット上で自分を別の人格として表現することがあり、その人格に対して意見や感情を持つこともあります。
  • ネット人格の存在については、賛否が分かれています。一部の人々はネット上での人格の変化を楽しんでいる一方で、他の人々はネット上での人格の偽りや誤解を問題視しています。

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回答No.67

こんばんは。No.14,16 あともなどすです。ぶらじゅろんぬさんと同じく「人格はひとつ」の立場から「ネット人格」といわれる事情を,性格と人格の用語の混同としてまず回答し,人格の一性の法的要請を補足したものですが,不文律も重視しており倫理的要請等にも同意しています。そして私自身も人格と性格がよく分かっていないと述べました。その後,人格について考察を深めましたのてこれを述べたいと思います。 (1)個人人格の認識  ものを見る働きには「違う」と「同じ」があります。「違う」とみれば「同じ」と見えない。「同じ」とみれば「違う」と見えない。「違う」と見れば「多」になり「同じ」と見れば「一」になります。 思いつきでは「多」と「一」どちらかにしか見えないけれど,思いつきから自由になれば「どちらで見ようか」と問うことができ「多としてばかり見ていたから一として見よう」と答えることができます。また逆に「一としてばかり見ていたから多として見よう」とすることもあります。  どちらにでも認識可能だという答え(相対主義)があるので,どちらに認識可能かという問題意識は私にはありません。当為の問題として「どちらで認識すべきか」が私には意識されます。人格のごとき抽象的概念は「一」か「多」を恣意的に決めたものだという考え方をします。人格というのは「一」として要請,構想されたものという考えです。  ところでガリレオでしたか,科学の方法には分析と総合があるといっています。「一」から「多」に認識を変えるのが分析,その逆が総合にあてはまります。「一」なる人格を分析によって「多」と認識されるものは,部分人格といい,性格性の消失直前の深さまで分析されたものは性格(単位)といえるでしょう。この性格単位には多種の外延があります。  さらに深くなるとよく分からなくなります。身体的特徴,習慣,行為,しぐさ,態度,表情等外面的な手掛かりを失うために内面的観点から分析することになると思います。ここではそれを保留しておいて,人格全体の「一」と人格構成単位の「一」が規定できた時点で,「多」なる単位の「一」から総合して統一的性格群をつくり,徐々に全体の「一」に向かいます。この過程の把握が人格形成の認識に寄与します。 (2)個人人格の形成  社会と個人の関係を双方向から眺めてみます。まず社会の側から個人の人格を眺めれば,一つずつ性格的特徴が現れ,眺めた個々個人の内側ではそれが性格群として統合されていきます。眺めた者同士,その人格に関する主観を交えれば客観的なものに変わっていくでしょう。社会の主観客観入り混じってはいると思いますが,それをもって眺めた側が対象人格である個人に接するので,個人は社会から自己の人格を規定されていくといえます。  たとえばイエスの人格が超人的人格に形成されたのは,処女懐胎等を信じた社会がイエスの人格を超人的なものに規定したという考え方を容易にもつことできます。また,超人的人格を認めぬ社会が存在しても当然とことと解釈できます。二つの社会が十字架にシンボライズされているのかどうかは分かりませんが,十字架上のイエスは二つの社会の狭間で社会的人格規定によって人格分断を経験しているかに思えてきます。  さて,気をとりなおしてもう一方ですが,自己規定的な人格形成は,社会からの影響に端を発して社会への適正化によってなされる自発的なものと考えられます。個人はある性格を,統合性格群に受容してより多様性のある統合とするか,統合性格群から排除してより統合性のある統合とするかを取捨選択,試行錯誤しながら適正化を常に図っていると見られます。  このように,人格は状況により変じ,時とともに拡大成長して,あるいは場合によっては縮退して,形成されていくのだと見ることができます。いいかえれば社会環境と個人の相互作用によって個人の人格が形成されることは上の様な理解に基づいています。(逆の働きである個人⇒社会と,自然環境と個人の相互作用による人格形成については考えが定まらず,保留しておきます。) (3)個人の創作的人格  「ネット人格」にはどうやら創作的含意があるようです。これに異をとなえるつもりは有りません。むしろ人格は形成的であるから創作的であるといっていっこうにさしつかえません。人格という概念に,「創作性をもつもの」という内包があることを認めます。  創作的人格を考える上で,ここでは即興劇の役柄と役者の人格をたとえにしようと思います。役柄と役者の人格で創作性を比べれば前者がより創作性を持ちます。「リアル人格」などという言葉がでてきましたから現実性で比べてみますと,後者がより現実性を持つといえます。  ここで鑑賞者の観点からこんなことが言えます。濃厚な性格を演じる主役グループに対して,希薄な性格のエキストラ,いずれに人格を認めるかというと前者です。しかし,主役といえども役者が大根ではつまらないです。想像世界に没入できず,現実世界に引き戻される感があります。役柄の創作的性格が希薄になり,役者の現実的性格が濃厚であるということです。それて現実的人格を見てしまうということです。  演技者の立場から見た場合も同じようなことが言えると思います。現実の役者性格を極度に希薄にして創作の役柄性格を極度に濃厚にした時に,役者経験がないため強く主張はできないですが,役者は役柄の人格に成りきったと自覚すると思われます。 (4)人格対象への個人人格の自己投影  創作人格とは(3)で述べた役柄のようなものであり,そこに役者の人格を投げ入れなければ,鑑賞側,演技者側どちらで眺めるかにかかわらず,人格なるものは見えてこないといえると思います。  現実人格も形成的であり創作的であると言いましたが,現在の人格が拡大成長する場合,新たな性格が統合化されるはずです。その性格が社会からの働きで形作られたものであるにせよ,社会への適正化を図るため自ら創作したものであるにせよ,そこに現実的人格を覆いかぶせなければ社会側,個人側どちらから眺めるにかかわらず,現実的人格とはならないのです。  創作人格は,いわば現実性をもたない空虚な性格群に,現実人格を投影し,現実性を持たせることによって現実的となるのです。現実人格の現実性に依存する限り,創作人格はよく言ったところで現実的人格どまりであって,現実人格では有り得ないのです。   以上の考察から,「ネット人格」が人格といわれる事情は,以下にまとめたことの理解もなく表現されたということだと思うのです。 ○「現実的部分人格(顕在面は現実的性格群)」は人格ではなく「現実人格(顕在面は現実性格群)」(発信側/受信側)ただひとつが人格である。 ○「ネット人格」と「リアル人格(発信側/受信側)」の関係は,投影客体と投影主体の関係であり,投影主体の内に統合されるものである。すなわち,投影主体ただひとつが人格である。 ○人格の単一性は,当為認識性によって与えられる。それは社会との相互作用性,形成性・創作性,投影性ら妥当と思える人格観に反するものではない。それどころか人格の単一性はそれらを基盤とするような特殊な単一性であるといえる。

bragelonne
質問者

お礼

 あともなどすさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。  (1)個人人格の認識  ★ (人格全体の「一」と人格構成単位の「一」) ~~~  人格全体の「一」と人格構成単位の「一」が規定できた時点で,  「多」なる単位の「一」から総合して統一的性格群をつくり,徐々に全体の「一」に向かいます。  この過程の把握が人格形成の認識に寄与します。  ★ (人格構成単位のそれぞれの「一」) ~~~   ・《内包》:身体的特徴,習慣,行為,しぐさ,態度,表情等      ☆ 生活態度は 思想である。   ・《外延》:表現されたもの。日記。虚構作品でもよいかも知れない。      ☆ ジキル博士にとってハイド氏は 外延か?        おそらく内包だと思われる。      ☆ 旅の恥はかき捨てというときの旅人なるわれは 外延か?        外延として扱いたくなるところのやはり内包。  ~~~~~~~~~~~~  (2)個人人格の形成  この箇所で明らかにされた議論は 次のわたしの文章をおおむね敷衍してもらったものと思います。  ☆☆(No.13お礼欄) ~~~~   1. 人格は 《わたしがわたしである》ことの――つまり自己同一性なるその自己の――自己表現にある。別様に言うと その自己表現としての歩き方にある。文体と言う。   2. つまり 《文体》が・その動態が 人格である。   3. つまりはこの文体は 《〈わたし〉と 〈自然環界なる環境および第二の自然としての社会的自然なる環境〉とのあいだに繰り広げられる相互の問いと答え》 このようなやり取りの過程から形成されると同時に その形成過程そのものである。   4. ただし 文体の主体はやはり《ひと》のほうにあると考えられる。それは ひとえに人間にそなわる自由意志のゆえにだと考えられる。ネットの世界も 言わば《環境》の側であると。   5. 他者なる人間には 自由意志があって 《わたし》と対等にして自由な関係にあるが 環境には 自由意志がないからという単純な理由による。  ~~~~~~~~~~~~~~~  (2-1) 《わたし》が 社会に適応する過程として:  ★ ~~~  自己規定的な人格形成は,社会からの影響に端を発して社会への適正化によってなされる自発的なものと考えられます。  個人はある性格を,〔* おのれの内なる既成の〕統合性格群に受容してより多様性のある統合とするか,統合性格群から排除してより統合性のある統合とするかを取捨選択,試行錯誤しながら適正化を常に図っていると見られます。  ~~~~~  (2-2) 社会が《わたし》を規定する側面:  ★ ~~~  たとえばイエスの人格が超人的人格に形成されたのは,処女懐胎等を信じた社会がイエスの人格を超人的なものに規定したという考え方を容易にもつことできます。また,超人的人格を認めぬ社会が存在しても当然とことと解釈できます。二つの社会が十字架にシンボライズされているのかどうかは分かりませんが,十字架上のイエスは二つの社会の狭間で社会的人格規定によって人格分断を経験しているかに思えてきます。  ~~~~~~  ☆ これはですね。いい方法・いい見方があると思います。  イエスは ふつうの人間であり それと同時にキリストと呼ぶ神の子でありみづからも神である存在(つまり 神格)を持つというふうに《想定した》と捉えれば無理なく 言わばそういう《物語》として《二つの社会》に分断されずに済むと思うのですが?  マリアは 人間イエスを夫となるべきヨセフとのあいだにもうけたふつうの女性としての人間であると同時に 神の子キリストを聖霊なる神によって身ごもったつまり処女懐胎した女性としての人間である。と イエス・キリストの想定から 派生して想定される。物語のふくらみ。  (2-3) ★ (逆の働きである個人⇒社会と,自然環境と個人の相互作用による人格形成については考えが定まらず,保留しておきます。)  ☆ たしかにわたしの文章も 扱っていません。自然環境との応酬はおもしろいかも知れません。がなにぶん資料を集めなければならないでしょうね。    このあと (3)(4)については 分けて考えてお応えしてまいります。

bragelonne
質問者

補足

 お礼欄から続きます。  (3)個人の創作的人格  (4)人格対象への個人人格の自己投影  これら二つの事柄については 合わせて捉えて見てみます。  特に《演技》論などについては 試みの議論です。    (3-1) 《創作性》について  ☆☆(お礼欄 人格の定義) ~~~  3. つまりはこの〔動態であると捉えた人格としての・また人格を成す自己表現そのこととしての〕文体は 《〈わたし〉と 〈自然環界なる環境および第二の自然としての社会的自然なる環境〉とのあいだに繰り広げられる相互の問いと答え》 このようなやり取りの過程から形成されると同時に その形成過程そのものである。  ~~~~~~~~  ☆ このとき《文体》なる自己表現に《創作性》があるかという問いが取り上げられる。すなわち  ★ 「ネット人格」にはどうやら創作的含意があるようです。これに異をとなえるつもりは有りません。むしろ人格は形成的であるから創作的であるといっていっこうにさしつかえません。人格という概念に,「創作性をもつもの」という内包があることを認めます。  ☆ と。  おそらくこの《創作性》は われと環境とのやり取りにおいてわれがおこなう想像力のみによる表現すなわち《虚構》のことではないかと見られます。あるいは むしろ直接的にそのような想像力のいとなみとしての《試行錯誤》であると。そこに一編の物語や人物像をかたちづくるようなまとまった部分も出来ていると。  もしそうだとして そのときには 人物像なり物語なりの《表現されたもの》としては すでにわれなる人格の外延になったのではないかと考えます。それに対して 創作性というときのその想像力や構想力としての能力 これは 人格に内包されているであろうと見ます。文体としては・つまりは文体の歩き方( basis )としては 創作力を内包し それを表現したもの・つまりは表現=外化=疎外したものは すでに外延となっている。  あたかも創作によって成ったものとしての子は 親にとって――人格は異にするも―― 社会的生活における共生者としては一体である。無条件にあたかも自分のことのように思える。人格にとって《外延》は そのような一面をも持つと思われる。  (3-2) 創作性にちなんで《演技》について  ★ 創作的人格を考える上で,ここでは即興劇の役柄と役者の人格をたとえにしようと思います。役柄と役者の人格で創作性を比べれば前者がより創作性を持ちます。  ☆ 《役柄》あるいはむしろ《演じられたもの》は 外延です。その創作力ないし演技力は 内包です。  そして 人は 役者になっても 人生全体をつうじての《ひとつの人格》です。  (3-2-1) ここから演技論については わたしの推測を交えた試論です。  ★ ここで鑑賞者の観点からこんなことが言えます。濃厚な性格を演じる主役グループに対して,希薄な性格のエキストラ,いずれに人格を認めるかというと前者です。  ☆ ここで言う《人格》は 人格の外延のことです。表現されたものです。いづれに認めるかというのは もし認めがたいという場合には その外延としての表現されたもの=つまり演技が その内包としての表現力=演技力とともに 稀薄であったのだと。このことは 主役・脇役・エキストラの別無く 次にも当てはまりそうです。  ★ しかし,主役といえども役者が大根ではつまらないです。想像世界に没入できず,現実世界に引き戻される感があります。役柄の創作的性格が希薄になり,役者の現実的性格が濃厚であるということです。それで現実的人格を見てしまうということです。    ☆ さらには  ★ 演技者の立場から見た場合も同じようなことが言えると思います。現実の役者性格を極度に希薄にして創作の役柄性格を極度に濃厚にした時に,役者経験がないため強く主張はできないですが,役者は役柄の人格に成りきったと自覚すると思われます。  ☆ ここです。わたしの推理ですが そしてすでに一度述べてもいました。つまり  ☆☆ (No.20お礼欄) ~~~~  すなわち 《役者が別の人格に成りきっている》のもそれは大きく《演じている》のだと考えるというものです。というのも――わたしも素人として言うのみですが―― 役者というのは ほんとうに役者なのであって 真に迫る演技というのは ほんとうに《演技をしている》のだと思います。つまり早く言えば《うそ》なのです。言いかえると ウソのほうが 真に迫って見えるのであり それがいい役者だということになるのだと。  かなしい表情を表現するとき 心の中でおもしろいことを思っていてもよいのです 役者は。そしてそのように心の思いとは別の表情を演じたときのほうが 《役に成りきっている》と見えるのだと。  ですから これは これだけでひとつの主題を形成しますので とりあえずここまでとします。  ~~~~~~~~~~~~~~  ☆ つまりはここで あともなどすさんの次のお考えに対立するかたちです。  ★ 現実の役者性格を極度に希薄にして創作の役柄性格を極度に濃厚にした時  ☆ むしろ《役者であるわれをそのまま保持し その表現力=演技力を思う存分に発揮して》という捉え方です。つまりは《われは役者であるという性格および自覚を 稀薄にするのではなく濃厚に発揮して》だと思ったりします。《役に成りきる》ということは 《その役を自分のもとに引き寄せて来る》のではないかと。  役に入って行くというのは その情況や場面にすうっと入って行く。演技は その役柄を自分のもとに引き寄せているのではないかと。  (4)人格対象への個人人格の自己投影 (4-1) やはり《表現(創作・演技)されたもの》について  ★ 創作人格とは(3)で述べた役柄のようなものであり,そこに役者の人格を投げ入れなければ,鑑賞側,演技者側どちらで眺めるかにかかわらず,人格なるものは見えてこないといえると思います。  ☆ 《ひとつの人格》をめぐって:  ・その内包としての表現力:役者力  ・外延としての表現されたもの:役柄・演技されたもの  両方が相まって 創作性の創作性たる良さやチカラが現われる。芸術性や芸術力と言ってもよいかも知れない。  この芸術性が 《自己投影》という視点からも分析される。  (4-2) 《自己投影》  ★ ○ 「ネット人格」と「リアル人格(発信側/受信側)」の関係は,投影客体と投影主体の関係であり,投影主体の内に統合されるものである。すなわち,投影主体ただひとつが人格である。  ★ ○ 〔* 自己投影されたものとしての〕「現実的部分人格(顕在面は現実的性格群)」は人格ではなく〔* 人格の外延であって〕 「現実人格(顕在面は現実性格群)」(発信側/受信側)ただひとつが人格である。  ★ ○ 人格の単一性は,当為認識性〔* つまり何を表現しどのように自己投影するかに際しての特に志向性 つまりはわれの意志とその判断〕によって与えられる。それは社会との相互作用性,形成性・創作性,投影性ら妥当と思える人格観に反するものではない。それどころか人格の単一性はそれらを〔* 社会的な相互依存の関係が重層的にはたらいている構造的な〕基盤とするような特殊な単一性であるといえる。  ☆ 《わたし》は その自由意志による自己表現ということにおいて――勝手に他人に自分の思いや考えを代弁されては困るといったように―― 社会的に独立した存在である。と同時に その自己表現は 社会や自然との間に互いの問いと答えを繰り返しながらおこなうものであり そこでこそ《わたし》の文体ないし人格が形成されていくと見るからには 社会的に《わたし》どうしが関係しあう存在である。(ちなみに 《関係の絶対性》と言った人もいる)。  人は 社会的な独立存在であると同時に 社会的な関係存在である。網の目(ネットワーク)の結び目であると同時に その結び目をつなぐ《きづな》をも有する。  ちなみに きづな(絆)とは 煩悩のことをも意味させるようになった。まさに関係の絶対性である(!?)。  いささか断言の口調であって まことにあい済まないことと思います。  さらに一段と上の試行錯誤を互いに目指したいと思います。

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その他の回答 (72)

noname#161175
noname#161175
回答No.12

やはりあなたは一筋縄では行かない方だ(笑)。 <強敵出現>ですね。 ・・さて、それでは私からの反論の番ですが、私が先の回答で、 「ネット上での発言は有言実行の原則が完全には成り立たない」 ために、 「ネット上では、相手に自分の事を知られることもなく<逃げる>事が可能である」 と申し上げさせて頂きました点の真意は、 「それ故にネット上には自分の発言に責任を持たない無責任な人間が増えるので駄目だ」 ・・では、<無い>のです。 そうではなくて、私が先の回答に置いて、責任、責任と繰り返し申し上げさせて頂きました所の <責任>と言いますのは、 「ネット上に、匿名性に守られながらも誕生した、 <もう一人の自分>の生は <責任を持って> 全うしなければならないと思う」 と言う意味での <責任>なのです。 つまり私が、ネット上で発言している自分を現実の自分と切り離して考えていると言うのは、私の感覚の中では、ネット上で発言している自分と言う者が、現実の自分の人格の所謂、 <クローン> であるように感ぜられているからなのです・・。 そしてその、ネット上の <クローン>の自分の人格と言うモノは、現実の自分とは違い 「自分が敢えて動かせてやろうとしない限りは、その体に <命の灯> がともる事が絶対に無い」存在なのです・・。 つまり私は、あなたの仰る<答責性の有無>を論点として <ネットの特殊性>を論じたいのでは有りません。 そうではなくて私がネットの特殊性を論じたいのは、ネットが 「一個人の完全な人格的クローンを産み出せるに足るだけの、メディアとしての特殊性を備えている」 と言う点に置いて、なのです。 そしてその特殊性を担保している決定的要素こそが・・ <匿名性> だと言う訳なのです。 ・・まだまだ論ぜねばならない論点は山ほどあると思いますが、 社会人には日々こなさねばならない仕事もやはり山ほど有りますので(笑) 本日の所は、ここまでとさせて置いて頂きます。 それではまた明日(笑)。

bragelonne
質問者

お礼

 ぜふぃるすさん 貴重な時間を割いていただいてのご回答をまことにありがとうございます。  ★ ~~~~  私の感覚の中では、ネット上で発言している自分と言う者が、現実の自分の人格の所謂、  <クローン>  であるように感ぜられているからなのです・  ★ ~~~  ネット上の  <クローン>の自分の人格と言うモノは、現実の自分とは違い  「自分が敢えて動かせてやろうとしない限りは、その体に  <命の灯>  がともる事が絶対に無い」存在なのです・・。  ★ ~~~~~  「ネット上に、匿名性に守られながらも誕生した、  <もう一人の自分>の生は  <責任を持って>  全うしなければならないと思う」  ~~~~~  これらをわたしの言葉でまとめてみますと こうなります。  ○ ネットの世界は 匿名性において成り立っているので いわば《わたし ないしその人格》が それとして分身をつくるかたちとなる。分身の振る舞いについて 《わたし》はおのれの人格のすべてを賭けてのごとく 事後的ににしろ 責任を持たなければならないし それを果たさなければならない。  ということですよね? つまり   ○ 人格は ひとつである。そこには《わたし》がいるのみである。わたしに言わば《あそび》が出来ているが むろんそのぜんぶが わたしでありわたしの人格である。  とおっしゃっているとしか聞こえないのですが?    たとえば その昔――いまでもかも知れません―― 《旅の恥はかき捨て》ということわざがありました。  つまり 旅先では 知った者もいないので そのような知り合い関係――とたぶんそのしがらみ関係――から自由に振る舞うことができる。振る舞いにおいての少々のやり過ぎは 大目に見て欲しい。といった意味ではないかと思いますが これも《もうひとりの――ただし同じ人格の内での――自分》というものであるか それとも《クローン》ないし分身のことを言っていると言えば そうなのかも知れません。  そうして あとは おっしゃるように《ぜんぶ自分であり 自分がおこなった振る舞いである》となります。  ★ ~~~~  そうではなくて私がネットの特殊性を論じたいのは、ネットが  「一個人の完全な人格的クローンを産み出せるに足るだけの、メディアとしての特殊性を備えている」  と言う点に置いて、なのです。  そしてその特殊性を担保している決定的要素こそが・・  <匿名性>  だと言う訳なのです。  ~~~~~~~  ☆ ということであれば ある種の仕方で言えば ひとは現実生活そのものにおいて 自分の本体と分身とのふたつの世界を持っているということでしょうか?  分身においては ときどき旅に出るのではなく つねに日常そのものの中でその何割かの部分において旅に出ているといった状態にあるし その世界があるのだと。  つまりやや乱暴に言ってしまえば     ○ 一見するととした場合ですが 《旅の恥はかき捨て》が 生活の一部分において 日常化してしまうという世界をネットというメディアはつくっている。  ということになりましょうか。    しかも しかもです。しかも そうであるにもかかわらず けっきょくは《かき捨て》ではないのだとおっしゃる。けっきょくは ぜんぶその発言について責任を負うのだと。  そんなややこしいことを せねばならないのでしょうか?  すでにそのつど 《命のともしび》を灯していればいいのではないでしょうか ふつうの生活と同じように?  灯していないであたかも抜け殻のようになって ネットの世界に浸るというのなら そういう《命のともしび》なのでしょう その人は。  いづれにしても 人格は変わりません。ふだん出ない人柄などが出たとしても すべてその人の けっきょくは 本体です。分身も 本体のものですし むしろ本体なのです。と見るべきではありませんか?  つまりその普段じぶんも知らなかった側面が現われたとしたなら そういう本心としての自分を見せてくれる場なのではないでしょうか ネットの世界は?  せっかくのおさとしですが どうも合点が行きませんねぇ。  そこでは 人格の変身も 分割も ほんとうにはないし あり得ない。こう考えられます。  おあとがよろしいようで。

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回答No.11

この匿名システムにおいては「ネットの人格」なんてどうでもいいわけだから、 それが純粋な議論ができる利点でもあるわけなんだけど。 って書きましたよ。生産の為の組織においては、立場や感情をある程度無視 できる(程度問題としてありますが)純粋な議論の場は必要ですが、自己開示 の為の個性重視偏重がまかりとおっているとしたら、それは、ますます複雑な 問題がありそうだということです。

bragelonne
質問者

お礼

 よく分かりません。読み取れませんでした。

bragelonne
質問者

補足

 ★ 純粋な議論  ☆ 議論に純粋も不純もあるものですか。

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回答No.10

人が悪いなあ。 先のスレで「ネットの人格」なんてどうでもいいと「開示」しておいたはずですけど。 もし、開示目的の集合体だったら。。。。。

bragelonne
質問者

お礼

 いえ そうは読めませんでした。

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回答No.9

個人的に一番今気になるのは、いわゆる「個性」というものです。 つまり、コミュニケーションが「自己開示」の手段になっているのでは ということです。 こんなコンセプトで世間にデビューしたいと思います、どうぞよろしく。 これって、何か違う気がしませんか。開示目的の「理想の人格」の為に 自己実現するということになっちゃいますよね。 勿論、愛されたいとか、認められたいとかは、自然な感情だけど、では 他人が認める人格が、「理想の人格」とかけはなれてたり、嫌な自分を 知っていった時、どうやって自分というものを担保するんだろうかと 疑問になりませんか。

bragelonne
質問者

お礼

 ★ ~~~  つまり、コミュニケーションが「自己開示」の手段になっているのでは  ということです。  こんなコンセプトで世間にデビューしたいと思います、どうぞよろしく。  これって、何か違う気がしませんか。開示目的の「理想の人格」の為に  自己実現するということになっちゃいますよね。  ~~~~~  ☆ というひとつのコンセプトを 自己開示なさっているのですよね?

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  • el156
  • ベストアンサー率52% (116/220)
回答No.8

私は私の頭の中の「小人」が私の人格を決めているとは思いません。私の人格は、私と環境の、現在・過去の相互作用によって、環境と私の間の空間上に形成されていると思います。従いまして、ネットに限らず、環境が変われば人格は変わると思います。生活の中でネット環境の比重が大きければ、それだけ確かな「人格」になるし、現実世界の環境より関わる比重が大きければ、ネット上の人格が主になることもあり得ると思います。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  ★ 私の頭の中の「小人」   ☆ これが どうも分かりにくいのですが。  ★ 私は私の頭の中の「小人」が私の人格を決めているとは思いません。  ☆ ということは 誰かが・つまりおそらく質問者であるわたしが そういうことを書いたということでしょうか? つまり  ★ 自分の頭の中の「小人」が自分の人格を決めている  ☆ と。  何とも分かりにくいですね。  ★ 私の人格は、私と環境の、現在・過去の相互作用によって、環境と私の間の空間上に形成されていると思います。  ☆ これは いくら人格とか言っても 個人の内面やその主観だけで決まるものではなく 環境との互いの応答を経てかたちづくられていくものだ。ということでしょうか?  ★ 従いまして、ネットに限らず、環境が変われば人格は変わると思います。  ☆ 《環境にしたがって》と《環境との相互のやり取りをつうじて》とは 別ですよね? 後者を いま上ではおっしゃった。つまり《わたし》と《環境》とのあいだに 人格が形成されると。  《環境が変われば》 そのあたらしい環境とのやはり応答をつうじて わたしの人格を形成して行く。のではないのですか?  ★ 生活の中でネット環境の比重が大きければ、それだけ確かな「人格」になるし、  ☆ これも分かりにくいですね。《ネット環境にしたがって 人格が成る》のでしょうか? その比重が大きければ それだけ確かな人格に成る ですか?  ★ 現実世界の環境より関わる比重が大きければ、ネット上の人格が主になることもあり得ると思います。  ☆ いえいえ。別にネット環境に従うことはないと思います。あくまでネット世界という環境とわたしとのいろんな刺激やら情報の授受などなどの応答をつうじて 人格を形成して行くのですから どちらが《主になる》というのもおかしな話ではありませんか?  率直に考えを述べました。どうでしょう?

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回答No.7

連続投稿です。 日常で正直に自分をさらけ出せる人はネットでも嘘を付かないでしょう。 普段の日常で嘘をつくからその嘘を上塗りしてまがまがしいネット人格を形成する。 概要はおおむねそんなだろうと観察していますが「嘘」という課題と「欲」と言う課題を考えるため観察だけでなく積極的な猿回しを個人的にしています。 掘り下げて理解しようとしています。

bragelonne
質問者

お礼

 そうですね。  現実とネット世界とで同じ人格の違った側面が現われるというとき いくつかの場合があるようですね。   現実・・・・・・・・ネット世界  _________________  1.おとなしい・・・・粗暴になる  2.嘘をつく・・・・・ほんとうのことを語る  3.率直・・・・・・・率直

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回答No.6

A4です。 お礼ありがとうございます。 ネット人格が本来の人格なのでは無く、日常で抑圧している欲望などをさらけ出した姿なのでしょう。 それは人間以外と言ってよく、ショッカーの怪人です。 今回の御質問は哲学からそれる回答しか私にはできなせんのでお気に召すかわわかりません。 抑圧された衝動が欲望と言っていいのかどうかが私にとっての研究材料ですがそれは一人でぼちぼち進めます。

bragelonne
質問者

お礼

 つづいてです。  ★ 日常で抑圧している欲望などをさらけ出した姿なのでしょう。  ☆ それが 《本来の人格》なのではないのでしょうか? あるいはつまり 《欲望を何が何でもむき出しにするのだというのではなく これをつつしむ。その意味で抑圧している》 これも 《本来の人格》なのではないでしょうか?  わたしの言い分は ここまで来ますと 分かって来ました。  なんで 現実とネット上とで分けるのか? つまりわざわざ人格を分けてしまうまでに到るのか? です。  何とも分かりません。  でもそういうことが 主題ではないとおっしゃるのでしたら それはかまいません。

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noname#161175
noname#161175
回答No.5

どうも初めまして。 私は、恋愛・人生相談などを主に手掛けさせて頂いております <zephyrs> と言う者です。 この度はどうぞよろしくお願い致します。 <bragelonne>さんは、哲学的な方面にかなり造詣が深くていらっしゃるようですね。 加えて、人生経験も相当豊富な方とお見受けします・・。 私としましては、まだまだ若輩者の身ですので、どうぞお手柔らかにお願いしますね(笑)。 ・・さて、それでは早速御質問の件の話なのですが、まず私の答えから申し上げさせて頂きますと <ネット人格と言うものはやはり存在する> と言う立場になります。 何故そう言えるのかと申しますと、それは 「現実の世界で人に向かって言葉を発する事と、ネットの世界で人に向かって言葉を発する事との間には、根本的に違う点がある」 からです。 それが何かと言いますとそれはズバリ <匿名性の有無> なのです。 現に今こうして、私と <bragelonne>さんとは、まさに <ネット上で> 議論を闘わせている訳なのですが、私も <bragelonne>さんも、決して本名を明かしたり、素顔同士で面と向かって話し込んだりしているという訳ではないわけです。 人と人とがコミュニケーションを取っていく上で重要なことは、 <自分の発言に責任を持つこと> だと、私は思います。 一度自分の口から他者に対して出た言葉に関しては、自分自身が、責任を持って実行せねばなりません。 そうつまりは、 <有言実行>の事ですね。 「何かをする」とか 「何かを解った」などと言って置きながら本当はそうではなかったら、それは <嘘> だと言うことになってしまいますよね? しかし、匿名性をこそ<最大の特徴>とするネット上の発言においては、この 「他者に対する有言実行の原則」 が、完全には成り立たないのです。 何故ならば、既に申し上げさせて頂きました通りに、ネット上では、自分がたとえどんな発言を誰に対して行ったとしても、それに対して責任を取ることもなく <逃げてしまう> 事が、いくらでも可能だからです。 もちろん、現実上に置いても、人はそのように <逃げてしまう>事はいくらでも出来ます。 しかし、現実上での<逃げ>とは、相手に自分の事を <知られている上での逃げ> です。 これに対して、ネット上での<逃げ>は、相手に自分の事を <知られてはいない上での逃げ> になるのです。 分かりやすく申し上げさせて頂きますと、もし仮に、私が今から <bragelonne>さんを罵倒するような、失礼な言葉をいくつも <bragelonne>さんに対して投げ掛けたとしても、その事によって <bragelonne>さんからの非難や抗議を受けるのは、現実の私ではなくて、あくまでも <zephyrs>の方なのです。 よって、ネット上の最大の特徴である、匿名性に支えられて生きている <zephyrs>と言う者が、あくまでも、 「有言実行の責任を必ずしも取らなくても良いかもしれない、私の中の人格の一部」 以上の存在にはなれない以上は、それは現実の私の人格とは別に存在しているものだと考えざるを得ないわけです。 この様に問題を捉えていくとしますと、ネット上で匿名性に守られながら発言している <zephyrs> や <bragelonne> と言った <人物たち>はやはり、 「現実の人格とは別の物として、やはり確実に存在している」 のだと考えた方が妥当である、と言うのが私の結論なのです。 ・・まあここまで申し上げさせて頂きましたとしても、様々な反論点が存在していますのは百も承知ではあるのですが、私個人としましては、やはりネット上と現実上の自分との間には、どこかで明確な一線だけは引いて置きたいのです。 人と人とがコミュニケーションを取っていく上で最も重要だと私が考えている、 <有言実行の責任> を忘れないようにしていくためにもね(笑)。 長くなってしまいましたが、私からの意見は、以上です。 長文、御拝読頂きましてどうも有難う御座いました。 何か反論などありましたら、時間は掛かってしまうとは思いますが、またお受けさせて頂きます(笑)。 それではこれにて。

bragelonne
質問者

お礼

 北風さんでしたか西風さんでしたかのぜふぃるすさん 初めまして ぶらじゅろんぬと申します。こちらこそよろしくお願いいたします。  ご回答をありがとうございます。  ううーん。これまでのご回答から或る程度は事情が分かって来たようには思っています。これまででは   ★ <匿名性の有無>  ☆ から説き起こして その結果 普段の日常生活とは違った自分の側面がネット上では現われる。そして それは 良くと言いますか むしろまじめさが出るという場合と ぎゃくに粗暴さが出てしまうという場合があるように伺いました。そこでも触れられていましたが ぜふぃるすさんは やはり何といっても  ★ <自分の発言に責任を持つこと>  ☆ がネット上では ゆるがせになる。つまりわるいほうの側面が出るとおっしゃっているのだと思います。  さてここで いくぶん突飛なことを申し上げます。次のようにおっしゃっていることは そうだとしたら ネット上もその人格は何ら変わらずまったく同じなのではないでしょうか? 自己同一性というならば それが保たれているということではないのでしょうか?  ★ ~~~~~  私個人としましては、やはりネット上と現実上の自分との間には、どこかで明確な一線だけは引いて置きたいのです。  人と人とがコミュニケーションを取っていく上で最も重要だと私が考えている、  <有言実行の責任>  を忘れないようにしていくためにもね(笑)。  ~~~~~~~~  ぜふぃるすさんも ご本人さんも 同じ人格でいらっしゃるのではないですか?  つまり たとえ  ★ ネット上と現実上の自分との間には、どこかで明確な一線だけは引いて置きたいのです  ☆ ということであったとしても その《一線を引いている》のは ご本人なわけですから。言いかえるとそのように一線を画すかたちになったとしても ネット上のぜふぃるすさんは 現実のご本人の人格の中におさまる。ということですよね? 決して別の人格ではないわけです。  もし言うとすれば《部分人格》ですが おそらくそれも人格本体におさまるのですから 決して一人歩きするようなものではない。こう考えられます。もし一人歩きをしたなら それをもご本人が人格本体の中におさめることになる。そういう成り立ちでしかないと思われるのですが 人格というのは。  ★ ~~~  「現実の人格とは別の物として、やはり確実に存在している」  のだと考えた方が妥当である、と言うのが私の結論なのです。  ~~~~~  ☆ という結論の中身はと言えば そのネット上の別人は 現実の人格の中におさまっていると言っていることにしかならないように思えるのです。  ★ ~~~  ネット上での<逃げ>は、相手に自分の事を  <知られてはいない上での逃げ>  になるのです。  ~~~~~  ☆ ということが 相手にも知られていますし 中んづく自分自身に知られています。どんな《逃げ》でも つまりネット上の逃げでもそれは《匿名で自己表現したそのことで 逃げてしまうのだ》という逃げだと 相手も自分も分かっていますよね? いったいどこが ネット上という世界の特殊性なのか? と疑問が浮かんで来ます。  どこか勘違いをしていましょうか?

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回答No.4

ああ、簡単ですよ。 普段の日常で嘘をついて過ごしているから、正直に話すネット人格は誰にも知られたくないのでしょう。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  ★ 正直に話すネット人格  ☆ だとしますと 別に人格が変身したというようなことではなく より自分に忠実な人格を表現している。ということでしょうか?  ★ 正直に話すネット人格は誰にも知られたくないのでしょう。  ☆ ということは 変なことになりませんか? すなわち 《自分の正直に話す側面は 誰かに知られると困る》というように。そんなもんでしょうかねぇ。よく分かりません。  もっと穿った見方をしてみましょうか。  ★ 普段の日常で嘘をついて過ごしているから  ☆ これは 多かれ少なかれ 誰にも当てはまるのではないでしょうか?  もしそうだとしますと そのように普通にはほんとうのことを話しづらかったそのことを たとえば昔だったら 日記に書いていたでしょうね。ネットでは 他人に見られるのだけれど それが誰が書いたかは分からない。日記は 一般に 誰にも見せない。といった違いはありますが 大きく捉えて ごくふつうの状態ないし側面だと思われます。つまり わざわざ《ネット人格》などという言葉を当てはめるほどのことではない。こう考えられるのです。  果たして間違っていましょうか? 見落としがありましょうや。

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noname#171471
noname#171471
回答No.3

日常生活上は保身のために、過激な発言を控えるなど自分の行動を抑制していることが多いですが、匿名制の掲示板などに書き込むときなどは自分の身に不利なことが起こる可能性がないので言いたいことをズケズケ言えます。匿名制であることがよくあるネット上で、普段は常識的でおとなしい人が粗暴になりがちなことを通常時の人格に対して「ネット人格」と言うんだと思います。 つまり別の人格なのではなく、理性が充分に働いている状態の人格と、理性の働きが弱い状態の人格との差です。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  ★ つまり別の人格なのではなく、理性が充分に働いている状態の人格と、理性の働きが弱い状態の人格との差です。  ☆ ということなのですか。こういうと何も知らないんだなぁと思われるでしょうが なあんだというようなことなのですね?  ちょうどNo.2でのやり取りで このご回答の前段で書き込まれた内容のことを応答として確かめていました。それにつけても なあんだとまづは 思います。  ちなみに こう書いています。   ☆☆(No.2お礼欄) ~~~   ● ~~~~~   それらはある意味、本人の本質だったりします。   ネット上の方が正直に生きている人は多いですよ。   ~~~~~~~~   ☆ だとしますと ネット上でいかに別の ID を用いて発言したとしても むしろ《その人の人格そのまま》が現われるということではないのでしょうか?  極端に言えば 仕事や趣味にたずさわる日常生活における人格のほうが 別人だということになりませんか?  そういう意味でしたら まだ何となく分かるような気もするのですが どうでしょう?  ~~~~~~~~~~    さて 一応は納得しました最初の命題ですけれど どうも そうなのかなぁという疑問が生じて来ます。  ★ つまり別の人格なのではなく、理性が充分に働いている状態の人格と、理性の働きが弱い状態の人格との差です。  ☆ 人格のあり方が変わるという意味ではもう納得したのですが   ★ 理性が充分に働いている状態 / 理性の働きが弱い状態  ☆ これについて果たしてそうなのかなぁと いまひとつ飲み込めないでいます。  つまりは No.2の回答者の方の見方によれば 上に引きましたようにこうです。  ●(回答No.2)~~~   それらはある意味、本人の本質だったりします。   ネット上の方が正直に生きている人は多いですよ。   ~~~~~  ところが より小さきでーもんさんによると  ★ 匿名制であることがよくあるネット上で、普段は常識的でおとなしい人が粗暴になりがちなことを通常時の人格に対して「ネット人格」と言うんだと思います。  ☆ ふたつの見方は 互いにぎゃくですよね?  これは単純に どちらも起こる。というだけのことでしょうか? という疑問が 少しこびりついて来ました。さあ どうしたもんでしょう。

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このQ&Aのポイント
  • 30年程使用している職業用本縫ミシンTA3ーB625型ですが、接触が悪くコントローラーのコンセントを操作しないとミシンが動かない状態になりました。コントローラーを交換するために購入時の型番を知りたいです。
  • フットコントローラー故障で職業用本縫ミシンTA3ーB625型が動かなくなってしまいました。30年近く使っているミシン本体は良い状態ですが、コントローラーの接触が悪くなりました。型番を教えていただき、コントローラー交換をお願いしたいです。
  • 長年愛用している職業用本縫ミシンTA3ーB625型のフットコントローラーが故障してしまいました。ミシン本体は非常に良い状態ですが、コントローラーのコンセント操作がうまくいかず、ミシンが動かない状態です。購入時の型番をお知らせいただき、コントローラーの交換をお願いしたいです。
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