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変化に強い人、弱い人、どっちでっしゃろ?

noname#153101の回答

noname#153101
noname#153101
回答No.8

こんにちは。 自分で望んだ変化は強いほうだと思います。 その変化が激流であっても、逆らうにしても、脳内ホルモンのおかげか妙な高揚感や破壊力で痛みも苦も麻痺していますから。「空も飛べるわあたしー」ぐらいの勢いで楽しみながらやってきましたし。 でも、自分の意志とは関係なく状況が変化するのには、とても弱いです。 得たいの知れない力によって刻一刻と身辺が変化していくのは、訳が分からないので、とても不安です。 ちょうど今、そんな渦中にあります。私の意志とは無関係に物事がどんどん進んでいて、足がすくんでしまっています。こんなにも自分は弱かったのかと痛感しているところです。 この質問であらためて見えたのは、変化するまま流されてもいいんだな、ということです。 無理に逆らおうとせず、摑んでいる色々なものを手放して、流されてみる。後悔してもしなくても、その都度変化を受け入れていく。そんな、あるがままに受け入れる強さが、私には必要なのだと思いました。激流に飛び込んだり逆らう強さではなくて(苦笑) (以下余談) 鏡返し(棚上げしない・自省)の術はお見事でした。

boseroad
質問者

お礼

ほうほう。自分で選んだかどうかで違う、いうことやね。 自分で選ぶ場合には、選ぶまでに腹をくくっとるから強いのかもしれへんな。外からくるに変化も、すべては変化するんが当たり前と腹をくくってしまえば、だんだんと強くなっていくのかもしれへん。まあ、今回もひとりごとや。(苦笑)

boseroad
質問者

補足

いちおでお礼を振り返って読み直したら、何やらわし、間違っとるやん。 ×「外からくるに変化も、すべては変化するんが当たり前と腹をくくってしまえば、だんだんと強くなっていくのかもしれへん。」 ○「外からくる変化にも、すべては変化するんが当たり前と腹をくくってしまえば、だんだんと強くなっていくのかもしれへん。」 心からお詫びをば。ここで間違うとは恥ずかしかー。

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