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変化に強い人、弱い人、どっちでっしゃろ?

noname#150050の回答

noname#150050
noname#150050
回答No.10

どちらも‥。 『これには強い』が『あれには弱く』、『あれには弱い』が『それには無関心』だったりする。 多面的なんで私はこうだ‥とは言えませんね。 どのような変化にも強く、それは強くあった方が良いのかな?‥と決め付けがちになりそうですが 変化に強いからといって得だとは言い切れないのだし‥。 ある変化には弱さを前面に出した方が得な場合もあります‥。又その逆もしかり(^_^;) それならば‥柔軟な私でいた方が楽に渡れますね。 しかし、自分の気質、特質、傾向を知らないと一手を打てないので 結局は自分を深く知る事が重要かと思いました(^_^;) 自分を知るのに1番良いのは 他者に耳を傾けてみたり、体験してみる事が手っ取り早いのでしょう。 これを過ぎて対策できるかも知れません‥と思いますが・・・。

boseroad
質問者

お礼

ほうほう。変化の対象によって様々で、中には変化しようがしまいが何とも思わないものもある、いうことやね。 ことばの捉え方の話になると思うけど、変化に強い、変化を受け入れやすいのはすなわち、変化に柔軟に対応できる、ちう意味ですわ。 人間、いろんなタイプがおって、自分を深く知らないまま的確に次の一手を打てる人もおる。あなたは、自分を深く知ることがあなた自身にとって大切だと気付いとるわけで、そこが一番の強みかもしれへんね。

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