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日本の無条件降伏は幸せだったのではないか?

日本は、ドイツと違って無条件降伏していたけど、「戦亡」ではなかったと思う。 「戦亡」下の元でも国際法上の権利は保障されると思うけど、無条件降伏文書条約という契約をもって、連合国に支配される形式をとったから日本は混乱が少なかったのではないでしょうか

  • 歴史
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みんなの回答

  • thegenus
  • ベストアンサー率49% (330/673)
回答No.7

No.3の私のいい加減な回答に丁寧なお礼と親切な引用提示ありがとうございます。 まずNo.3の訂正をさせて下さい。冒頭部分で質問文が正しいかと疑問視していましたが私の方がご質問文を読み違えていました。それも含めまして何事も日本語の問題が大きいと思います。公的機関である裁判所を巻き込んだ無条件降伏論争も単に国語の問題なのではないでしょうか。 無条件降伏の言葉の定義がはっきりとしているのでしょうか。その定義をまず最初にしてから法律や歴史の議論を展開されないと建設的にならないと思います。 ソ連の占領地域についてですが、ドイツ人を奴隷にしないという○○宣言のようなものをソ連は出していたのでしょうか。つまりソ連に矛盾があるのでしょうか。 私は法律に詳しくありませんが、ハーグ法は、すべての国に適用されるのですか。批准の有無に関わらずそうなのでしょうか。 法律は、宇宙を支配できるのでしょうか。罪刑法定主義でありませんが、公理主義的に、定義して、それに同意した集団の管轄権の中でのみ、有効なのではないのでしょうか。言葉の定義問題もそうですが、その国際法を認めているかどうかをはっきりさせなくても、適用されるものなのですか。 外部の裁判所が違反の判決を出す事は勝手というだけなのではありませんかね。それが世界的な正解ということになるんですか。 ですからソ連のした事は違反であるという判決が出れば、そういう判決が出たという事実だけで、ソ連のした事が違反だったという事実にならないように思うのですが。世界中の裁判所の答えは一意に求まるのでしょうか。 私にも、国際法的には、という議論の面白さが少し分って来ました。○○条約違反だとか言ったところで、裁判所の枠をでないということですね。東京裁判の有効性は法律論でなくて、やはり、GHQならびに無条件降伏に調印した日本政府の統治権が必要だったという事です。 ソ連占領地域に対する私の意見もそういう事です。 質問者さんのHPは読みにくいですね。経過を追えないというか、読者がついて行けません。ブログ形式は内容が散在しているのでまとまりません。 しかし判例というのは何で文を切らないのですかね?誤魔化しなんじゃないの? 「既に一九世紀初めには多くの文明国によつてこれが承認されて、国際慣習法上の原則として確立されるに至つていたため、かような国際慣習法を確認し宣明するという意味をもつにとどまり、したがつて、前示第四六条の規定するところは、右条約自体とは離れても慣習法化した独自の効力を有するのである。とすればたとえ総加入条項によつて、右条約そのものの適用が排除されるとしても、そこに規定された私有財産尊重、没収禁止の諸原則は、第二次世界大戦に関しても適用をみると解するのが相当である。」 余計な事が多すぎませんかね。多くの国がとか。 当事者の国が事前に批准していたかどうかだけで決定されるんじゃないのですか? 「したがって」他の国にとって常識だからお前にも効力があるということですか。契約していなくても。総加入条項で適用できなくても適用されるということ?どういう意味ですかね。こうなると法じゃないくない?法を無視した法は法じゃないのでは?法の意義が分りません。法の正体は一方的な宣言なのですかね。 武力紛争の当事者すべてに効力をもつという根拠は? 一方的な法は、法じゃないようにおもうんですけど。国際法原理主義では? 素人の疑問ですがね。素人には、総加入条項など、現在どうなっているのかがはっきりしないのです。だから一般人には、法も質問者さんのHPも疎遠になるのです。 とくに法はそうですが、判りにくいのは悪質ですよ。法も解説書も分りやすくしないと。シンプルな法体系……そう願います。

morizou02
質問者

お礼

>私は法律に詳しくありませんが、ハーグ法は、すべての国に適用されるのですか。批准の有無に関わらずそうなのでしょうか。 判例はそういっとるな >法律は、宇宙を支配できるのでしょうか。罪刑法定主義でありませんが、公理主義的に、定義して、それに同意した集団の管轄権の中でのみ、有効なのではないのでしょうか。 一般慣習法はそうではない。たとえば北朝鮮がいかにそれを否定しようとも、一般慣習法のルールをまもらなくてはいけない。たとえばねいきなり核を東京にぶち込むのようなことは、北朝鮮がいかに核禁止条約に加入してなくても慣習法違反として許されることではないじゃろ

  • mable2006
  • ベストアンサー率35% (214/598)
回答No.6

日本にとって幸せだったことは、 1.分割占領されなかったこと。 2.知日派の蒋介石が天皇制の維持など米英側に日本人の受ける混乱を少なくするようなアドバイスをしたこと。 http://ja.wikipedia.org/wiki/蒋中正 3.連合軍側が直接軍政を行わず、日本政府の上にGHQを置いて間接支配する方法にしたこと。 この3点が大きいと思います。

morizou02
質問者

お礼

ありがとうございました。参考になりました

回答No.5

松本治一郎は松本龍の先祖です。 <a href="http://www.jiji.com/jc/giin?c=syu&d=9f4d5d31a2841b272435ffa186bbff9b&rel=ja">松本龍(時事コム)</a> <a href="http://www.dpj.or.jp/member/225">松本龍(民主党ホームページ)</a> <a href="http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120123/stt12012323430008-n1.htm">松本龍(産経ニュース)</a> <a href="http://dic.nicovideo.jp/a/%E6%9D%BE%E6%9C%AC%E9%BE%8D">松本龍(ニコニコ大百科)</a> <a href="http://www.youtube.com/watch?v=NnEQ0DvYvlg">松本龍(youtube)</a>

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7194/21844)
回答No.4

311災害のときの日本人の行動を見て下さい。 誰がどのように支配しても、日本の混乱はきわめて 少なかったと思いますよ。 あの時、暴れたのは、第三国人です。

  • thegenus
  • ベストアンサー率49% (330/673)
回答No.3

質問者さんは厳密な文を書ける人ですよね。質問文は短いのですが、 『日本は、ドイツと違って無条件降伏していたけど、「戦亡」ではなかったと思う。』 は正しいですか?法律論よりはるかに簡単な作業だと思うのですが。 >『「戦亡」下の元でも国際法上の権利は保障されると思うけど、無条件降伏文書条約という契約をもって、連合国に支配される形式をとったから日本は混乱が少なかったのではないでしょうか』 日本の混乱が少なかったのは日本人が整然していたからです。満州で強姦される時も強姦された後もそうだったでしょう。 降伏文書というか停戦協定の内容ではなくて、進駐軍がどこの国だったかがすべてですよ。英仏蘭豪だったらもっと骨抜きにされて、天皇の命も危うかったでしょうし。ソ連だったら天皇は処刑されていますし、戦後復興もありませんでした。 その戦亡って何ですか?戦亡と国際法上の権利とか関係ないでしょう。ソ連の占領地域に国際法も何もありませんよ。文言にすぎない法律なんかには、歴史に決定的な影響力はないのです。軍事と政治の後付けが法律論です。解釈が右でも左でも敗戦の事実は変わりません。現状の日本も変わりません。精神の問題です。たとえば真珠湾を攻撃した民族には原爆を食らわしてやれというようなのは国際法に規制されない精神の力です。精神が歴史を作るのです。精神論では勝てませんが、特攻とか散華とか綺麗事の精神論では勝てないということです。精神論ではなく精神(心)が、歴史の決定者なのです。 「松本治一郎」 (http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E6%9C%AC%E6%B2%BB%E4%B8%80%E9%83%8E) 「松本治一郎」は、部落開放の父であり、『GHQと密接につながり、巨万の富を蓄えた特殊慰安施設協会(RAA)の経営陣の一人であった』 日本人の常識を無視する無条件降伏は、GHQに従う偽善者売国奴が出世する機会を与えました。この因果の一つが、GHQ様様で築いた地盤を引き継ぐ松本龍衆議院政治倫理審査会長です。 さぎ師一族が倫理審査する側のトップですから、アメリカ陰謀説に、はまり込む人の気持ちもわからないでもありません。妙な国です。 吉田茂が威張れたのも無条件降伏のお蔭でしょう。 ご質問文で述べらている歴史認識についてはなんとも言えませんが、法律馬鹿の議論でないのならば、ご質問の着眼点は素晴らしいと思います。幸福だったのではという問いも斬新です。 無条件降伏したから混乱することなく、安定的に、ずっと改憲さえされていないのです。平和憲法という異常憲法も無条件降伏が創り出したものですよね。護憲・平和憲法で幸せならば幸せでしょう。

morizou02
質問者

お礼

ありがとうございます。私もおおむね同感です。 しかし、一つ同感できないところがありますね。 >戦亡と国際法上の権利とか関係ないでしょう。ソ連の占領地域に国際法も何もありませんよ。文言にすぎない法律なんかには、歴史に決定的な影響力はないのです。< 占領地域には、一般法であるハーグ法の適用があり、ドイツソ連との関係でも適用されます。それが判例の見解です。 あなたのような占領地に国際法の適用はなく、ソ連は勝ったんだから、何をやってもいいんだという理屈は、18世紀初頭のコンゴ人奴隷の腕を切り落としてゴム採取させていた時代ならともかく(もっとも、あの時代も批判されていたが)、20世紀中盤にはもはやありえないだろうとおもいます。ドイツ人は奴隷になっていいのか。いくらなんでも非常識すぎませんか。 判例を引用して批判することにしたい。有名な水公社事件である。 土地建物所有権取得無効確認及び所有権取得登記抹消並に引渡請求事件 東京地方裁判所判決/昭和34年(ワ)第8428号 【判決日付】 昭和41年2月28日 ヘーグの陸戦法規条約は、それが採択された当時現存した戦争に関する一般の法規と慣例とをより精確にし、或いは修正しようとしたものである(同条約前文第一項)が、こと占領地内における私有財産の尊重の慣行に関しては、近世に入つて、私有財産尊重の観念が認められるにともない、徐々に普及して行き、既に一九世紀初めには多くの文明国によつてこれが承認されて、国際慣習法上の原則として確立されるに至つていたため、かような国際慣習法を確認し宣明するという意味をもつにとどまり、したがつて、前示第四六条の規定するところは、右条約自体とは離れても慣習法化した独自の効力を有するのである。とすればたとえ総加入条項によつて、右条約そのものの適用が排除されるとしても、そこに規定された私有財産尊重、没収禁止の諸原則は、第二次世界大戦に関しても適用をみると解するのが相当である。 判例が、一貫して日本の無条件降伏を認定しているでことは、明らかである。しかし、その無条件降伏派の急先鋒といえる判例ですら、「日本にもハーグ法の適用があり、日本国民の私有財産が保障される」と断じています。 判例は、日本は無条件降伏したけれども、国際法上当然の権利は認められるとしている。もちろんドイツも同じように考えるべきだとおもいます。

  • eroero1919
  • ベストアンサー率27% (3007/11114)
回答No.2

結果論ですね。負けた相手がアメリカだったというのがラッキーだったということに過ぎないと思います。日本よりよっぽど豊かな国でしたから、日本からわざわざ搾取する必要がなかったということだと思います。 日本人も、満州から引き揚げてきた人たちはとんでもない苦労をしていますからね。引揚者の方から直接聞いた話なのですが、避難してきた日本人たちにあるときソ連軍から「負傷した兵士たちがいるから看護婦を出してくれ」といわれた。なにせ相手が占領軍なので逆らうことはできないので、何人かに頼んで看護婦として行ってもらうことになった。すると、また「看護婦を出してくれ」といわれた。そんなやりとりが何度か続いたときに看護婦として行った人の一人が「命からがら逃げてきた」そうです。それで、そのときに看護婦として行った人たちが「ひどい目に遭っていることを初めて知った」そうです。どうひどい目に遭ったかなんて話してくれなかったし聞ける雰囲気でもありませんでした。 アメリカが日本から勝利するのにソ連くらいに苦労していたら、ひどい目に遭ったことでしょう。 降伏後に日本政府が恐れたのは、占領軍としてやってきた米兵に日本人女性がひどい目に遭うことで、そのため政府が音頭を取るような形で春をひさぐ女性を集めて米軍基地周辺に住まわせました。「プロの女性を用意するから素人には手を出さないでくれ」という意味です。戦後しばらくは女性専用車両があったのですが、その理由は当時占領軍としてあちこちにいた米兵と日本人女性を一緒にいさせないためです。米兵が「ヘイ、君が気にいった」なんていったらこっちは戦争に負けた国なので文句はいえないし、当時の日本人女性は男性のいうことには従えと教育されていましたから、断れなかったのです。

  • nishikasai
  • ベストアンサー率24% (1545/6343)
回答No.1

そりゃ、ソ連軍に蹂躙されたドイツとは雲泥の差がありました。ソ連軍は相当ひどいことをやったそうです。ご婦人は手当たり次第に犯されたそうです。金品は強奪されました。ソ連軍は盗賊よりひどかったそうです。二千万の国民を殺された恨みがありましたから何でもありでした。アメリカ一国に支配されるという形は良かったと思います。他のどの国よりも良かったと思います。 広島・長崎の尊い犠牲のおかげで終戦が早まり、ソ連が北海道を占領するヒマがなかった。もし抵抗を続けていたらいまごろ南日本は北日本人民共和国にせっせとコメを送っていたでしょう。

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