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江戸時代のお家騒動や事変について

noname#217196の回答

noname#217196
noname#217196
回答No.4

挙げられた中では伊達騒動で、特に一関藩田村家の立回り。浅野内匠頭の殿中刃傷後、預け入れ先となったのは田村右京太夫が奏者番になっていたせいもあります。伊達騒動で幕府から目をつけられていたはずなのにこの出世ぶりは興味を引きます。 ほかの教科書に載らないようないざこざは、観光ガイド本あたりでも載ってたりしますし、地元の郷土史本を読むのも面白いですよ。 個人的には貞享暦改暦直前に、元日日蝕に生まれたことを理由に僧侶にされた親王のこと、改暦権を取り戻したものの出来の悪さ(食予報の外れっぷり)に不評を買った陰陽寮(幕末明治維新時に再チャンスを得ますが太陽暦に移行しお払い箱)、元禄大地震で江戸城一番の被害が桂昌院の館が一位を朝廷から贈られた天罰と噂されたことなどあります。 いま一番の関心は伊達政宗が慶長の三陸大地震被害からの復興をどう進めたのかというところ。ご存知なければ相馬大作事件、対馬藩国書偽造事件、家重将軍就位反対工作の松平乗邑事件、熊本藩城主人違い殿中殺人事件なんかも興味をそそると思います。

lions-123
質問者

お礼

ご回答を賜りまして、誠にありがとうございます 多くの興味を引く素材・事件事変をご紹介いただき、大変、参考に成りました。 そうですね、当該地区には郷土史があり市井の研究家が居られるのでしょうね・・・ そのような方々のネットワークや寄稿された雑誌等を史跡を訪ねた折々に探して見たいと思います。

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