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闘争・事件
事件や闘争の呼び名の定義について教えてください。 以下解釈が間違っているものもあるかも知れませんので併せてご指摘お願いします。 1・変=突然起こる闘争(本能寺の変など) 2・事変=事件より大規模でそれにより歴史が変わることがある? 3・乱=内乱など。応仁の乱、嘉吉の乱、天草の乱など 4・役=よく分かりません。文禄、慶長の役を朝鮮の役と総称するのは分かりますが、大坂の役に冬の陣、夏の陣が含まれています。 5・陣=滞在する陣を持つ戦争? 6・合戦・戦い=合戦と表記されるものと戦いと表記されるものの差は何でしょうか? 7・戦争=合戦・戦いは中世(武家社会)などで使うので、これは西南戦争のように近代兵器使用の差と考えてよいのでしょうか。 部分回答でもかまいません。よろしくお願いします。
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補足としてですが… 変=は武力による政変・クーデターでその通りなのですが > では近代での「変」がないのは何故でしょう。 元々、明確な取り決めがあって「戦」や「変」があったわけではないでしょうから、大正・昭和の時代には既に過去の言葉となってしまったのでしょう。 日清・日露戦争も当時及び戦後しばらくは「明治十七八年役・明治二十七八年役」と呼ばれてましたが、昭和初期の書物を見ると「日清戦争・日露戦争」という表現の方が多く見られます。 という様に表現の違いで用いなくなっただけかと思います。 また「役」については単に戦争・戦役の総称として用いられている様です。 特に対外国・辺境という意味合い無いと思われます。 単純に明治大正の頃まで「大坂の役」「関ヶ原の役」「小田原の役」と表現されていたものの多くが昭和に入って「陣」や「戦い」に置き換えられていったのに対し「元寇」や「前九年」等の一部の用語がそのまま持ちられ定着し、それがたまたま対外国や辺境だったというだけだと思います。 当時最大の繁栄を誇った「大坂」まで辺境・夷狄の地としてしまうと、それこそ御所周辺以外の地は全て夷狄扱いとなり、「御所以外の地で起きた戦い=役」という事になりましょう。 (御所に対し乱・変はあっても戦は起きない) となれば即ち「全ての戦=役」という事にもなりますが…。 根本的に現在における歴史上の戦に対し名称を決めたのは、教科書出版社であり、それを容認したのが文科省です。 それは過去の慣習的な呼び方を元に、一部を現代風にアレンジしたり対外的に配慮して変更した名称が用いられています。 江戸時代の書物に書かれた名称は江戸時代当時の慣習によったもの。 明治大正の書物に書かれた名称は明治大正当時の政府や軍部によって定められたもの。 戦後昭和・平成は上記の如くで、特に明確な取り決めがあって名付けられたものではないのでしょう。 それ故、教科書によって一部の名称が異なります。
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- kishn_an
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学問的には不正確かもしれませんが、 変 クーデターのこと 事変 乱や変の近代的表現、宣戦布告などのない戦闘状態 乱 公式の開戦手続きがない場合 役 朝廷の命令に因る開戦手続きがある場合 陣 軍学的表現?あるいは講釈? 合戦 地域時間を限定した戦闘的な事件を指す 戦争 宣戦布告など国際法上の開戦手続がある場合 と、思います。
お礼
「変」は前回答者様にもありますので「クーデター」ととらえます。 「乱」内乱も定義であると思いますが、公式の開戦手続?きがない場合でもあるとのことですね。応仁の乱などは○○対△△の構図が崩れてきた状況を指すとは思います。 「事変」そうなんですよ。近代においての表現であるとの確信を持てました。 「役」これは朝廷からの内示の有無ですか。まったく予想外で驚いています。大坂の役もそうなのですね。目からうろこです。 「陣」については布陣のことではないかとの前回答者様の答えでよいような気がします。 「合戦」「戦争」については時代の表現の差のような気がします(自信なし)。ただ国内が「合戦」であるのは地域が限られているからというのは納得できます。戦争は西南戦争など国内でもありますので、国際法うんぬんはどうなのでしょうか?私は近代兵器の差のような気がします。 「役」についての回答に特に驚いています。 また全ての項目にお答えいただいて感謝しています。 回答ありがとうございました。
- mouryou
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陣については軍勢を配置することなので、日本中の大名を集めて陣だてしたということではないですかね。関ヶ原は1日で終了したので、道明寺とかと同じ扱いってことで。 (http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%BF%D8&kind=all&mode=0&kwassist=0)
お礼
1つづつ回答者の皆様の回答で納得していくことができます。ありがたいことです。 陣立て=陣と思えばスッキリしました。 大坂の役(征夷)においての夏の陣立て、冬の陣立てということですね。道明寺、鴫野については合戦、もしくは戦い(この差はまだわかりません・・・)と思っていいようです。 回答ありがとうございました。
- mouryou
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大阪の役についてはこう考えてみてはいかがでしょうか。大阪方は外夷ではないが幕府という政府の外(豊臣家は徳川家の家臣ではなかったから)の敵と戦ったと。
お礼
なるほど!自分たち(幕府側)からみれば征夷である、との見解ですね。分かりやすいです。 大坂の役(征夷)に含まれる二つの「陣」についても回答あれば嬉しいです。陣って滞陣のことと素直にとらえてよいのでしょうか。しかしさらに鴫野、道明寺などの合戦(野戦)も含まれているので滞陣(ここでは攻城戦の意)だけではないようです。本当の陣の意味も良く分からない状態です(トホホ) 回答ありがとうございました。
- Kiriyama-taicho
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「変」はクーデターですよ。 「乙巳(いっし)の変」=皇太子でない皇子(中大兄皇子)が時の最高権力者 (蘇我入鹿)を暗殺。別名「乙巳(きのとみ)のクーデター」。 「本能寺の変」=時の最高権力者(織田信長)を家臣(明智光秀)が襲撃。
お礼
「変」については確かにクーデターのようです。 では近代での「変」がないのは何故でしょう。2・26事件なんかはどうなのでしょうか。青年将校の起こしたクーデター(未遂)も「変」と呼べるのでは。(未遂だから「変」まで行かなかったと言われればそれまでですが・・・追加回答ありましたらお願いします) 「変」をクーデターと置き換えると確かに納得します。 回答ありがとうございました。
- mouryou
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役は外国との戦闘(外征)を表してるようです。前九年・後三年の役は当時は未だあの辺は外国だったんでしょうね。 寇も外国との戦いですが攻められたときに使うようです。元寇や刀伊の入寇。 乱は内乱ですね。ちなみに文禄の役は朝鮮では壬申の倭乱なんていったりしますから、向こうとしては内乱扱いなのですね。
お礼
外征ですか。大坂の役(冬、夏の陣を含む)は当てはまりませんがどうなのでしょう。間違いでしょうか。 乱と「変」ですが「変」は武力行使しないともありましたが、本能寺はどうでしょうか?明らかに武力をもってしているのですが・・・ あまりこだわらないでいいとのことが書いてありましたが、こだわってしまいました。 東北は征夷と言われたくらい(東北の方ごめんなさい)ですから外国扱い(蝦夷地のようです)なのですね。当時の状況からしてこれは納得です。 回答ありがとうございました。
お礼
別の視点からの回答、勉強になります。 「日清戦争」「日露戦争」と私たちの世代(今もでしょうが)は習ってきたので、○○の役と言い換えられたら確かに違和感があります。が、当時はそう呼んでいたとのことですね。 >江戸時代の書物に書かれた名称は江戸時代当時の慣習によったもの。 明治大正の書物に書かれた名称は明治大正当時の政府や軍部によって定められたもの。 戦後昭和・平成は上記の如くで、特に明確な取り決めがあって名付けられたものではないのでしょう 一部今日でもある教科書への表記問題になりそうです。どれが正しいかはおっしゃるように時代とともに変化するものであるという回答は教えられるものがあります。 それに比べて今は戦争(騒乱)に関しては表現が少ないですね。特に「役」「変」「乱」「陣」「合戦」は使われないでしょう。 回答ありがとうございました。