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わが国初の海底ケーブルの電源

明治維新直後の1871年(明治4年)6月に「長崎~上海」、8月に「長崎~ウラジオストク」の二つの海底ケーブルが完成しています。 電源について教えてください。 1.電源は鉛蓄電池ですか。 2.もし、鉛蓄電池であれば、充電して使用したのでしょうか。 充電用の直流発電機があったのでしょうか。 よろしくお願いします。

みんなの回答

回答No.3

>ケーブル長は、1000kmほどですから、電線の電気抵抗も数千kΩになるのかな、と思いました。 ちょっと計算してみました。 銅線だと 直径1.6mmの場合 1000km で 9kΩくらいです。 意外と低いですね~。 当時の太さはしりませんが、海底ケーブルならもっと太い電線を 使うでしょうから、これよりずっと低くなると思います。

goo-par1732
質問者

お礼

数kΩですね。 ご指摘ありがとうございました。

  • misawajp
  • ベストアンサー率24% (918/3743)
回答No.2

増幅装置なし 60年ほど前の(同軸)海底ケーブルは、増幅器が入っており、芯線を利用して高圧直流を供給し、電源から見れば各増幅器が直列に接続されていました

goo-par1732
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 何か電源が必要だったはずですから、鉛蓄電池を思いつきました。 鉛蓄電池なら、放電すると再充電したはずですが、どのような方法で充電したのか気になりました。 この程度の質問ですから「歴史カテ」で質問した方が良かったのかも知れません。

回答No.1

当時まだ鉛蓄電池も真空管もない時代です。 多分電信用の電線だけを敷設したのだと思います。 日本で鉛蓄電池が試作されたのは 1895年 真空管が発明されたのは 1904年頃です。 もっともバッテリ付きの真空管中継器じゃ、 数時間~数日しか持たないんじゃないかな。 現在の通信用海底ケーブルは、光ファイバーと一緒に 給電線も敷設し、中継機に電力を供給してます。

goo-par1732
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 TVドラマを観て、日露戦争のことを調べているうちに、思いついた質問です。 電信のことはまったく知りませんが、何か「電源」がいるのではないか、と思って質問しました。 デンマークの大北電信会社(Great Northern Telegraph)が敷設したそうですので、電源もこの会社が設置したと思います。 ケーブル長は、1000kmほどですから、電線の電気抵抗も数千kΩになるのかな、と思いました。

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