太平洋戦争を振り返る

このQ&Aのポイント
  • 太平洋戦争において、日本の勝機はほぼなかったとされるが、日本政府の選択は愚かではないという意見もある。
  • 日本はアメリカの筋書き通りに動いたとの批判もあるが、当時の日本政府は最悪のシナリオを予測し、戦争回避に努めた可能性もある。
  • もし当時の日本政府がもっと聡明な選択をした場合、日本が消滅する運命を免れることができたかについて質問がある。
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太平洋戦争を振り返る

このカテで、太平洋戦争に関する質問を調べなおすと、日本に勝機は万に一つもなかった。 しかしながら、戦争は避けられなかった。でも、一概に日本が愚かだったとは言えないと思います。そして、これでよかったみたいな意見が主流のようです。 確かに、もっとものような考え方のようですが、どうも日本がアメリカのほぼ筋書き通りに動き、これがいかにも正しかったという印象は拭いきれません。 ただ、これは今になっていえるからかもしれません。  しかし、当時だって 日本はアメリカには絶対に勝てないと予測していた人も少なからずいたわけですし、最悪のシナリオだって想定していたはずです。たとえば、日本が南北に分断され、北はソ連の一部として、セベルナヤ・ヤポニヤ共和国とかになり、南はアメリカの最後の州として、サウス・ジャパン州とかになって、日本という国家が消滅していたかもしれません。  そこで質問です。当時の日本政府がもっと聡明だったら、アメリカにハルノートを突きつけられた時、何をしていたと思いますか? 

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質問者が選んだベストアンサー

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  • DieMeute
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回答No.16

No.12です。補足の質問があったようなので・・・ あそこから勝つために更にと言われましても、あそこからはあまりに不確定要素がありすぎるので、なかなか判断に難しいものがあります。 まずは、 アメリカ本土で大規模な内乱が起こせるか。そしてそれを役立てる事ができるか。イギリスが通商破壊にどこまで耐えられるかが鍵でしょう。 特に黒人の暴動、反政府運動を組織化された武力抵抗運動に繋げられるかどうかが問題です。 軍需生産の30%以上を賄っていたデトロイト市の暴動は三日間で終息しましたが、これをもっと長く激しく各地でできるようにしなければなりません。 黒人の反乱はドイツもやろうとしていましたが失敗しています。まあ、ドイツは取り掛かった次期が遅すぎたのが最大の失敗点だったわけですが。 それはともかく当時の黒人はアメリカ南部に大半が住んでいました。第二次世界大戦勃発により北部の工業地帯で労働力不足となり、黒人の北部への移住が進みます。 ところが、どうも日本は南部であまり黒人組織とは接触していないようです。主に北部の大都市の組織と接触していたようです。北部の工業地帯で反乱を組織するのは当然ですが、最も黒人の住んでいる南部地域で反乱を起こさせる工作もするべきでした。 それにアメリカの油田は南部にあります。その石油をタンカーで北部に運びます。しかし、アメリカは戦争になるとその石油輸送ルートをドイツのUボートに狙われ、タンカーを沈められ、アメリカ北部では石油が不足する状況に追いやられました。いかに、工業力が大きかろうとも、石油が無ければどうにもなりません。この事態にアメリカは陸路輸送で石油を北部に送ります。 もし、この時、南部で黒人が立ち上がり組織化された武力闘争をしてこの石油輸送ルートや油田地帯を攻撃すれば、アメリカにとっては大きな痛手になったでしょう。アメリカ軍が鎮圧にくるでしょうが、何も正面から戦えとは言いません。まずは軍との対決は避けゲリラ活動でアメリカを苦しめてくれればいいのです。 アメリカ西海岸ではメキシコ系移民やメキシコ人労働者を唆します。特にメキシコ系の若者はアメリカ人社会において一段低く見られたり扱われたりしている事に非常に不満を持っていました。そのため第二次世界大戦中にアメリカ兵5千人が投入されるような暴動が発生しています。 このメキシコ系の人々の不満を利用し暴動を拡大させ西海岸の防備に穴を開ければ西海岸にある油田地帯へ破壊工作を行ったり、機動部隊での空襲が可能になるかもしれません。 ちなみにこうした扇動工作には雇い入れた中国人や、南米の人々、スペイン人などを利用するのも手だと思います。実際、日本人はスペイン人を介してアメリカ本土にスパイ組織を作っています。 武器、資金、工作員などをどこまで送り込めるか、開戦前にどれだけ準備できるか、有能な指導者が反乱グループに現れるかどうかで色々と結果は違ってくると思います。 なおアメリカにいる日系人は戦争が始まればアメリカ政府から危険視されるのは分かりきっているので、日本政府に与する者については、撹乱要員として、いかにも何らかの活動、破壊工作を計画しているとアメリカ政府に思わせ、アメリカの治安機関を引っ張り回させた方がよかったでしょう。442連隊みたいにアメリカのために戦った日系人もいますが、反アメリカの姿勢を声高に主張しながら収容所で暮らした日系人もいるのです。日本はもっと日系人を有効に活用するべきでした。 さらにはインディアンなどにも働きかけ、あらゆる有色人種を反アメリカ政府への状態にもっていき、各地でゲリラ活動を行い、経済活動を停滞させ、その工業力を揺るがします。 もし、実現できれば、アメリカの軍備が整うのは遅れるでしょう。 そして太平洋での日本軍の活動がうまくいっていれば、その対応に力を注がなくてはならず、アメリカ本土防衛とアメリカ国内の安定に多くの軍と兵器、物資が必要となり、他国への援助が滞るかもしれません。 もしソ連へのアメリカの援助が滞れば、ソ連がドイツに敗北する可能性が高くなります。 アフリカ戦線へのアメリカ軍の投入も遅れるか中止になったり、イギリスへの武器援助も滞ってエル・アラメインでドイツ軍が敗北する可能性も低くなります。 さらにソ連が敗北すればドイツの対イギリス戦力が増し、ますますイギリスは苦しくなります。もしここでアメリカの工業力が発揮できなかった場合、イギリスは通商破壊戦に音を上げ講和の道をとるかもしれません。 そうなるとアメリカは国内問題を抱えながら、日本、ドイツと単独で戦わなくてはなりません。それは厳しいので、ここで一旦、講和の道を選び、まずは国内を安定させ時節到来を待つという事になるかもしれません。 要はアメリカ本土でどれだけの規模で反乱が起こせるかで全ては変わってくるでしょう。 火種は幾らでもあります。それまでの社会的地位に不満な黒人に、黒人の社会進出、特にそれまで白人が占めていた職場に黒人が進出するのを許せない白人。この両者はデモを起こしたり、ストをしたり、些細な噂でも暴動を起こしました。付け入る隙は幾らでもあった筈です。黒人やインディアンに自分達の国を持てと唆すのもありでしょう。 ちょっと別の話ですが・・・ 真珠湾での第三次攻撃は、南雲機動部隊の源田参謀や第二航空戦隊の山口司令官や鈴木参謀、連合艦隊司令部では黒島参謀が主張しています。艦隊の現状が分かっている人達が攻撃を求めています。不可能だったら主張しないでしょう。 現に攻撃した後、空母に戻った第一次攻撃隊は、第二次攻撃隊が戻って来る頃には、燃料、爆弾の補給を終え再出撃が可能であり搭乗員達もそのつもりでした。だから再出撃の命令をなかなか出さない南雲中将に山口司令官は出撃の催促をしています。 南雲中将が第三次攻撃を断念した理由も、犠牲を恐れての事でそう説明しています。 それにこの後、赤城、加賀、翔鶴、瑞鶴は日本に帰国しますが、蒼龍と飛龍はウェーク島攻略に向かい、そこで攻撃隊を発進させ戦闘しています。この時、蒼龍、飛龍は南に北にかなり動いています。そして日本への帰途に着きました。 こうした事から第三次攻撃が不可能だったとは思われません。 また、第一次攻撃隊、第二次攻撃隊の被害もよく検討すると水平爆撃隊に撃墜された機はありません。 第二次攻撃隊で犠牲が大きく出たのは、急降下爆撃隊であり、第一次攻撃隊の戦火により煙で視界が悪く、一度降下し目標を確認するなどして爆撃を行ったため、通常より危険度が跳ね上がったせいです。 絶対、犠牲が出ないとは言いませんし、どこまで打撃を与えらるかも不確定ですが、水平爆撃隊を主力に第三次攻撃を行う事は無謀とまでは言えないと思います。 それとハワイ単独で必要な軍需物資を何もかも賄えるわけではありません。アメリカ本土とハワイ間の海上輸送路を通商破壊で叩くのは基本なので、必ずしもハワイの能力がすぐに回復するかどうかは疑問です。先にも述べましたが開戦初期には東海岸では重要なタンカーにさえ十分な護衛を付けられずUボートに沈められ石油不足になっているのです。

yingtao7
質問者

お礼

ご名答感服致します。DieMeuteさんの作戦でも日本が負ける公算が大きいとは思いますが、それでもうまくアメリカが策にはまってくれれば、望みは残っているて思います。この質問でも否定的で陳腐な回答をした人は 昔の日本人の気概を否定することに難色を示しているのかもしれません。

その他の回答 (15)

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7194/21844)
回答No.5

欧米列強は、江戸時代から日本を狙っていたのですよ。 露寇て、知りませんか。 1806年、ロシアが日本を襲撃した事件です。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E5%8C%96%E9%9C%B2%E5%AF%87 そして、米国に無理矢理開国させられ、その後に アヘン戦争でした。 日本の危機感はいやが上にもヒートアップします。 中国の次は日本です。 欧米は虎狼のごとくアジア侵略を狙っていました。 大きな眼で見れば、大東亜戦争はその一環に過ぎません。 具体的には、米国は未曾有の経済不況を乗り切るために、どうして 日本と戦争をしたかったのです。 米国の戦争史から見れば、日本がハルノートを受けても やはり米国は戦争を仕掛けて来たと思われます。 イラク戦争のようにです。 もっと聡明だったら、と言いますが、あれ以上は無理だった と思います。

yingtao7
質問者

補足

ありがとうございます。日本が開戦をさけられなかったとしても、敗戦ムードが濃厚になった時点で原爆を落とされるまえにもっと早く降伏する余地はあったと思います。

  • TANUHACHI
  • ベストアンサー率31% (791/2549)
回答No.4

 歴史にはいわゆる「タラ・レバ」はありません。史料の山の中から精密かつ緻密に事実を積み上げて「歴史的事実」をそれこそ薄皮を剥がす様にして検証していくだけです。  近年の加藤陽子氏の一連の研究成果がそれに該当します。  いわゆる「15年戦争」およびその前提である幕末の一連のアヘン戦争による「開国・維新」期以後、日本とアメリカの関係はシベリア鉄道の敷設権問題一つをとっても常に一触即発の状態に近く、好ましい外交関係にあったとは言えません。  質問者様の様に「もしハルノートへの対応姿勢を違うものにしていたら?」という疑問は当時の外務省官僚および軍部(これも官僚)の硬直化した見解の繰り返しがある限り、別の選択肢はなかったといえます。  つまり「日本は無謀で展望のない(勝算の根拠は限りなくゼロパーセントに等しいという意味)戦争に突入していった」そして言論人およびマスメディアの責任は限りなく大きく、国民としても「おい、チョット待て」と声を上げることもせず、「戦闘での勝ち」に酔いしれた高揚感を自らの内で増幅させていき、それが政府に対する「後押し」ともなっていたことに気付きもしなかった点、に最大の問題点があると考えられます。  もし「今、そして将来その様な事象が目の前にあったとしたら?」との疑問であるなら、この質問は真っ当な疑問であると思われます(先日に行われた「大阪の愚かな選択」は「自らの思考停止状態」を世間に示す意味でそれに匹敵したものといえるでしょう。)  現在から過去を観て「評価する」ことは誰にでもできます。ですが「現在あるいは過去から未来を見通す」ことは限りなく困難な作業であるともいえる。これは「日本およびアジア」には「自らを対象化する」との視点が欠落していることにも起因します。ヨーロッパでは歴史学は哲学にも基盤を置き、そのために自らを対象化することも可能となります。つまり「思索」が常に「歴史を観る目」の根底に求められている。  「当時だって 日本はアメリカには絶対に勝てないと予測していた人も少なからずいたわけですし、最悪のシナリオだって想定していたはずです」こうした質問者様の疑問は確かに当時の一部にあったことも事実です。でもそれが大津波に飲み込まれていったのはなぜか、と考え問うことだけが現在の私達に突きつけられた課題であるともいえます。

yingtao7
質問者

お礼

ありがとうございます。 >歴史にはいわゆる「タラ・レバ」はありません。  もちろん、これは重々承知の上での質問です。 ただ、抽象的に少し質問がはぐらかされた感じがしますが、少し質問を変えます。 今の日本政府だって聡明とは言えませんが、今の日本政府ならハルノートを突きつけられたらどうすると思いますか?

  • eroero1919
  • ベストアンサー率27% (3007/11114)
回答No.3

ハルノートを突きつけられた瞬間に、「開戦するか、戦わずして降伏するか」の二択しかなくなっていたのですから、どのみちどうしようもなかったと思います。 どんな名監督でも、9回ツーアウトで5点差で負けている状況から逆転することはできません。 今、日本がTPPに参加するかどうかでなにかと話題になっていますよね。TPPに参加すると日本の健康保険制度が崩壊するとか日本の農業が崩壊するとかいって反対する人たちがいます。 んで、それでもしTPPに参加しないほうを選んで20年後に日本が落ちぶれてしまったとしたら、あのときTPPに参加すればよかったということになるでしょう。 一方、もしTPPに参加して反対派が主張するように健康保険制度や農業が崩壊したら、参加したばかりに日本はボロボロになったということになるでしょう。 つまり、結果論の後知恵ならなんとでもいえるということなんですよ。 当時の日本は中国に対して日中戦争による多数の戦死者と、膨大な戦費を投入していました。それを「今さら撤退します」では国民の理解が得られませんでしたし、経済的にも日本は中国に対して投資してきました。ハルノートってのは、今の日本に対して「日本企業は中国から出て行くように」といわれているのと同じことなんです。

yingtao7
質問者

お礼

ありがとうございます。 >当時の日本は中国に対して日中戦争による多数の戦死者と、膨大な戦費を投入していました。それを「今さら撤退します」では国民の理解が得られませんでしたし、経済的にも日本は中国に対して投資してきました。  これは私が質問で書いた最悪のシナリオを想定していなかった人が多かったからでしょう。 しかし、破滅に向かっていることを知りながら後に引けずに、ますます傷口を広げるのは人間の性でしょうか? 先物取引やギャンブルでも損をし始めると破産するまで続けるのに似ているのかもしれませんね。 しかし、この質問では国民も含め、もっと“聡明”だったらという仮定でお考えいただければ幸いです。 >ハルノートってのは、今の日本に対して「日本企業は中国から出て行くように」といわれているのと同じことなんです。  今の日本なら、中国がアメリカやロシアまで巻き込んでいる状態で、敢えて開戦する「気概」はないと思います。

回答No.2

宣戦布告を日本語でしていたくらいでしょう。

yingtao7
質問者

補足

>宣戦布告を日本語でしていたくらいでしょう。  英語でも日本語でも同じことだし、ぜんぜん聡明じゃないんじゃん?

  • abonabon
  • ベストアンサー率8% (2/24)
回答No.1

肝心の質問は何ですか?

yingtao7
質問者

補足

ですから、当時の日本政府がもっと賢かったらどのような決断をしていたかということです。

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