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努力の描写が端折られているキャラの評価について

努力の描写が殆ど描かれていない、何をしたのか具体的に分からない というキャラについて、 「こいつ、努力(他のキャラより)本当にしてるの?」「これに抜擢されたのって主人公補正とかでしょ(後は親の七光り、身内のコネ、審査基準がそのキャラに明らかに有利 など。一応そう言える根拠はある発言)」 と言い張る人と 「こいつは人よりずっと努力している。成功を収めたのは努力の賜物。描写がなくてもそのくらい察しろ(大体そこは話のメインではないんだから何話も使えるか)」 と言い張る人どっちが正しいでしょうか? また、前者はアンチと取られてもおかしくないですか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • mojitto
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回答No.1

“察しろ”という点では正しいのは後者ですが、後者の主張の“こいつは人よりずっと努力している”という点は想像の域の話なので間違っていますね。 努力のシーンは必要だから描いてあるのであって、必要なければ描くこともないですし、そういうところで読者は想像を膨らませるんだと思いますよ。 よって、読者の想像に任された範囲のことについて、このような質問は無粋と言えるでしょう。 答えなどありません。

koumikun
質問者

お礼

努力のシーンは必要なければ入れることもないですか。 最近は「努力の描写端折られてるけどちゃんと描いたり数ページ回想入れればもっと面白くなりそうなのに」という作品が増えた気がします。 ありがとうございました。

その他の回答 (1)

  • mizukiyuli
  • ベストアンサー率34% (1106/3224)
回答No.2

キャラと作者の表現力(表現方法)によるのではないですか? 1.「努力家である」という設定がある場合 努力家であるという設定なのに努力しているように見えないのは完全に作者の力不足です。 しかし「努力家である」という設定が公式である以上そうは見えなくてもそのキャラは見えないところで努力しているのです。 それを努力しているように見えないから「こいつはただの主人公補正」などという発言を繰り返すのはただのアンチです。 後者が正しいといえるでしょう。 2.設定がない場合 どちらが正しい、ということはないですが… 努力しない天才が評価されちゃいけないの? 影で努力しているかもしれないし、していないかもしれない。 ただそれを親のコネはともかく「主人公補正」とか「作者の贔屓」などとメタ発言で片付けようとするのは頭が悪いと思われるだけだと思います。 応援してるキャラが贔屓されないからひがんでるだけのようにも見えますね。

koumikun
質問者

お礼

「努力しない天才の何が悪い」と言っても「努力してない」発言だけでアンチ認定する人もいますし、こじ付けで下から這い上がった努力する天才に設定する人もいます。 (どう見ても初期は不幸などではなく並~いい方なのに) 人より努力していないけど才能と運が抜群だから勝ち上がった妄想の話も作るのは自由なんですかね。 ありがとうございました。

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