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芸子・舞子・花魁の区別
芸子さんと舞子さんの大きな違いは芸子さんはベテランの方で舞子さんは10代の若い女のコとよく聞きます。 でも10代はとうに過ぎたと見られる女性の方まで総称して舞子さんと読んでますよね。 舞子・芸子の区別は特にないのでしょうか? また花魁の仕事は踊るだけでなくて今でいう水商売のような男性相手の夜の仕事ですが、 舞子さんも(今は違法になってしまいますが)もともとは花魁と区分けがなかったのですか?
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こんばんわ。 bungetsuです。 >>花魁は廓をでられないとのことですが、おばあちゃんになっても客を取り続けさせられるのでしょうか?(°□°;) 花魁だけではなく、廓に居た遊女たちは、27~28歳で年季明けとなりました。 そこで、彼女たちは、25~27歳位になると馴染みの客の中から、将来を一緒にできる男をそれこそ一生懸命になって探しました。 それでも、男に縁の無かった遊女は、置屋に残り「やりてババア」として、若い者の躾や面倒をみました。 と言うと体裁は良いのですが、足抜けなどをした遊女の折檻などもして、しまいには死に至らしめることもあり、それこそ「やりてババア」だったのです。 (よもやま話) (1)吉原の誕生: 慶長5年(1600)、家康が関が原の戦いに出陣した折、鈴が森の八幡さまの前に茶店を造り、揃いの赤タスキに赤手拭をかぶった遊女8人に家康の茶の接待させた男がいました。 家康は大変な気に入りようで、関が原の合戦で勝利をおさめると同時に江戸に幕府を開くと、その男、庄司甚右衛門に元和3年(1617)に日本橋葦屋町に公認の遊女屋開業の許可を与えました。そのあたりは、まだ一面の葦(よし)野原であったことから、めでたくもじって「吉原」と呼ぶようになりました。 (2)遊女のランクとしては、「太夫」(たゆう)、「格子」、「散茶」(さんちゃ)、「うめ茶」、「五寸局」(ごすんつぼね)、「三寸局」、「なみ局」、「次」(つぎ)の序列でした。 (3)吉原ができた当時は、昼間だけの営業で、大名や江戸家老、豪商たちだけの遊び場でした。 従って、特に「太夫」は、容姿や唄、音曲だけではなく踊り、囲碁、将棋、書、そして「八代集」や「源氏物語」等を「レ」(れ点、または、返り点)なしに読むことができるほどの教養を身に付けていました。超インテリ女性だったのです。 (4)明暦3年(1657)の大火で江戸が焼け野原となると、幕府は浅草方面の開発を進め、多くの寺社が北へ移転しました。 吉原も、お城の近くに風俗店があるのは好ましくない、という理由から浅草日本堤への移転をさせられました。 そこで、吉原は客数の減少を訴え、以後、昼間だけではなく夜間の営業もするようになりました。同時に、一般庶民の遊べる遊郭として新たなスタートを切ったのです。 (5)ところで「花魁」はどうしたの? (3)でも述べましたが「太夫」は余りにも教養があり、庶民(豪商でも)一晩夜を共にするだけには余りにもかたぐるしすぎる。 そこで、宝暦年間(1751~)には、「太夫」の数も減少し、やがて、「太夫」はなくなり、替わりに、そこそこの容姿で、そこそこの話題についていける「花魁」が登場することとなりました。 「花魁」の語源としては「おいらんの姉御」、「おいらんの」から「おいらん」と呼ぶようになり「花魁」という漢字が当てはめられました。
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- 川原 文月(@bungetsu)
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こんにちは。 私は、自称「歴史作家」です。 >>舞子・芸子の区別は特にないのでしょうか? 芸子とは、踊や音曲・鳴物で宴席に興を添え、客をもてなす女性。芸者・芸子のこと。酒席に侍って各種の芸を披露し、座の取持ちを行う女子のことであり、太夫遊びが下火となった江戸時代中期ごろから盛んになった職業の一つである。 舞妓とは、京都のみで発展した歳の若い芸子を指しました。年齢は決して10代とは限らず、おおむね28歳前後までを舞妓と呼びました。28歳前後になると、ベテランの域に達しますので、太夫の称号を与えられ、そのまま芸子として唄や踊りを続ける者と若い芸子や舞妓の師範役をする者とに分かれます。 また、芸子も舞妓も20歳前後になると「旦那」と呼ばれるスポンサーが付き、「水上げ」と言って、その旦那に体を与えました。 ただし、現在は、それは「売春行為」ですので音やみとなっていますが、現代でも、隠れて同じようなことは行われているようです。 花魁とは、決まった置屋に住み込みで唄や踊りも披露しますが、主に、夜の相手をしました。 芸子や舞妓はお客のお呼びがあれば、お客の指定した場所に出向いて芸を披露しましたが、花魁は、あくまでも遊郭の中だけの商売で廓(くるわ)の中だけで生きていきました。
お礼
ご丁寧にわかりやすいご回答ありがとうございます! 舞妓を舞子と誤変換… 恥ずかしいp(´⌒`q) 出向いて唄や躍りを披露することを職業とした女性を総称して芸子と言い、その中でだゆうになる前の特に若い女性を舞子と呼んだ…ということですね。 花魁は廓をでられないとのことですが、おばあちゃんになっても客を取り続けさせられるのでしょうか?(°□°;) それにしても京都でみかけるかわいい舞妓さんの中にもまだ「水上げ」などお得意さんの夜の相手をしている人もいるのかと思うと複雑ですね…。 でも稼がないと食べていけないし現実は結構いるのでしょうね…
お礼
ありがとうございます。 その道のプロのかたにご親切に教えて頂いて恐縮です。 江戸時代前後から政権など複雑になり歴史が全くわからなくなり勉強を投げてきましたが、大人になった今こうして教えていただくと大変おもしろいですね。 本当にありがとうございました。 またよろしくお願いしますm(_ _)m