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昔の舞妓さん、芸子さんについて教えてください
- 昔の舞妓さん、芸子さんの生活や習慣をご紹介します
- 舞妓さん、芸子さんの忙しい時期や行事について知りたいです
- ウィキペディアには載っていない情報も教えていただけると嬉しいです
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質問者が選んだベストアンサー
こんばんわ。 私は、自称「歴史作家」です。 >>(1)今の舞妓さん、芸子さんと違う点 江戸時代に書かれた「古今役者大全」によると、 「諸方へ召され舞事(しょさ)をして、それを業(なりわい)とするを芸者といひ・・・」 とありますが、やがて、専(もっぱ)ら踊を担当する者を「踊子」と呼ぶようになった。・・・とあります。 大道寺友山の「落穂集」には、 「野も山も踊子、三味線弾きばかりのようになったのは、元禄以来の事であろうか。女の子を踊子などにするには、親達も物入りであるから、五百石や千石の知行取の武士を目当てにすることではない。せめて六~七千石から万石以上の領主、或は国主の方へ奉公させたい願いで、師匠を択し(たくし=選び)物入り構わずに稽古させることである」 とあるように、踊が上手であることが、奥入りでは大変な出世コースに乗れる要件だったのかも知れません。 従って、踊子は元禄時代(1688~)から三味線や琴、鼓(つづみ)なども習うが、踊を専門とするようになったようです。 そして、舞妓についてはWikipediaにあるように水茶屋が原点のようですが、昭和45年の赤線が廃止されるまでは、舞妓が一人前になる証として「水揚げ」(贔屓の旦那に処女を捧げる)の儀式がありましたので、どちらかと言うと、やや「遊女」に近い部分があったと考えます。 そして、「芸子」(芸妓・げいこ)の見習いを「舞子」と呼ぶようです。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B8%E5%A6%93 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1310960148 歴史?については(4)その他でお答えします。 >>(2)1年を通して、もっとも忙しい時期はいつだったのか やはり、秋でしょうね。 京都は吉野(山)や色々な寺院での紅葉が見ごろになりますから、人出も多くなり、ひいては、舞妓や芸子を呼んでのドンチャン騒ぎも盛んになるでしょう。 また、夏の祇園祭「宵山」(7月14日~16日)、「山鉾巡行」(7月17日)、「神輿渡御」(7月17日)なども観光客で賑わい、多忙な時期ではないでしょうか。 >>(3)舞妓さん、芸子さんの習慣や行事 有名なところでは、 年末の行事: 京都の祇園などでは師走の花街行事として「事始め」が行われました。京都の花街の「事始め」は、正月を迎える準備を始める伝統行事です。毎年12月13日に、舞妓さんや芸妓さんが、日頃お世話になっている芸事の師匠の家を回って一足早く新年の挨拶を交わします。華やかな着物姿の舞妓さんは1年の感謝を述べ、師匠から舞扇を受け取ると、来年の芸事への精進を誓います。 年始の行事: 京都で一番多い舞妓を抱える宮川町では5日から新年の行事が始まる。5日は事始め、贔屓をしてくれるお茶屋、料理屋に、 「おめっとうさんどす、本年もどうぞよろしゅう、お頼のもうします」 と, 挨拶廻りをする。 始業式は7日だが、80名からの芸舞妓が黒紋付に身を固めて宮川筋を行き来する5日の景色は一足早い京都の春。 現代の年間行事: 1月7日・・・・・・・始業式 2月3日・・・・・・・節分奉納舞 3月中旬~下旬・東山花灯路 4月18日・・・・・・平安神宮例大祭奉納舞踊 6月第三土・日・・都の賑い 7月下旬・・・・・・・ゆかた会 7月24日・・・・・・花傘巡行、小町踊 10月22日・・・・・時代祭 11月1~10日・・祇園をどり 12月初旬・・・・・・南座顔見世総見 12月13日・・・・・事納め 古くは、もっと行事が立て込んでいたように思いますが、史料がみつかりませんので、ご勘弁を・・・。 >>(4)その他 歴史: ★舞妓や芸者を辿っていくと、「古事記」や「日本書紀」などに見られる、天岩戸の前で舞を舞った天鈿命(あめのうずめのみこと)にその原型が見られるとも言われています。 ★天平時代(1165~)の「万葉集」に「遊行婦女」(うかれめ)が出てきます。「遊行婦女」とは宴席に侍り歌舞、音曲などをしたと言われています。春をひさいだかは定かではありません。 ★平安時代になると、神社の巫女(みこ)が布教と勧進のため、諸国を巡り舞を披露したとも言われています。そして、白い直垂(ひたたれ)に水干、立烏帽子、白鞘巻の刀を差していたことから「白拍子」と呼ばれました。 ★また、昔は現代のようにディズニーランドなどがありませんでしたので、神社は恰好な「遊覧地」でした。そこで生まれたのが淫売行為でした。つまり、「遊女」の起源も巫女にあったのです。 ★諸国勧進に回っていた巫女も公家などの屋敷で歌舞、音曲を披露した後、多額な浄財を得るため春をひさげたりしました。 ★では、寺では・・・と言うと、寺でも尼さんが諸国勧進に回ったりしましたが、江戸時代の江戸では堕落した尼が春を売り、 坊主頭で売春と聞くと変な感じもしますが、江戸っ子には変態もいて、結構人気があったようで、 「三が日待たず 比丘尼は 見世を張り」 と言う狂歌にまで詠まれ、正月の三が日さえも休むことができなかったとか。 答えになっているでしょうか・・・・。
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- 川原 文月(@bungetsu)
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こんにちは。 暦法計算。 ありがとうございました。 私も良い勉強になりました。 まあしかし、このような難しい問題よりも、京都に行って、舞妓さんや芸者さんを揚げて、ゆったりと美酒にでも浸りたい気分ですね。 紀伊国屋文左衛門のように、妓楼を買い切りにして、ドンチャン騒ぎでもいいですね。 こちらこそ、ありがとうございました。
お礼
わ、丁寧にありがとうございます。 歴史のところ、ほんとうに参考になりましたし、面白かったです。 また機会があったらお願いしますね。 長い年月のうちに歴史は絡まった糸のようになってしまうんですね。 でも、ちょっとづつ絡まった糸をといていくのも楽しいですね。 そのあとに祇園でお酒なんか呑めたら言うことないですね~。 (飲めないけど 笑)
- 川原 文月(@bungetsu)
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こんばんわ。 またまた、勘違いです。 赤線が廃止されたのは、 昭和31年5月24日法律第118号、売春防止法。この法律制定によって赤線が廃止されました。 たびたび、ごめんなさい。
お礼
丁寧に訂正をありがとうございます! そしていろんなことを教えてくださってありがとうございました!
補足
>つまり、二十七節気に照らし合わせると、12月13日は「鬼宿日」で、4月8日も「鬼宿日」に当たり、この「鬼宿日」にお釈迦様が生まれた・・・と言われて、「吉日」として祝うようになった・・・と言うことらしいです。 ウィキペディアには次のように記されています。 中国(日本)の旧暦(太陽太陰暦)における月日がわかれば、自動的に二十七宿が決定される。 9月1日→氐 10月1日→心 11月1日→斗 12月1日→虚 正月1日→室 2月1日→奎 3月1日→胃 4月1日→畢 5月1日→参 6月1日→鬼 7月1日→張 8月1日→角 各月の朔日の宿は以上の通りであり、あとは日の分だけ進ませれば良い。 なお、同一の月の中では宿をひとつずつ進めていくが、(旧暦で)翌月に移行するときには上表に従うため、宿をジャンプしたり同じ宿が続いたりすることがある。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E5%8D%81%E4%B8%83%E5%AE%BF ウィキペディアにはなぜか宿の順番が書かれていないですが 角→亢→氐→房→心→尾→箕→斗→女→虚→危→室→壁→奎→婁→胃→昴→畢→觜→参→井→鬼→柳→星→張→張→翼→軫の順だと思います。 http://www.koyomi-shinreikan.com/about/index.html 12月1日は虚なので、上の順番に宿を進めれば、虚から13個目は鬼です。 しかし 4月1日は畢なので、4月8日は張になって、鬼ではないですね? お釈迦様が鬼宿日に生まれたという話があるという記述は見つかりました。 4月8日は釈迦が成道した日だとする説があると ウィキには記述があるので、 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%88%E8%BF%A6#.E6.88.90.E9.81.93 4月8日を釈迦の誕生日とする習慣は、成道した日と、誕生日が混乱した結果なのかもしれませんね。
- 川原 文月(@bungetsu)
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こんばんわ。 私の書き方が悪かったようで、混乱をさせてしまい、大変申し訳ありませんでした。 >>よく4月8日がお釈迦様の誕生日だと言われますが、諸説あるんでしょうか。 確かに、お釈迦様の誕生日は4月8日が一般的のようですね。 >>そして、12月13日は「鬼宿」(きしゅく)にあたり、この日にお釈迦様が生まれたと言われて・・・。 つまり、二十七節気に照らし合わせると、12月13日は「鬼宿日」で、4月8日も「鬼宿日」に当たり、この「鬼宿日」にお釈迦様が生まれた・・・と言われて、「吉日」として祝うようになった・・・と言うことらしいです。 私も、偉そうなことを言っていますが、月の満ち欠けによる、いわゆる、太陽太陰暦の暦法計算は全く知りません。 人の話の「受け売り」で申し訳ありません。 ただ、このサイトを通じて、それぞれの方の意見を聞くことで、私も勉強ににるような気がしています。
お礼
度重なる回答をありがとうございます。 申し訳なくなどないですよーー。 いろいろ教えていただいて、本当に感謝!です。 お釈迦さまは「鬼宿日」に生まれた、と言われているので、4月8日や12月13日がお釈迦様の誕生日だと言われているのですね。 本当にいろいろ勉強になりました!
- 川原 文月(@bungetsu)
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こんにちは。 >>事始めは12月13日ですが、この日は一般的には「正月事始め」の日で、正月準備をする日です。 しかしながら、祇園では舞妓さんや芸子さんはお師匠さんに「おめでとうさんどす」と一足はやく新年のあいさつをし、お師匠さんは「おきばりやす」と声をかけられるそうです。 (テレビのニュースで見ました。) なぜ、正月準備をするべき正月事始めの日に、新年のあいさつをするのか。 なぜ正月事始めの日なのに、事始め(仕事初めといってもいいでしょうか。)と言われているのかと疑問におもいました。 もしかして、昔は12月13日以降が舞妓さんや芸子さんの繁忙期だったので このような習慣ができたのではないかなあ、と思ったり。 回答者さまはどう思われますでしょうか? この回答は暦の話から始めたいと思います。 日本にも古くから、中国から輸入された暦がありましたが、特に、長慶天皇(正平23年/応安元年・1368~・南朝3代)の頃、中国からもたらされた「宣明暦」(せんめいれき・正式には「長慶宣明暦」という)での考えで、「二十七宿」という月の周期が27日で一回りすることから、12月13日は必ず「吉日」となったと言われています。(二十八宿の考え方もある)。 そして、12月13日は「鬼宿」(きしゅく)にあたり、この日にお釈迦様が生まれたと言われて、結婚式以外は何でも吉日に当たるとの考え方が定着しました。これは、インドから中国へ伝わり、日本へ渡ったと言われています。 従って、このめでたい日から正月が始まる・・・とされ、江戸時代までこの暦は使われましたが、その後も、この吉日との考え方が残りました。 そこで、舞妓や芸子などは、古い仕来りの世界ですので、この12月13日が新年と同じ・・・つまり、年の始めとされて、 「おめでとうさんどす」 と言うようになったのではないかと考えます。 また、この日から、舞妓や芸子の置屋では正月準備が忙しくなったと言われています。 私は、仕事柄、江戸時代の大奥などの史料もまあまあ持っていますが、大奥では12月1日から13日まで大掃除をし、12月13日は歳神様を迎える準備をすべて整えて、新年の始まりという慣例がありました。 >>その日、宮川町には行きませんでしたが、宮川町では1月5日が「事始め」の日なのでしょうか? それとも宮川町でも12月13日にも事始めの行事をし、1月5日にも事始めの行事があるのでしょうか? 12月13日は踊りのお師匠さんに挨拶をする日、1月5日はお茶屋さんや料理屋に挨拶をする日、なのでしょうか? この年始の行事については、申し訳ありません。次のサイトから引用いたしましたので、私自身の体験などではありません。 http://blogs.yahoo.co.jp/ashigara_shimon/21543151.html このサイトを見る限りでは、1月7日が始業式で、その前に、お得意さん回りを済ませるのが仕来りのようですね。 そして、「事始め」はやはり同じ芸子の世界ですから、12月13日に師匠さんへの挨拶をしていると考えます。
お礼
またまた丁寧&親切な回答をいただき大大感激です~。 ありがとうございます。 祇園で12月13日が事始めになっている理由、たいへん興味深く拝読いたしました。 宮川町での年末と新年のしきたりについても、ありがとうございました。 事始めとか、正月事始めとか、始業式とかややこしいですね~ ところで、お釈迦様の誕生日って、12月13日なんですか? よく4月8日がお釈迦様の誕生日だと言われますが、諸説あるんでしょうか。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%88%E8%BF%A6 上記ウィキには成道した日が4月8日、2月8日、2月15日、12月8日などなど諸説ある、と書いてありました。 (誕生日については記述がなかったです ><)
お礼
丁寧で詳しい回答をいただき、感激いたしております。 これだけの長文、書くのにさぞかし、時間がかかったことと思います。 本当にありがとうございます。 「古今役者大全」「落穂集」などの文献、大変参考になりました。 >舞妓が一人前になる証として「水揚げ」(贔屓の旦那に処女を捧げる)の儀式がありましたので、どちらかと言うと、やや「遊女」に近い部分があったと考えます。 そうですね、私もそうだったんじゃないかと思います。 実は祇園の「事始め」の習慣について疑問に思うところがあって、この質問をたてました。 事始めは12月13日ですが、この日は一般的には「正月事始め」の日で、正月準備をする日です。 しかしながら、祇園では舞妓さんや芸子さんはお師匠さんに「おめでとうさんどす」と一足はやく新年のあいさつをし、お師匠さんは「おきばりやす」と声をかけられるそうです。 (テレビのニュースで見ました。) なぜ、正月準備をするべき正月事始めの日に、新年のあいさつをするのか。 なぜ正月事始めの日なのに、事始め(仕事初めといってもいいでしょうか。)と言われているのかと疑問におもいました。 もしかして、昔は12月13日以降が舞妓さんや芸子さんの繁忙期だったので このような習慣ができたのではないかなあ、と思ったり。 回答者さまはどう思われますでしょうか? 私は12月13日に祇園白川あたりに行ってみましたが、挨拶まわりの舞妓さん、芸子さんに数多く出会いました。 その日、宮川町には行きませんでしたが、宮川町では1月5日が「事始め」の日なのでしょうか? それとも宮川町でも12月13日にも事始めの行事をし、1月5日にも事始めの行事があるのでしょうか? 12月13日は踊りのお師匠さんに挨拶をする日、1月5日はお茶屋さんや料理屋に挨拶をする日、なのでしょうか? 教えていただいたこと、すべてが大変参考になりましたが 中でも歴史が面白かったです♪ ありがとうございました。