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投票のパラドックスについての質問です。
パラドックスという言い方は正しくないのかも知れませんが、投票にまつわる合理性についての疑問があり、それについて質問させてください。 民主主義を守って行くためには、選挙のために投票に行く事が重要だとよく主張されます。そして、私自身もその通りだと思います。 しかし、自分の一票で大勢が動く事はまずありません。 仮に自分以外に投票に来た人が1万人だとすると、自分の票の力は候補者を決めるにあたって一万分の一の力しかありません(候補者を決定できる力全体を一だと考えますと)。 合理的に考えますと、自分が投票してもしなくても、選挙結果には殆どの場合は影響を与えないでしょう。例えば、二人の候補者の得票数が5000票と5000票というまったく同じ票数で割れていた場合ぐらいでしか、自分の一票は効力を持ちません。 となると、合理的に考えれば考えるほど、投票に行く行為は無意味に思えます。もちろん、建前として「投票に行くのは重要だ」という事はできますが、理論的な真実をきちんと重視するならば、行っても行かなくても変わらないような行動をする事は、たとえどんなに政治に関心があっても、意見や主張があっても、無意味である、と結論できるのではないでしょうか。 ところが、ある個人個人にとっては無意味であっても、全ての人が同じように考えたら、今度は選挙自体が成り立たなくなってしまいます。合成の誤謬という状態ですね。 (政治を良い物にしたい、というインセンティブがあったと前提して)この場合、どのような行動を採る事が、個人として合理的だと言えるのでしょうか?
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- staratras
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>合理的に考えますと、自分が投票してもしなくても、選挙結果には殆どの場合は影響を与えないでしょう。 こう考えたくなるのも心情としては理解できますが、現実の日本の選挙を考えた場合、決して「合理的」とは言えないと思います。議論の前提が、事実とは異なっているのではないでしょうか。 人口の少ない地方はもちろん、東京などの大都市でも地方議会議員選挙などでは特に「一票の価値」が大です。東京のまさに都心部である千代田区を例に挙げますと、ことし4月に行われた区議会議員選挙では、最下位で当選した2候補(444票で同数)と次点で落選した1候補(442票)との得票数の差はわずか2票でした。ほんの数人の有権者が投票したかしなかったかで、選挙結果が異なったものとなっていた可能性があります。 国政選挙では、さすがにそこまでの小差にはなりませんが、それでも平成15年の衆議院議員選挙では千代田区を含む東京第1区の当選者と次点の候補者との得票数の差は1437票しかありませんでした。 また衆議院議員選挙で小選挙区においては当選者とその他次点以下の候補者との得票数に相当の差がついたような場合でも、次点以下の候補者が比例代表に重複立候補し、その所属する政党の候補者名簿に同一順位で搭載されていた場合には、その惜敗率がその候補者の比例代表での復活当選を左右する要素になるため、小選挙区で落選した候補者に投じられた1票も完全な「死票」ではなく、意味を持ちます。そして、復活当選を果たした最下位の候補者と、次点になった候補者との惜敗率の差が僅差であることも多く、現実の衆議院議員選挙では、毎回少なからぬ復活当選者が存在します。つまりこのような場合は(小選挙区での)落選者に投じられた1票も生きた票になります。 国民が政治にかかわる手段は選挙の投票だけではありませんが、もっとも身近で容易にできることである割には、投票率が長期低落傾向にあることは気がかりです。「自分が投票してもしなくても、選挙結果は変わらないだろう」という消極的な姿勢ではなく、現実を変える可能性があることを信じて、もっと積極的に選挙での投票という貴重な権利を活用していく必要があると考えます。
- at9_am
- ベストアンサー率40% (1540/3760)
> (政治を良い物にしたい、というインセンティブがあったと前提して)この場合、どのような行動を採る事が、個人として合理的だと言えるのでしょうか? ゲーム論として考えてみましょう。 まず、候補者は二人にします。A氏とB氏です。 質問者氏はA氏の政策が実行されれば101万円の利益があるとしましょう。例えば減税や社会保障の充実などで、です。一方のB氏では1万円だとします。 勿論、この額は人によって異なります。別の人には産業振興などによりB氏の方が5000万円の利益となるかもしれません。 ここでは分かりやすいように金額にしていますが、何らかの満足度でも、政治的腐敗撤廃でもなんでもかまいません。人によって、そのポイントが違っても構いません。 どちらの候補が良いのか、その差は(後に述べる)投票に行くという行為と比べてどの程度重要か、という点が分かればそれで充分です。 一方で質問者氏が選挙に行って投票するコストは、歩いて行って投票箱に票を入れて帰ってくるだけですので、10円にしておきますか。 もう一つ、ゲーム論で考えなければならないのは、他の人の行動です。 投票に行くときには結果は分かりませんので、結果を、A氏は○%、B氏は○%の得票を得る、というように予測し、何らかの分布を考えるわけです。 その上で、投票することでA氏の当選確率が10万分の1以上改善するなら((101万-1万)/10)投票に行くのが合理的です。 逆に結果が変わらないなら投票に行かない方が合理的です。 現実に以上のように考えて投票に行くか行かないかを考えることをしている人はいないと思いますが、上記のモデルで、結果が分かりきったような選挙は投票率が下がることを説明することができます。また、A氏でもB氏でも同じ利益だったとすれば、投票に行かない方が合理的になりやすくなります。これは、例えば実力が拮抗していて対立軸があまりないと投票率が下がることと合理的です。 なので、ごくわずかしか選挙結果が変化する可能性がないとしないとしても、投票することが合理的である場合が存在します。 もう一つ、自ら立候補して投票される側になることも可能ですが、質問の内容を離れるようなので割愛します。
- cisim_body
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前提条件が間違っている。 投票とは、これすなわちアンケートと同じ。 何人かの候補者の公約を聴き、どの候補の公約が気に入ったかのアンケートだ。 だから、投票率100%でも投票数1票でも、ある種の分布を形成する。 ほぼ平均的な得票になるのか、誰かの1人勝ちになるのか、事実上の2人対決になるのか・・・。 その分布がどういう構成をするかは候補者達によって変わる。 そして、ひとりひとりの1票は、その集合を構成していると言うこと。 集合の構成要素になることに意味がある。 候補者数と有権者数があまりに大きな比を持っている(候補者数≪有権者数 もしくは 候補者数÷有権者数≒0)ため、有権者の1票は決定権を持ち得ないが、決定権をもつ1票と集合を構成するのに役立つ1票とを混同しないほうが良い。 > ところが、ある個人個人にとっては無意味であっても、全ての人が同じように考えたら、今度は選挙自体が成り立たなくなってしまいます。合成の誤謬という状態ですね。 これの言わんとしていることがサッパリ理解できないのはオレが馬鹿だからだろうか? すべての人が同じことを考え、ひとりの候補に投票したら、一人勝ちという結果が産まれるだけだが。 それが、白紙投票や棄権となって、有効投票数が0なら選挙は成り立たないけど。 様は、投票結果の持つ分布を構成するひとりであると認識することだ。