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従軍看護婦と日本赤十字社、文化遺産ってどう?
- 軍医と日赤の関係や協力体制、日赤の博愛精神の実際の運営状況について検証します。
- 従軍看護婦の日常業務や戦場での活動、彼らが直面した困難について探求します。
- アンリーデュナンやナイチンゲールの考え方や日本赤十字の活動との関連性を解説します。
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No.1です。 検索してみたら、 日赤の看護婦委託教育で、軍病院・医大・大病院など でも養成されていて、太平洋戦争で召集されたのは 3万5千人以上です。 【NHKアーカイブス「従軍看護婦が見た戦争」】 太平洋戦争中、赤紙で召集された日本赤十字社の 看護婦は3万5785人、殉職者は1120人に及ぶ。 http://cgi2.nhk.or.jp/shogenarchives/shogen/movie.cgi?das_id=D0001100116_00000 【第二次世界大戦下における日本赤十字社の看護教育】 http://www.sed.tohoku.ac.jp/library/nenpo/contents/54-1/54-1-05.pdf 【従軍看護婦】 婦長は下士官待遇、看護婦は兵の待遇であったが、 古参の婦長は中尉待遇などの人もいて、下士官や 下級将校では頭があがらず、ご機嫌をそこねると ビンタくらうはめになった人もいたという。 http://www13.ocn.ne.jp/~seiroku/jyugunkango.html
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- fedotov
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軍隊には、男性の衛生兵がいます。 危険な最前線に出るのは看護婦ではなく衛生兵です。 従軍看護婦団は、安全な後方基地の病院勤務です。 クリミア戦争でナイチンゲールが行ったのも後方基地の 野戦病院です。 そもそも衛生兵は敵兵を救護しないので、前線から従軍看護婦 のいる野戦病院に送られてくるのは味方の負傷兵ばかりです。 ナイチンゲールが当初、赤十字に反対したのは(後に賛同)、 デュナンの「敵味方を問わずに救援する」という考えに対し、 ナイチンゲールは「味方の兵士を助けるべきだ」という、考えの 違いがあったからです。 国内の軍病院と違って、野戦病院は接収した建物によります。 日本で進駐軍が接収したのは、ホテルとか貴族・富豪の邸宅 (使用人の部屋も多い)なので、個室が多くても不思議では ないと思います。 新築するとしても、大広間は強度的に太い梁や補強が必要です。 間仕切りを多くした方が、材料確保も運搬も建てるのも楽。 【衛生兵】 一般的に衛生兵は師団において2パーセントから5パーセント の程度の人員を占め、彼らによって衛生大隊が編成される (もちろん、国や時代により部隊編成規模の差異はかなり 大きな幅がある)。 陸軍看護婦や日赤従軍看護婦は、兵站病院以上の後方医療 部隊に配置されたため、師団の野戦病院での看護はすべて 衛生兵が担当した。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E5%A4%96%E7%97%85%E9%99%A2
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有難うございました。 広東第一陸軍病院と言うものが、存在したという講演を聞きました。 またそこに在住した葉蒋梅という日赤看護婦の挨拶も聞きました。 関大の講演ですので嘘でもなさそうです。 どうなっているのでしょうか? 広東といえば、あの軍歌にもある徐州よりまだ奥地に有りますよね。 まさに野戦病院ではなかったでしょうか? なぞは深まります。
お礼
大変貴重な御資料有難うございました。 やっぱり日赤従軍看護婦さんは、おられたのですね!! 奥村モト子さんの記録映画を見させて頂きました。 話には聞いていましたが、生で証言されたのを見たのは初めてです。 ”戦争をしてはいけない”との思いが伝わって来ました。 最後に言われたかったのは、天皇裕仁が最悪人であったと言うことでしょう。