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語らずという事

日比野 暉彦(@bragelonne)の回答

回答No.5

 こんにちは。  判断の基準をどこにおくかということに尽きませんか?  言いかえると 基準は決まっていて 人間の自由 それにもとづく意志疎通 色をつければ互いの信頼関係 これであるはずです。  あとは その場合ばあいによって その人が最終的に決めます。(ですから そのことも 試行錯誤になると思います)。  あとは 《敢えて語らず》の結果をどう捉えるかにもかかわって来ませんか?  沈黙を守ることによって 相手が事実とは違った情報を持ったままになってしまうとしたら どうなのか?  真実を知らないほうが 人間の自由にとって 有益だという場合が 実際にあるのかどうか?  たぶん もしほんとうのことを明かさず伝えないという判断を持ったとしたばあい おそらくそのときには そのようにこれこれのコトについては秘密にしておかせてくれと相手に伝えるのがよいでしょうね。墓場まで秘密のままにしておいてくれと頼むということでしょうね 自由および信頼関係のためには。    *  へたのすけさんは この問いを 上のようにコミュニケーション論一般としてよりは 思想の自己表現にあたって どこまでその思いや内容を言葉にするのがよいか? こういった切り口で挙げておられるのではないでしょうか?  ただし その場合でも 判断基準は 変わりません。気分は変わっているでしょう。自由や信頼関係という基準は そこでは至上命令ではなくなっていましょう。  たとえば この事柄について語るのは もうここまでにしておこうというとき 言葉にして語るのはここまでにしたいので勘弁して欲しいとはあまり言わない。つまり 言っても言わなくても そのことは 自由や信頼関係を傷つけるというおそれからは 解放されているように思います。  思想としてはその文体が 自由だからなのでしょう。  実利的にみれば あとは どのような効果があるかにかかっていることでしょう。  最後になってむしろ嫌味を申すとすれば 沈黙にしろ饒舌にしろ けっきょくは言葉による表現というのは ほのめかしであったり 何かを指し示すだけのものであったりするのだと考えます。  ものごとをそのまま言っても 言わずにだまっていても そのものごとが分かっているなら・またはいづれ分かることであるなら やはり同じことです。事実として明白なことを伝えるのは 基礎のはたらきとしてあるでしょうが それ以上のことを示唆するといった程度とかたちにおいて 言葉のはたらきというものが ほんとうにはあるのでしょう。  言いかえると 沈黙にしても 饒舌にしても けっきょくは同じことなのではないでしょうか? 饒舌にしても・饒舌にさえも そこには何ものかを指し示そうとする心つもりとしてのプラス α が 意識的でない《敢えて語らず》というかたちで伴なわれていましょう。  ★ 重みや上品さ  ☆ は その時代と社会の風潮によって作り上げられていると考えます。ほんとうは 屁の河童です。小さな場や大きな国としての場における空気として つまりむなしいこととしてつくり上げられているだけです。表現は 中身で勝負に決まってるぢゃないですか。貴族趣味はいただけません。(誤解ですよという言葉を期待します)。

noname#156094
質問者

お礼

ありがとうございます。 いつもながら多角的な見方や解釈は良い参考になります。 >それ以上のことを示唆するといった程度とかたちにおいて 言葉のはたらきというものが ほんとうにはあるのでしょう。 言葉の有用性は明らかなものであり、沈黙以上のものである、という事でしょうか。 この解釈は一面正しいように思われます。 ただし、そこにおける言葉が、どのように選ばれ、どのように用いられるのか、といった点については興味があるところです。 譬えた言い方になりますが・・・ 隙間なく描かれた絵もいいですが、余白の多い絵もいいものです。 人の意志をあえて確定させないという含みが、対する人を呑んでしまうという手法のようです。 失礼ながら、ブラジェロンヌさんの御文は細密画のように感じられます。 隙間なく埋め尽くすという饒舌の手法もまた素晴らしいものです。 だが雄弁を気取ってはいない点に見えない心の余白といったものが感じられます。 沈黙を気取らず、沈黙を言葉によって表しておられるのでしょうか。 だとしたら、そうしたスタイルは好ましいようにも思われます。 >思想としてはその文体が 自由だからなのでしょう。 自由は饒舌を生み、饒舌は自由をさらに生む、といったところにコミュニケーションがあるという解釈でしょうか。 言葉の活用の範囲が人それぞれに自由であり、そのことを認め合うところに コミュニケーションがあるということでもあるのでしょう。 ともすれば自由なコミュニケーションというものを忘れがちなように思います。 そうしたところから見れば、表面的な沈黙とは「屁の河童」でしょうか・・・ 意図的な浅い沈黙はそうかもしれませんね。 ありがとうございました。

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