どれもイギリスに端を発している訳ではありません。それはイギリスの歴史学者に騙されています。イギリスの歴史学者は当然ながらイギリス中心史観でイギリスのやることは何でも美化します。しかし歴史は決してそんなに単純なものではないのです。どうして日本人がイギリスの歴史学者に洗脳されているかというと、たまたま日本が幕末から明治にかけて近代化を目指し、その時トップランナーだったイギリスに倣って英語を勉強したからなのです。となれば英語の歴史書を翻訳しようとします。だからなんですね。
市民革命が政治の近代化だというなら、スイスが先駆けではないでしょうか。スイスは1315年に農民兵を中心とした軍でハプスブルク家の精鋭軍を打ち破って古い領主支配を打倒しました。これはどうして市民革命と呼ばれないのでしょうか。ハプスブルク家はスイス発祥の領主貴族でしたが、結局スイスの領地を失ってオーストリアを本拠地に構えました。そういう意味ではスイスこそが市民革命と呼ぶべきではないでしょうか。
それでもイギリスのも市民革命と呼んでもよいでしょう。しかし、それは王権神授説を唱え、イギリスの王様が余りにも我まま勝手のやりたい放題をやらかしたからです。かくなるうえは是非に及ばずで王様を追い出してしまった。それでもやっぱり王様がいないと国がまとまらないってことで新しい王様を迎えたわけです。いきあたりばったりのご都合主義としかいいようがない。
思考の近代化は明らかにイギリスではないです。それはフランスのデカルトです。1637年に発表された「方法序説」こそが思考の近代化なのです。
技術の近代化(産業革命)は確かにイギリスで起こりました。しかし産業革命だけが技術の近代化ではありません。例えば活版印刷術は中国で発明されまし、これも大きな技術の近代化です。それが何故イギリスの産業革命だけが大きくとりあげられるのか。それは産業革命が人力から機械動力への転換で大きな生産性向上を果たし、歴史に大きな影響を与えたからなのです。しかし、そういう意味なら水車小屋だって産業革命なんです。従来、人力で挽いていた小麦が水力に転換されていたわけですから。イギリスの産業革命は奴隷貿易で稼いだ資本家が発明家に資本を投資したから成功できたのです。発明家だけでも資本家だけでも駄目なのです。イギリスは発明家と資本家の分業体制を確立できたからこそ産業革命に成功できたのです。イギリスは武力でポルトガルやオランダを打倒して奴隷貿易を乗っ取ってしまいました。しかしその商売も頭打ちの先細りになります。黒人はインディオと違って頑強なので、酷使にも耐え抜いて、たくましく子供を育てたからなのです。そうなるとイギリス商人が奴隷を売り込みにいっても、新大陸の農場主や鉱山主は「いや、うちは間に合っているから要らない」と断られるわけです。それで資本家が何とか新しい儲け口を見つけないと干上がってしまうと考えた。それが産業革命につながるのです。産業革命に成功すると今度は奴隷が邪魔になる。奴隷の労力に頼られるとイギリスの産業機械が売れないからです。そこで人道主義を唱えて、奴隷解放を主張する。いきあたりばったりのご都合主義としかいいようがない。
経済の近代化(資本主義)はイギリスが発端ではありません。オランダ東インド会社が世界初の株式会社です。イギリス東インド会社も会社は会社だけど商人組合が出資者から航海資金を募るような会社で株式会社とは違います。オランダもイギリスも大航海時代に先行するスペイン・ポルトガルに追いつき追い越すために国策会社を作って、総力戦で勝ち抜こうとしたのです。株式会社が資本主義なのです。オランダが発端だったのです。
結局どれもイギリスが発端だった訳では有りません。先行する他国の成果を真似、横取りして、それをあたかもイギリス発祥かのように見せかけているだけなのです。実に自分勝手ないきあたりばったりのご都合主義としかいいようがない。アヘン戦争でわかるようにイギリスは19世紀になっても中国に売り込める産品が何もない貧しい国だったのです。それが貧しいまま終わらなかった。なんとか裕福にのし上がってやろうと知恵を絞った。その為には自分勝手に自分の都合の良いようにルールも変えた。
答えは一口にいえばハングリー精神があったということです。
ついでに付け加えると中国はハングリー精神が無かった国です。明は大航海時代の100年も前にアフリカに大船団を送る資金力も技術力もあったのに、その後が続かず、内に篭ってしまった。それは目ぼしい産品が国外には何も無かったからなのです。長い期間かけて、危険な航海に乗り出しても、キリンを連れて帰るしかお土産が何も無かったからなのです。そんな危ないことしなくても全部中国の中だけで間に合っているじゃないか。キリンを連れてきたところで、ただ珍しやと一回驚いて終わりじゃ馬鹿馬鹿しくて元が取れない。
そういったハングリー精神の有無が西洋文化と東洋文化の違いなのだと思います。