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リンカーンは奴隷制に反対だったのか

以前ある歴史書でリンカーンは当初は奴隷制に反対ではなくむしろ賛成だったと 記述されていましたが本当でしょうか(書名は忘れました。) 南北戦争において奴隷制の賛否の重要性はどの程度だったのでしょうか。

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回答No.1

> 南北戦争において奴隷制の賛否の重要性 英仏が南部政府を承認するか否かという点で重要でした。彼らは奴隷制度を気にしていたので、解放意思のない南部を支持する訳にいかなかったのです。 そもそも北部にいた(メリーランド等の奴隷制度州と北部に逃げた逃亡奴隷)は所謂「奴隷解放宣言」では解放されていませんので… ヴァージニア・ノースカロライナ・サウスカロライナ・フロリダ・ジョージア・アラバマ・ルイジアナ・テキサス・アーカンサス・ミシシッピにいる奴隷は全て自由民であると言っただけです。 メリーランド・テネシー・ケンタッキー・ウェストヴァージニア・ミズーリの奴隷と北部に逃亡した逃亡奴隷は奴隷身分のままです。

prizon19
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 子供向けの伝記のイメージで考えてはいけませんね。 奴隷解放の対象に例外があったとは知りませんでした。参考にさせていただきます。

その他の回答 (1)

回答No.2

リンカーンは人道的な見地から奴隷制に反対していた訳ではありません。 南部の黒人奴隷は私有財産だったので職業選択や転居の自由は認められていませんでした。 これを解放することにより南部の黒人奴隷を安い労働力として北部工業地帯に流入させるのが奴隷制反対の理由です。 リンカーンはネイティブアメリカンに対する弾圧・虐殺を行っています。 奴隷解放宣言もリンカーンの大統領就任中は南部諸州の黒人奴隷のみに適用され北部の奴隷に対しては適用されませんでした。 リンカーンは、むしろ人種差別主義者だったと思います。 >南北戦争において奴隷制の賛否の重要性はどの程度だったのでしょうか。 南北戦争はリンカーンが奴隷制の制限を実施したことが発端になったので、奴隷制の賛否は重要なファクターです。 ただし前述したように人道的な奴隷制の賛否ではありません。 南部の農業地帯と北部工業地帯の全く異質な経済体制同士の利害対立が南北戦争の本質です。 南北戦争中に行った奴隷解放宣言は、奴隷制に反対していたイギリスやフランスを南部連合から切り離すという外交的な狙いもあったようです。

prizon19
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 奴隷制はきっかけだったのですね。 労働力確保ですか。狡猾というかうまいと言うかこれが現実とは哀しいですね。

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