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釈尊のさとりについて
- 釈尊がさとりを開いた後、南伝・相応部経典6-1に書かれた考え方について説明されています。
- 釈尊は自分が悟った法は一般の人には理解できないほど難しいと述べていますが、一方で相依性によって起こる法として説明しています。
- 後段で述べられている内容は、一般の人にも理解できる範囲であり、さらなる内容があるのかどうかは不明です。
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最近のこのカテでは、釈尊の覚りなどなかったという風潮があるようですが、それは何故ですか? 何か根拠でもあるのだろうか。 大昔のこと、現代に生きる我々としては、釈尊に出会ったわけでもないだろうに。 どうやら、無というものがひっかかっているようですが、 無とは本来、何かが無いという意味であり、全部が無いとか、あれは無いとか、これは無いとか、主語に対して使う言葉であって、どうも無の覚りが云々という言説が舞い上がっている意味がよくわからない。 自分も十年ほど前は、無というものが何処か自由を保証するような気がして、それにかぶれた記憶もありますが、それから延長して釈尊は覚ってないとか、そんなことは言ったことがない。破門で始まる仏道があるとかのたまって、自己に酔いしれた経験はあるが、それでも今振り返れば、若かったな、何もわかってなかったなということに終始します。 このカテで、釈尊の覚りを否定する方は、何を根拠に言うのでしょう。 釈尊や仏教の肩を持つわけではないが、このカテのその風潮のうき具合が少し心配に思えます。 どちらかと言うと、徳とか、そういう話がもっと出ても良いと思うのですが。
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>前半は、詳細な部分までも含めた悟りの全体について、後半は、教えの要点、エッセンスだけについて述べているのだと思います。 ⇒なるほど、そう考えると、良くわかります。きっと、そういうことなのでしょうね。 ご回答、ありがとうございました。