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絵文字やAAは第三の文字か
パソコンや携帯の普及に連れて、ネットを中心に、絵文字やAA(アスキーアート)が盛んに使われるようになりました。 おそらく世界でも日本が最もこの種の表現が発達していると思うのですが、日本で発明された、ひらがな、カタカナに続く第三の文字と捉える解釈は可能なものでしょうか? 体系化されていなくてこれといって決まったルールがないとか、誰でも使うわけではないし全く使わないひ人もいる、手書きや会話では使われないという意味で少し違うものなのかもしれませんけれど。 社会現象としてではなく、言語の観点からの解釈に興味があります。
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文字とは図形と概念を対応させ、図形を描くことで概念を伝えるものです。 絵文字の歴史は文字よりも古く、エジプトのヒエログリフや、最古の文字と言われるマヤ文明のオルメカ文字など、みな絵文字です。 それよりも前は、本当に絵を書いていたと思います。たとえば「王が死んだ」ということを記録するのに、本当に王が死ぬところを表していたのですね。 それがだんだん抽象的になってきて、王を表す絵文字、死を表す絵文字という風になってきたのでしょう。 というのは、早く書けるように、同じことを人に伝えるために共通化するために抽象化が行われたのでしょう。 漢字も昔は絵文字の一種だった甲骨文字などが変形して現在の楷書になりました。 ただ、概念、社会現象、心理などの形がないものを表すために、もともとは動物や天体などを表していた文字を組み合わせたり、音だけ借りたりしているうちに、元の意味を失ってしまいました。 たとえば日、月という字はまだ絵文字としての特徴を備えています。 しかし明と書くことで、日と月が両方あるような本当に「あかるい」という意味になります。 ここで文字は一段抽象化して、明という字があかるいという意味になるという約束事の世界になりました。 そして「明確」「解明」などと抽象的な名詞の一部になっています。 ひらがな、カタカナは、漢字から派生したものです。 万葉集の時代は、すべて漢字で日本語の音を映していました。(万葉仮名) 明治中期まで、ひらがなの中に漢字まじりで見た目に変化をつける、今の時代では「変体仮名」と言われるものが一般的でした。 いまでも食べ物屋さんの看板などで、漢字が変なタイミングで入っているものを見つけると思います。 スマイリーやエモティコンといわれる、日本流の(^_^)、(>_<)という縦向きの字、英語流の :-)、:-( という横向きの字は、パソコン通信の時代から遊びとして使われていました。 遊びと言ってもふざけている意味だけではありません。 「あなたは困った人ですね。」 と書くのと、 「あなたは困った人ですね。(^_^)」 と書くのはニュアンスが全然違います。 これが必要になったのは、メールやWebという字だけのコミュニケーションがこれだけ重要な意味を持った、そのため、定型の連絡だけではなく微妙なニュアンスを表現する必要が出来たためだと思います。 思えば、昔の筆文字の時代は、言葉の内容だけでなく書き方、墨のかすれ、紙の色や香りなども文章の一部であった(書は文学でもあり美術でもあった)のが、印刷文化、通信技術によってどんどん失われていました。 しかしながら、現在は技術の進歩と、文字だけでなんとか深いコミュニケーションをしなければならないという必要性から、文字本来の絵文字性も取り戻してきたと言えるでしょう。 エモティコンでは (^∇^)などという字も書きます。∇はナブラという数学記号です。これは、本来の意味を離れた用途に字を使うという一種の遊びであると同時に、昔の万葉仮名や変体仮名のような、伝統的な文化と共通するものと言えるでしょう。 また、携帯電話の絵文字ですが、Unicodeという文字セットを見ればわかりますが、各国、各文化の記述記号として、膨大な記号があります。たとえばマルでも?のような欧文の字につくものや、箇条書き用の○、パなどの半濁点のマルなどもあり、これらは本来の目的を離れているでしょう。 以上をまとめて、質問者さんの主張を検討します。 ・AAや顔文字(普通の字を転用して顔や絵を表すもの)は昔からある ・ケータイの絵文字も、昔からパソコンの世界ではあるし、もっとさかのぼれば、エジプトやマヤ文明、中国の甲骨文字は全部絵文字 ・よって、日本で発明されたとは言えない ・ひらがな、カタカナは漢字の略字体であり、これを第1、第2の文字とするのは不正確 ・日本で盛んかどうかはよく知りません ・「絵文字が体系化されていない、ルールがない」というが、では英字、漢字、ひらがな、カタカナにルールがあるだろうか。今使われている字をもとにルールをひねり出すことはできても、必ず例外がある。字は図形を描いて意味を表すというそれ以上でもそれ以外でもなく、作家は字を作る権利がある といった感じでしょうか。
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- mp20palpunte
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顔文字やAAは、あくまで文字を使って絵を書き表しているだけだと思うのです。 すごく簡単なところで言えば「へのへのもへじ」と同じですよ。 すでに有る文字や記号を使って、自由な絵を描くということに意義があると思います。 何かのアート作品で、アインシュタインだったかの絵が出ていたのを見たことがあります。 確かに良く描けているけれども、それだけならただの模写や写真で終わりです。 しかしずーっと拡大していくと、すべてアルファベットで描かれている、というものでした。 それが、「新たな文字」かと言われたら、違うと思います。 あくまで文字を使った「絵」なんですよ。 アスキーアートは、それの簡易版でしょう。
お礼
至極もっともなご回答だと思います。 ありがとうございましたm(_ _)m
補足
> 絵 まあ、そうなんですけど、普通の文章の中に器用に紛れ込んで使われているのをみると、それだけで片付けない考え方をするのも面白いのではないかなと思いました。物事には多面性があるものです。切ってしまえばそこでオシマイ。それはわかりきっているんだけれども、敢えてそこを掘り下げてくれる方の意見が聞いてみたくて質問してみました。 たとえば (^^; なんかは4つの文字が並んでいるだけという無味乾燥な受け取り方はもちろん正しいのですが、まとまって一つの語のような働きになっています。じゃあそれは文字ではなくて単語ではないかと言われると返答に窮してしまいますが、既存の概念でいうところの語・単語とも明らかに違うわけです。 このサイトでは使えませんけど、ケータイの絵文字(文字や記号を組み合わせた集合体ではなく、独自の機種依存文字)なんかは既存の文字とは違うわけですし。 それに、絵だといいきれないところもあるんです。文章中に絵を入れるなら、段組を組んで絵を入れる場所を別途作らなければならない。だけど、絵文字の類は文章中に直接入れることができる。どちらかというと韻を踏む楽しみ方に近い。
お礼
とても興味深い分析ありがとうございます。 質問してよかった(o^ー^o)