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終末観?
今回の大地震があってからというもの、終末観を感じてしまいます。 今までは信じていなかった2012年の予言も信じてしまいそうになります。 家族に話すと、1999年のノストラダムスの大予言のときも今と同じようだったと言ったり、不謹慎かもしれませんが、阪神大震災のときもそういうことを言い出す人は居たとのことで、こういった大災害が起きたときに滅亡説を言い出す人や、それまで信じていなかった人が急に信じだしてしまうことはよくあることだと言うのです。 1999年の際には私自身まだ小学生だったこともあり、あまり周りがどうだったか覚えていません。 家族が言うように、過去に大災害などが起こったときにこのようなことを言い出す人が増えるのは本当なのでしょうか。 どのカテゴリに属するかわからなかったのでここにしました。カテエラでしたらすみません。
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- Crys
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2012年の予言には、そもそも人類滅亡の予言など一つも書いていません。 マヤの暦の大きなサイクルが終わる事(正確には2012年ですらない)を意味していて、それを終末論者や映画や本などでひと儲けで出来るという考える人達が騒いでいるだけです。1999年の際にもひと儲けして消えて行った(ペンネームを変えて同じ事をしているかも?)人間がいます。 2012年に滅亡などしません。 終末観を感じているのはそういうメディアを見聞きしているからです。 気にしても心の毒になるだけです。 人間はどんな人でもいずれ死にます。生きている“今”に感謝して大切に生きましょうね^^
- hyuuma8579
- ベストアンサー率29% (326/1097)
正しい終末観を持つことが大切です。 終末・・・何が終わるのかという主語が問題です。いいものが終わるのなら困りますが、悪いものが終わるのなら大歓迎ですね。 いたずらに天変地異を唱えるだけでは、不安や恐怖心しか生み出しません。 東京都知事の天罰発言ではありませんが、産経新聞に掲載された都知事の言葉「日本よ」-「国家再生のために」からの抜粋で「・・・それは国家存立のために絶対必要な国防という要因に関する安易な他力本願や、そのすり替えに享受してきた薄っぺらな繁栄、そしてそれを促進してやまない我欲、物欲、金銭欲、性欲の氾濫と、それにおもねり続けてきた政治の安易なポピュリズムを淘汰(とうた)する決心をしなければ、この国の真の復興、復活などありはしまい。・・・」 全文は、http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110502/dst11050203260001-n1.htm 石原都知事が言うように日本の悪い面に終止符を打たなければ新しい始まりはない・・・はその通りだと思います。 今回のような津波は人間の力では如何ともしようがないが、たとえば我欲、物欲、金銭欲、性欲は、人間の努力でいくらでも克服や抑制ができる!!人間の驕りや甘えがそれらを増長させてきたのだろうし。 そういう意味で今回の災害は、本当に天変地異が来なくて済むように、人間自身の努力を促すための天の警告のようなものなのかもしれません。 原爆の時もそうでしたが、本当に何もないゼロの心、そして謙虚な心からのスタート!! すぐに復興と考えがちですが、建物や土地以上に、人間の中味が変わり、まだ良かった頃の日本魂を取り戻すきっかけにすることがだいじです。 ここまで打ちのめされても、懲りずにこれからの日本人の生き方が今までと変わらないなら、今回の災害は天の審判だったことになるでしょうし、 逆に良き日本人魂を一人一人が取り戻したなら、今回の災害は天の恩恵だったことになるでしょう。 そして、今まで以上に日本が落ちぶれる時、その時こそ本当の意味の審判が下されるような気がします。 今、日本が良き心で一つになる時です。 今までまかり通ってきた悪い日本の終末を早め、新生日本の復活です!!
こんばんは。 終末観、終末感覚、“それらが有ることが自然”でしょうね。 生を受けて死な無かった『自我』及び『意識生命体』は有史以来存在しませんし、 その事を知識として皆が知っているのですから、なんら不思議はありません。 大災害などはメディアが大々的に取り上げるから、 それだけ『雑多な情報が多い』はず。 しかしこの瞬間にも、人知れず肉体の終末を迎えている方もいることも現実です。 『始まりが有って、終わりが無い意識生命体』が有ったら、 『生命体は怠惰な時間しか過ごさない』でしょう。 今日やら無くても、何時かやればそれでいいのですから。 終末論は、『新たな活力の提起』だと感じます。 明日死ぬ可能性が有るなら、『今日すべき事が有る』と思いませんか。 『死を真摯にに見つめて、今を生きる事が、 終末論に対する不安打破』だと感じます。 破壊なくして創造はありません。 破壊の無い造作は、『リフォーム』であって、 そこには『何の新しさも無い』でしょう。 『終末…終わりが有るという“恩恵”を受け入れられたら』、 それはこの上ない至上の時間、瞬間を過ごせるはずです。 何時終わるか解らないのですから、 “今をを真剣に生きる”ことしかできない。、 納得いく終末を迎えるためには“今を生きる事”が絶対条件…そう感じます。 それでは失礼いたします。
こんばんは。 終末観、終末感覚、“それらが有ることが自然”でしょうね。 生を受けて死な無かった『自我』及び『生命体』は有史以来存在しませんし、 その事を知識として皆が知っているのですから、なんら不思議はありません。 大災害などはメディアが大々的に取り上げるから、 それだけ『雑多な情報が多い』はず。 しかしこの瞬間にも、人知れず肉体の終末を迎えている方もいることも現実です。 『始まりが有って、終わりが無い意識』が有ったら、 『生命体は怠惰な時間しか過ごさない』でしょう。 今日やら無くても、何時かやればそれでいいのですから。 終末論は、『新たな活力の提起』だと感じます。 明日死ぬ可能性が有るなら、『今日すべき事が有る』と思いませんか。 『死を真摯にに見つめて、今を生きる事が、 終末論に対する不安打破』だと感じます。 破壊なくして創造はありません。 破壊の無い造作は、『リフォーム』であって、 そこには『何の新しさも無い』でしょう。 『終末…終わりが有るという“恩恵”を受け入れられたら』、 それはこの上ない至上の時間、瞬間を過ごせるはずです。 何時終わるか解らないのですから、 “今をを真剣に生きる”ことしかできない。、 納得いく終末を迎えるためには“今を生きる事”が絶対条件…そう感じます。 それでは失礼いたします。
- iikagenotona
- ベストアンサー率34% (33/97)
「諸行無常」「盛者必衰」「色即是空 空即是色」は真理です。 形あるものはいつか壊れ、生あるものはいつか滅ぶ。 当たり前の事なのです。 しかしながら、生きている人間の多くは、死ぬ事に不安を感じ死の恐怖に怯えます。 だからこそ、恐怖を、あたかもあるかのごとく捉え、恐怖に対し恐怖感を和らげようとします。 それが、あなたの言う終末観に繋がるのでしょう。 死ぬ事の直接的な恐怖よりも、生きている時間に、やり残した多くの事・悔いを残す事に私は恐怖を感じます。 だからこそ多くの事に興味を持ち、「行動」する事に生きがいを感じざるを得ません。 死ぬ瞬間は誰でも・どんな人でも必ず来ます。 金持ちでも、貧乏でも、今生まれた赤ちゃんでも永遠の命は無いのです。 しかし、精神的幸せは、その人自身が自ら「行動」し、自ら得なければなりません。 笑って死ねる人生を得る為に、今どの様に生きるかが問われます。 自分の良心に従い、他人に迷惑さえ掛けなければ、好きな事を、やりたい事を思う存分やるべきです。 くだらない他人の評価を気にする事や、つまらないプライドを捨て常識に縛られず、自分以外の全ての考え方や感じ方も、「自分の物差しで考えず」受け入れて下さい。 仮に、明日死ぬ事になっても。 悔いの無い人生を作り上げる為に。