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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:日本橋について質問です。)

日本橋の橋の歴史と特徴

このQ&Aのポイント
  • 日本橋は100年前に木の橋から石造りの橋に建て替えられたそうですが、立て替えられる前の木の橋について質問です。
  • 江戸東京博物館の日本橋の「レプリカ」は平坦な橋ですが、浮世絵ではアーチ型のイメージが強いです。
  • 木の橋は何度も建て替えられたと言われていますが、平橋やアーチ橋、さまざまな形式が存在したのでしょうか。

質問者が選んだベストアンサー

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  • Pinhole-09
  • ベストアンサー率46% (597/1294)
回答No.2

江戸東京博物館内の日本橋は、家康が江戸時代 初期に架けさせたものを再現したといいます。 しかし鈴木理生著「江戸の橋」こよると、この時の橋の 記録はほとんどなく、「慶長見聞録」が唯一のもの。 形状は伝わらず、巾 4間2尺5寸(約8m) 長さ 37間4尺5寸(約68m)とあるのが、唯一の記録。 博物館の橋は大きさの再現はたしかでも、形状の 再現は困難で推定によると思います。 当時の他の橋について伝わる所では、川は舟の通路 でありその妨げにならぬよう、中高(アーチ型)の橋が 多く、日本橋も同様と考えられます。 平橋に近い博物館の「レプリカ」よりは湾曲度は大きく、 広重の浮世絵「江戸名所 三つの眺 日本橋雪晴」 の橋が多少誇張があるが近いものでしょう。 寛永期に描かれた「江戸図屏風」に日本橋、京橋、 新橋が書かれています。   いずいれも太鼓橋を 思わせるような、湾曲度の大きい(アーチ型)のもので 実物を見て描いたか疑われますが、当時の認識を うかがわせます。 「江戸名所図屏風」も同様です。  どちらも橋脚が 三組しかなく、68m の橋を支えられたものとは 思えません。(橋はアーチ型で橋脚は三組に描く との認識か) 延宝五年刊行の案内書「江戸雀」に描かれた日本橋 は、広重と同じ橋脚六組で屏風絵より、湾曲度が小で 写実性が高いものです。 日本橋の架け替えは八度あり、形状は多少変化しても 従来のもを継承した筈です。

White_Leo
質問者

お礼

詳しい考察ありがとうございます。やはりアーチタイプが主だったんでしょうね。

その他の回答 (1)

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.1

http://tbl.tec.fukuoka-u.ac.jp/bridge/13tokyo_nihonbashi/index.html ここの説明に、半分だけ復元していると書いてある。 アーチの半分だけなので、平たいように見えるということではないか?

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