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ニーチェの言葉で…

ここにはまことの男が少ない。だから、女性が男性化する。つまり、本当に男らしい男だけが女の中に女を解き放つ。 ニーチェの言葉ですが、理解に苦しみます。どういった解釈が正しいのでしょうか? みなさんの考えをお教えください。よろしくお願いします。

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noname#130564
noname#130564
回答No.4

まずニーチェは著しく男尊女卑の傾向にあるということを念頭に置かなければならない。 ほかの名言をみればそれは明らか。 要するに男らしい男いないと女が出しゃばるから男がしっかりせいや、ということです。 多分。

その他の回答 (7)

  • kadowaki
  • ベストアンサー率41% (854/2034)
回答No.8

>ここにはまことの男が少ない。だから、女性が男性化する。つまり、本当に男らしい男だけが女の中に女を解き放つ。 ニーチェに限らず、古来、どんなに立派で偉い哲学者であろうと、いやだからこそなのか、女性とは、彼らの超人的な理智を持ってしても歯の立たない難問だったのではないでしょうか。 そうと気付いて以降、私も妻には一切の抵抗を断念し、どんなに筋の通らない、不合理きわまることを強いられようと、できるだけ素直に甘受するよう努めてきました。 もしかして、女には男の理解を超越した、天才的な思考力が生得的に備わっているのかも?と。 ということで、ニーチェが力んで「まことの男」と言ったところで、女性には「まあ可愛いこと! 殿方って健気なことをおっしゃるのね!」といとも簡単にあしらわれるのではないでしょうか。 なお、どんなに「女性が男性化する」にしても、それはあくまでも表層現象にすぎない以上、ニーチェがどこまで本気でそう考えていたのか?となると、私にはちょっと疑問ですね。 とにかく、この言葉の真意を知るためには、まずはニーチェの苦難に滿ちた女性遍歴に徴してみることが不可欠かもしれませんね。

  • kigurumi
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回答No.7

これと同じことじゃないかと。 ゲド戦記ではパワーとその喪失、アイデンティティーとは と問題定義しており、「闇の左手」で、性差とは と性の違いとはどういうことかを問うているアシュラ・ル・グエイン。 本のタイトルはわからないのですが、ある物語を書いているそうです。 その国には貧しさや不幸が無い。 国民はみな幸福。 だけど、1人だけ違う。 その少女は牢獄のようなところに閉じ込められている。 その少女を光の元に出すと、幸福な国が消滅する。 だから、幸福な人々は、不幸なこの少女を閉じ込めておかなければならない。 つまり対比するものが無いと、存在しえないわけです。 対極にあるものが存在しないと、存在できないってことです。 幸福であるといえるのは、不幸な人が存在するから。 男らしい人だ と言えるのは非常の女らしい人がいるからです。 女らしい人だ といえるのは、非常の男らしい人がいるからです。

  • _AXIS
  • ベストアンサー率5% (2/40)
回答No.6

ニーチェの言葉は間違っているようですね。どちらが先でもありません。今後他の回答で「どちらかが先」と言っても、それは嘘です。 人間は、男らしく 女らしく から、人らしく へ移行していきます。その過程において中性的になるのは自然な世界の流れです。死ぬまでそのままだと極端から極端へ。遅くとも人は50、60過ぎたら「人らしく」へと移行してもらいたいものです。 建築現場の人間の男は 男 というより オス ですな。 親方、職長クラスの人間は特にそうです。

回答No.5

>ここにはまことの男が少ない。 「ここ」ってのは何処だ? 「ここ」ってのは哲学のカテゴリー、広くは哲学なんぞに呆けている連中の事だ。 まことの男は「ここ」には居ねえよ。Nietzsche程度の男しかいねぇ。 じゃあ、まことの男は何処にいるんだ? そう、建設現場にいるよ。 唐招提寺の平成の修理、奈良の大仏殿の平成の修理、まことの男はみな、そこに集まっているんじゃねえかな。 残った、屑っちゃ失礼だが、そんなのが東京の地下鉄にかなんかにのって、手鏡見て化粧してんでしょ。 東京の地下鉄あたりに見つかる残り物の男をみて、日本男児一般に敷衍されちゃあ敵わない。 アメリカに移民したえらい物理学の先生も観察眼が鈍ったね。 サンプリングとかキャリブレーションチェックってのは現象を相手にする物理学の基本の基じゃなかったんですかい? 哲学あたりにふらついている女どもが男化しているだけで、建築現場の男どもを取り巻く女は未だに女だぜ。イイ女もおるぜ!

noname#154561
noname#154561
回答No.3

頼りがいが無いくせに一丁前に色気づくばかりの坊やを見ていると、 二十年早いよ!って内心では思ってる。 ま、そんなこと女の眼を 気にしてカッコウつけてるバカな男に見抜かれるようなあたしじゃないけど。 そこそこオンナやってりゃ誰だってつまんない男の自分勝手な言い分を すかしたりかわしたりして生きてるもんさ。 だから、本来なら男が考えることを男みたいに考えなきゃならない。 将来のこととか、貯金のこと、仕事のこと、家の事、子育てのこと。 他の女よりもいいオンナに見せたい、なんてのもろくな男がいないから 売り出し中のセールス活動みたいなもんよ。 本当に、男、あたしにとって男の中の男、そりゃ強くて仕事が出来て 金が稼げて優しくて、セックスも強くて子供好きで・・・勿論、そういう ことはとても大事。 でも、女はこのオトコなら、と見も心も委ねれば 何も考えずにそのオトコに埋没できるのよね。 気が狂うほど愛し愛され その最中に死んでしまいたいとさえ思うのよ。 そういうオトコが 目の前に現れれば、ね。 本当に男らしい男、というのはオトコ、なのよ。 他人の顔色を伺いアレコレ悩んでは裏でなにやら画策したり。 そういうんじゃないのよ。 野望は別だけどね。 女にね、オンナであること以外を何もかも忘れさせることができるオトコ。 それは、オトコとしか形容しようの無い行動をする人のことなのよ。 女って、いつも恋の話とか化粧や身なりを飾る話ばかりしてるように 見えるでしょ?男から見て。 でもね、男の多くが出来もしない夢や ありもしない宝を追いかけて自分ではない何者かになりたがるのと 違ってね、女は既に完全な女なのよ。元々ね。 まじりっけなしの オンナとして生きて、死ぬ。 だから何度でも恋をするし、男より 桁違いに心も強いし痛みにも強いのよ。 判ってないわね、坊や。 オンナはね、だから いくつになっても女なのよ・・・あたしみたいな 婆でもね・・・ --------------------------------------------------------------------- ある温泉街の、場末のスナックのオールドママが杯を交わしつつ 語った話より。

  • cyototu
  • ベストアンサー率28% (393/1368)
回答No.2

草食系男子が増えると、肉食系女子が増えて来るって言う意味ですね。 私は外国生活が長いのですが、アメリカでもヨーロッパでも、俳優でもない若い男が眉毛をハサミ等で整えることに関して、そちらの若い女性方にそれをどう思うか聞いたことがあります。そしたら、どの国でも皆、気持ちわる~~~い、って言ってました。あれが良いって言ってるのは、私の経験では日本だけですね。また、久しぶりに日本を訪れて、東京だったかの電車に乗ったら、若い男が女性がハンドバックに入れて持ち歩いているような鏡を取り出して、それに見入りながら延々と自分の髪の毛を整えているような素振りをしていました。女性が電車の中で化粧をしているのを見たら、どこの国の人もびっくりしてしまいますが、そんなのを疾っくに通り越している場面だったので、何か凄い国に来てしまった気になりました。   ものを食うおばさん睨む化粧の娘  昨日の毎日新聞のウエッブサイトに載っていた川柳です。まっ、これは女性の話しですが、 さすがニーチェだ、現在の腑抜けた日本の男どもの出現を予感していたのですね。

  • bakansky
  • ベストアンサー率48% (3502/7245)
回答No.1

男が男らしさを発揮すれば、女はそれと同じことをしようとしても適わないのだから、むしろ女の強みである女らしさを発揮することで自分らしさをアピールする。そのような意味に読めました。

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