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戦争を回避していたら

62年前にアメリカとの戦争を回避してアメリカの要求を受け入れていたなら、日本は今日のような「経済大国」「長寿国」にはなれていなかったのでしょうか。

みんなの回答

  • amleth
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回答No.11

noko さんからの gureta3さんへの質問に 私が割込む失禮を お許しください。 >51番目の州になっていたということは、アメリカが日本を51番目の州にしたかったというご認識でしょうか? 敗戦した日本は51番目の州になっていませんが、敗戦することでなぜ51番目の州になることを免れることができたのか、疑問に感じてます。 答への一つは 簡単です。 当時聯合國は 今次大戦に於いて たがひに新たな領土の拡張を行わないことを 約してゐたからです。 ソヴィエト・ロシアは 北方領土で この取決めを破りましたが さすがに満洲では 日ソ不可侵條約を破り 更には 略奪・殺戮を行つたものの 友好國同士となつた 毛沢東の中共政府に 返還いたしました。 まあ スターリンは 中共を 東欧なみに扱へると 誤算をしたのでせうが。それにまた 満洲が シナの持ち物であるとの 聯合國間の取決めが あつたためです。随つて 出来る出来ないは別にして アメリカが 行き成り州に組み込む事は ロシアに等しい泥棒國家となる事となり まともな國として それは不可能だつたのです。 しかし 日本を占領したアメリカ民主党政権の 当初の計画では 何と25年間 日本を独立させぬつもりで あつたと言ひます。これが様々な人々の 命懸けの努力により 三分の一以下の 7年間の占領で 独立を回復したのです。 さて その第一の功労者を noko さんは御存知ですか。誰あらう 進んで開戦と 日本の「侵略」の「罪」を引受け 絞首台に上り 命を擲つた 東條元首相をはじめとする「A 級戦犯」の方々です。殊に東條氏の身の処し方は 立派であつたと申す他はありません。 東條氏は 当初 極東軍事「裁判」の「検察」役の 「今回の戦争は 日本による 明治以来の 世界支配を目論んでの 侵略政策の果ての開戦である」 との意味の主張を退け 大東亜戦争は 自衛のために 已む無く開戦の決断を 天皇がなさつたとの 偽りのない意見を述べやうとしたのですが これでは 聯合國の主張する 開戦の「責任」が 天皇に及ぶ事を惧[おそ]れ 総ては当時首相であつた自分が 開戦の決断と指示を行つたと 極刑を覚悟のうへで「裁判」に於いて 主張したのです。 これは勿論 先の天皇の 「戦争責任」なる 極東軍事「裁判」の主張を 覆すためのものであります。 これに関し 「天皇制を護るため」と 今日の 似非歴史学者や その取巻きのジャーナリストは 「A 級戦犯」なる人々を 揶揄し 非難いたしますが もし「責任」なるものが 天皇にまで及んでをりましたら おそらくは かつてのハワイ王國と同様の運命を辿る可能性もありましたらう。 昭和天皇は「罪」を問はれ 退位に追込まれ 果てはアメリカの州となることを望む「新政府」が 救援を求めたとして アメリカは大手を振つて 日本を永久占領しようとしたかも しれません。何しろ 先例があるのですから。 ところが 東條氏は 己の命を惜しむ事無く 一身に「罪」を引受け 日本が 根底より否定される危険から 後の世代のわれわれ日本人を 救つたのです。つまり 日本の一部にすぎぬ者による 開戦であつたのだとして。(ただし 東條氏は 聯合國の主張する「平和に對する罪」なるものを 認めたわけではありません。東條氏の 名誉の為にも 念のため。) 今日では 知られるとほり 昭和天皇御自身は 退位も覚悟でをられましたが 「退位」なさる訳にはゆかぬ 事情があつたといふことなのです。 もし天皇が 罪を認めたとなつた場合 今次大戦では前[さき]にドイツを戦争に追込んだやうな 巨額の賠償を求めぬとの暗黙の取決めはあつたものの 当時 白人以外を 人間とも認めぬかのやうな政策をとつてゐたオーストラリアや 植民地を取上げられたオランダは どれほど莫大な賠償金や見返りを要求して来たか 知れたものではありません. 現にオランダは インドネシアに於いて 「戦争犯罪の処罰」の名の下に 聯合國中 最多にのぼる日本の軍人を 処刑してゐます。また ロシアが満洲などにゐた日本人を シベリアへ拉致し 強制労働に就かせて 多数の死者を出したことも 御存知のとほりです。さうした根拠として 「天皇の戦争責任」が 利用されたでありませう。 また この他にも 戦争中の 日本軍の戦ひ振りの目覚しさから 天皇を退位させた場合の 日本の抵抗と混乱を アメリカが恐れた為も あるでせう。また 日本を占領した聯合國総司令官が アジアをよく知る マッカーサーであつたことも 幸いしたのです。如何に「総司令官」とは言へ 軍人に過ぎぬ身でありながら 本国の民主党政権や 他の聯合國からの無理難題を 出来る範囲で和らげてくれたのは マッカーサーの わが國への 「功績」であると思ひます. さて gureta3 さんも なかなかよい事を仰る. >また、日本の文化も破壊されました。文語の廃止や仮名遣いの変更で、古典文学は、今の言葉に訳さなければ、読めなくなりました。 仮名表記自体も、ローマ字表記にする計画もあったようです。 まあ これは アメリカ民主党政権の罪でもありますが 尻馬に乗り わが世の春とばかり 非論理的な言語「体系」を 政治の力で押付けた 日本の「御用学者」と とかくに 文化の破壊に精を出す 文部官僚の罪が 一番大きいのです.日本語を遣ふ身でありながら アメリカの素人考へを たしなめず 「改革」に血道を上げたのは 彼らなのですから. この事情は 「日本國憲法」の問題と 同一です. 是非是非 gureta3 さんも 本字本仮名で文章を書かれますやう 御薦めいたします.筋の通つた その造りに 必ずや 驚かれる事でせう. 本日は いつもの PC が使えぬ為 表記が揃はず 失禮いたしました.

noname#11749
noname#11749
回答No.10

#9の続きです。 >太平洋戦争では日本は徹底的に破壊されてないということでしょうか。 戦争中の(原爆の実験等を含めた)空襲で、国土は焦土となりましたし、人的な被害も多大なものになりました。 また、日本の文化も破壊されました。文語の廃止や仮名遣いの変更で、古典文学は、今の言葉に訳さなければ、読めなくなりました。 仮名表記自体も、ローマ字表記にする計画もあったようです。 挙げれば限がありませんが、結果として、形だけでも国として残ることができました。 結論として、62年前の状況で、戦争を回避し続けることは不可能です。 一度要求を受け入れた後では、独立を保つ可能性は低く、白人至上主義が続くと予想します。 以上のことから、「経済大国」「長寿国」となる可能性は低いと思いますが、いかがでしょうか?

noname#11749
noname#11749
回答No.9

#6の続きです。 >日本がアメリカとの戦争を回避していたら、有色人種の国はほとんど白色人種の国の植民地になっていたというご認識でしょうか? >日本がアメリカとの戦争を回避していたら、「植民地は負担がかかり結局割りに合わない」という認識が欧米に根付くことがなかったということでしょうか? 私はそのように考えられると思います。 まず、植民地経営が採算に合わなくなったのは、現地の労働者が命令に背くようになったからです。さらに独立の気運が高まり、各地で発生する独立闘争に、収拾がつかなくなった為、植民地を放棄したと考えます。 なぜ、独立心を持つようになったかですが、日本軍が各植民地の守備隊を、次々と撃破していった過程を、目撃したためです。 #6で回答した通り、ハルノートを受け入れた後では、東南アジア(植民地)での電撃戦は不可能ですので、必然的に日本軍の快進撃も、目撃することもありません。 200余年出来なかった独立運動が、何のきっかけも無く出来るはずがありませんので、必然的に、白人以外は人でなかった時代が続き、植民地は列強の争奪の対象になっていたと思います。 続きはまた後日。

  • amleth
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回答No.8

どうも 傍目からすると 質問と囘答が うまく噛み合はないやうですが そもそもは 「62年前にアメリカと戰爭し 負けたことによつて 今日の樣な『經濟大國』『長壽國』への道が開けた」といつたやうな意見への 疑問といふ事でありませうか. つまり 「敗戰の結果 日本は ハル・ノートの要求以上に(朝鮮半島は含まれてをりませんので) 明治以降獲得した領土も利權も失つたにも拘らず 「經濟大國」「長壽國」となる事が出來た.それなら 戰はずして要求を呑んでゐたはうが 良かつたのではないか.さうすれば 空襲や原爆といふ 「ジェノサイド」の被害に苦しむ事も 無かつたであらうに.どうあつても ハル・ノートの要求を拒み 戰爭を仕掛けなくてはならなかつたといふ 尤もな理由は 存在するのか.戰はずしては 「經濟大國」や「長壽國」には 成り得なかつたのか」といふ事にでもなりませうか. さて noko さんに疑問を抱かせたであらう そもそもの意見自體は 所謂「ハル・ノート」の拒否や受入れの批判はさて措いて 現實に 敗戰により生じた我が国の 社會と經濟の面から見た樣々な變化が 今日の樣な「經濟大國」や「長壽國」といつた結果を齎[もたら]す上で 大變好都合に働いた と述べてゐるだけでは無いかと思ふのですが 如何でせうか. さうとでも考へぬ限り 「ハル・ノート」の取扱ひと「經濟大國」「長壽國」との關[かかは]りを 持ち出す人など をりますまい.その點を 質問者である noko さん御自身も やや誤解してをられるやうに 思はれるのですが どうでせうか. さて その上で. では 敗戰の結果 どのやうな變化が起つたのか.何が消え 何が生じたのか. なによりも まづ 着目すべきは 軍隊の消滅です.これは 否應も無い.その必要不必要を論ずる暇も無く ポツダム宣言の受諾に伴ひ 武裝解除のすゑ 完全に解散消滅いたしました. この點は ハル・ノートには無い 戰前との大きな違ひで その結果 それまで軍事に振向けてゐた 厖大[ばうだい]な國家財政上の負擔[ふたん]が 消える事となりました.(しかし この日本の存續にとつて 軍備が必要なかつた譯では ありません.今日までもアメリカが 日本や韓國に基地を置かざるを得ない事こそ その明確な證據であります.つまり アメリカ民主黨のルーズベルト政權は 日本に「ハル・ノート」といふ無理難題を突き附けて 戰爭へと追ひ込み 最終的に アジアの地から日本を閉出した結果 それまで日本が アジアの安定の爲に拂つて來た犠牲を 朝鮮戰爭などを通じ 自らに課す嵌めとなつたのです.ジョージ・ケナンは この事を はつきりと述べてをります.)そして また 明治以來獲得をした 海外の領土を失つた事も 國家の財政面からすると 大變に 負擔を輕減する役に立つた といふ事を意味します.いやはや 禍福は糾[あざな]へる繩の如し かな. なにしろ 日本と來ては 我が身にそぐはぬ 當時世界にも類の無い「植民地」經營を目指して來た爲に その財政上の負擔は 長い間 日本の國民に犠牲を強ひるものとなつてゐたからです.「植民地經營は 割に合はない」處ではありません.「植民地」を「自立させる」爲に 莫大な投資を行つて來たのです.果たして此れを 今日の目で批判して 「明治以降 日本は 西歐の帝國主義に做[なら]ひ 亞細亞の國々からの 収奪を目論んだ」 といふ樣な捉へ方で 一括りにして良いものでせうか.もはや それを 「植民地政策」などと 呼ぶことすら 不當な事でありませう.(まあ その中には 不心得な連中のゐた事は 慥かでありませうが 滿洲に侵掠し 殺人暴行 掠奪を欲しいままにした ソヴィエト・ロシアの「犯罪人部隊」などのやうに 國家が犯罪を助長する政策を 採つた事は ありますまい.) 「大東亞共榮圏」といふ標語其のものは 後々のものであるにせよ 既に日本の政策は まさに「共榮圏」の構築を念頭に 進められてゐたのです.調べてみれば すぐにも判ることであり 決して 戰爭を美化する爲の 苦し紛れの言ひ譯などではありません.たとへば サダム・フセインが灣岸戰爭の際 「アラブの大義」などを持出し 他のアラブ諸國の加勢や テロリストの手助けを引出さうとした姑息な手口などとは 全く異なる考へに基づいたものであります. しかしながら 日本の國力といつた點からしますと 餘りに過大な構想であつた爲に 樣々な無理の生じた事も確かなことで さうした面からの反省は 後の世の爲にも必要ではありませうが その意圖において 恥づる處は無いと言へませう. それは さて.   この結果 戰後の日本には 兵役も徴兵制度も無くなり 大東亞戰爭による戰傷や戰死の「損失」はあつたものの 民生品の製造に從事することの出來る若者や 壯年の者達が 大量に發生することと なつたのです.また 戰爭といふ非常事態を經た御蔭からか または 軍隊といふ 日本にとつては 當時の最先端を行く近代的な組織での經驗の爲からか 戰前とは打つて變り 彼等が 極めて勤勉な働き手に生れ替つてゐた事も 見逃せません. と言ふのも 日本の働き手が 會社に忠實で 勤勉であるというのは 戰後の特徴であつて 戰前からのものでは無いやうだからであります.殊に 所謂會社などといふ「近代的」な組織の下[もと]では 戰前は極めて怠慢な者も多く それを嘆いた經營者などの文章も 殘されてゐるほどです.随つて戰前には 會社員の「過勞死」などといふ言葉も「死に樣」も ありません.「過勞死」に當る事例があつたとしても 表沙汰には出來ぬ程 特殊な出來事であり 他人の持物である會社の爲に 命を縮めるなどは 同情の對象では無く もの嗤[わら]ひの種でありましたらう. ともかくも 戰中を經驗した者達は 極めて勤勉な 勞働者の豫備軍となつてゐたのです.極限の効率を求めざるを得無かつた 貧乏な軍隊での經驗が 思ひも懸けぬ處で 生かされたとも言へませうか.食ふや食はずの戰後の苦境を乘り切る爲にも 勤勉に成らざるを得無かつた事情もありませう.さてもさても これは 軍隊といふものの 思はぬ「効用」と申せませう.まさに禍福は 糾へる繩を 更にも糾ふ如し であります. かうした處に 降つて湧いたやうに起つたのが 北朝鮮の仕掛けた朝鮮戰爭に伴なつての 米軍からの「特需」であります.まさか 「侵掠を企てた 金日成樣樣」といふ譯でもありますまいが これに 日本は救はれたのです.いや 救はれもしたが 現實の處 日本以外に「特需」を熟[こな]せる國は アジアにはありませんでした.   なにしろ 戰爭といふ この世で最大の 消費イヴェントです.しかも 日本では 前[さき]の戰爭で鍛へられた勤勉な若者や壯年の者達と 明治以來(いや 吉田茂は 江戸時代以來と言つてをりますが)培つた技術の蓄積もあるとなれば アメリカ軍とて これに頼らざるを得ませんでしたし 日本人は それに十二分に應へたのです. それも その筈です.巨大なシステムの塊である戰艦であれ 一時は無敵を誇つた零戰のやうな飛行機であれ 自前で開發した國など ざらにあるものではない.ましてや アジアでは 他には皆無です.基幹技術は模倣に過ぎぬと 日本を貶[おとし]める向きもあるだらうが 模倣する技術すら 他では持ち合はせぬのが 當時の實情です.原材料さへ日本に豐富にあるならば 技術に關しては 歐米に さう劣るものではありません.それに 何より 當時のアジアの他の國民に較べ 勤勉でありました. かうして あらゆる技術を驅使して アメリカ軍を支へ 支へることで 日本の經濟も社會も 囘復していつたのです.「特需」が その後の日本經濟の 飛躍の切掛けを與へて呉れた事は 御存知のとほりであります. といふ譯で かうした側面から見た場合には 戰後日本が「經濟大國」なるものに成つたについては 戰爭に負け軍隊が消滅し 金食ひ蟲であつた「植民地」を失つた事が 大いなる契機となつたと言ふ事は 言へ無くは無い.實に皮肉な事ではありませうが. しかしながら 何事も 終はり良ければすべて良し ではありますが 誰かが總てを 巧んで成つた結果では あり得ません.ここで「ハル・ノート」を拒んで アメリカに戰爭を仕掛けておけば 敗戰にはなるものの 後々日本は「經濟大國」になるであらう などといふ豫言者も ゐた譯ではありません.また其の逆に 「ハル・ノート」を受入れさへすれば 數十年後にはどうなる とも 斷言する事の出來た人も 無かつたでありませう.はたして 人間は 既に樣々な柵[しがらみ]のある世の中に生を享け 時々の重大な決斷を迫られた折に どれ程の選擇の幅を持ち得るものか.歴史に學ぶ とは言ふものの 知れば知るほど 只々固唾を呑む思ひのみ 募らずには ゐられません.

  • raidou
  • ベストアンサー率21% (7/32)
回答No.7

中国、朝鮮半島、ベトナムなどのように内戦が起ったと思います。そうなれば日本人の資質からして共産主義の国になってしまったのではないでしょうか。

noname#11749
noname#11749
回答No.6

#1です。 >51番目の州になっていたということは、アメリカが日本を51番目の州にしたかったというご認識でしょうか? ですが、当時、アメリカはイギリスの再三にわたる参戦要求に応える必要がありました。#3の仰る通り、いずれにしてもハルノートを突きつけられた時点では、アメリカの対日戦略に(間違いなく)変更はありません。先制攻撃を日本に打たせるべく、様々な圧力を加えてくるはずです。アメリカ側に開戦以外の選択はありえませんし、イギリスの切迫した状況では、より過激な要求にして、日本に突っぱねて貰わなければなりません。 日本の安全保障にかかわる海外からの撤兵でも動かなければ、領土の割譲、武装解除、あるいは主権の喪失くらいの要求になるはずです。 また、仮にハルノートを受け入れた場合は、満州の権益を望んでいたので、満州とその通過点の朝鮮半島は、アメリカが駐留することになると思います。 一時的に経済制裁(石油禁輸など)は解除されると思いますが、前述の通り、日本と先端を開く必要があり、日本にとっては、ハワイ、フィリピン、シナに米軍が存在し、加えて、台湾、満州、朝鮮半島、仏領インドシナから日本軍の撤退途中、あるいは撤退後に米軍が存在するという、最悪の状況で開戦を迎えることになると思います。 このような状況では、東南アジアでの電撃戦は不可能で、その後の東南アジアでの独立運動も大きく遅れるか、存在しないものになります。 その後、日本が占領されれば、アメリカの特性として、役に立つところは領有したがる癖があるので(現イラク)、大陸への中継点であり、ソ連を封じ込める位置にある日本は領有の対象になり得ます。(イラクのように傀儡政権を樹立してから徐々に、国民の総意といった形をとって、と思います。) 実際の大戦後に領有されなかったのは、日本占領中に世界情勢が大きく変わり、(国民党は大陸を追われ、朝鮮戦争も勃発)冷戦構造に移ってきたため、領有や、植民地経営のようなまねをする余裕がなくなったと思います。それより独立させて、必要なくなれば捨てるほうがより損失が少なくて済みます。 時間が無いので、また後日。

  • cse_ri2
  • ベストアンサー率25% (830/3286)
回答No.5

この歴史のifは、難しい問題ですね。 日本がどこから引き返せなくなったかを考えるのは非常に 難しい問題です。 仮に盧溝橋事件が平和的に解決して、日中戦争がなかった としましょう。 もし中国の蒋介石政権と和平が成立したとすれば、中国を めぐってアメリカ・イギリスとの対立がなくなるので、 第二次世界大戦に参戦せずに済んだ可能性があります。 その場合どうなるかというと、第一次世界大戦の時のように 日本は事実上の中立国となり、アメリカ・イギリスを相手 に貿易で大もうけする結果となり、本格的に資本主義国の 仲間入りができたかもしれません。 また第二次世界大戦後もすぐに冷戦に突入しますから、引き 続き繁栄する道が開けたでしょう。 戦前の日本は反共・防共意識の強い国でしたから、冷戦時も ソ連につかず、アメリカと同盟を結んで反共戦線を構築して 対抗することになるかと思いますので、戦後の日本とだいたい 同じような道を歩んだのではないでしょうか。 問題点としては、満州・朝鮮半島がどうなったかですね。 イギリスを見習って海外領土・植民地の独立を許したかも しれませんし、引き続き領土としていたかもしれません。 どのみち、この壮大な歴史ifを検証するのは非常に困難です ので、参考程度に聞き流してください。

  • SCNK
  • ベストアンサー率18% (514/2762)
回答No.4

#2です。 「アメリカと戦争して負けたことによって、日本はアメリカの要求をはねつけることができたということでしょうか? 日本は敗戦によって、もっとむごい要求を受け入れざるを得ない状況になったとは考えられないのでしょうか。」 そうかもしれません。しかし日本の実力を米国が知ったという点もあるでしょう。もちろん優れた点と劣った点両方があったのですが、米国に対して決して一方的に負けていたわけではありません。少なくとも米国の一部には日本と敵対関係を続ける非を悟った者もいました。昭和16年にはスパイクマンという学者が日本を味方につけてソ連の脅威に備えるべきだと提案しています。事実、占領期において日本を共産勢力に対する防波堤とするように政策が変わりました。確かに今の日本は米国の属国的なところがあることは否定できないのですが、それなりの価値を認めている部分はあるとは思います。大戦中、米国は国府軍に支援を行いましたが、彼等は軍事的に期待した程の成果があげられないばかりか、連合国に過大な要求ばかり突きつけ、結局、戦後、米国に見捨てられたことを考えれば、日本に対する待遇はやや良かったと観る事もできます。ハルノートを受け入れて最初から米国に屈することのみ考えていたならば、結局は完全に骨抜きされて、カリブ海地域の国々のような立場になっていたのではないかと思うのです。まあ、すべては結果論なのですが。 「無理ということは、回避してアメリカの要求を受け入れていたら、ジェノサイド状態のようになっていたという感じだったのでしょうか。」 あからさまにはやらないでしょう。しかし茹で蛙の話しではありませんが、真綿で首を締めるがごとく行われるのも始末がわるいのです。おそらく一つづつ要求を受け入れさせて、傀儡の親米政権を作るのでしょう。政権には利権を与えて、日本の民衆を間接的に支配するわけです。これま南米で米国がやってきたことです。そしてその政権が邪魔になれば結局、軍事侵攻して挿げ替えてしまいます。そんなことをやっている内に民族としての自立性は消えうせてしまったことだと思います。 「62年前に日本が大陸から一切手を引くことにして戦争を回避したなら、敗戦以上のむごたらしい事態が待ち受けていたということなんでしょうか。」 まず現実的に引き上げることが出来たかという問題があるでしょう。問題は日本が引き上げたあとに大陸に何ができるかです。あの状況ではソ連軍がもっと早期に進駐していたかもしれません。また米国が大陸に進出したかもしれません。いずれにせよ日本は大陸と太平洋から鋏撃される危険が生じます。いずれにせよ大陸に強大な勢力を作らせるのはまずいでしょう。やはり大陸は勢力均衡の状況において置いた方が得策です。日本の一人勝ちは、結局日本に対して対抗勢力を作ることにしかなりませんから、支那の分割統治がもっとも安定であり、かつ日本の安全のためにも理想的だったと思います。

  • nobushi
  • ベストアンサー率52% (11/21)
回答No.3

当時のアメリカ大統領フランクリンルーズベルトは第二次大戦に参戦しない事を公約に掲げて異例の三選を果たしていました。 もし日本が要求を呑んで(もちろん到底呑めるような要求ではないが)先制攻撃をやめていたら、アメリカは第二次大戦に参戦する理由を失い、イギリス、フランスを見捨てている事になります。まあそうなったら(日本が要求を受け入れたら)無理やり(でっち上げのテロ事件などを理由に)参戦していたかもしれません。 どちらにしてもその後の世界史はわれわれの知るそれとは明らかに違うものとなっていたでしょうから(ナチスドイツはソ連と和平するなど)その中で日本がどうなったかは知る由も無いでしょう。 どちらにしても歴史にifはないという事です。

noko_
質問者

お礼

有難うございます。参考になりました。 >>日本が要求を呑んで(もちろん到底呑めるような要求ではないが) >>どちらにしても歴史にifはないという事です。 歴史を振り返ることは無益なことではないと思ってます。 「到底呑めるような要求ではない」と言われていますが、敗戦によって受け入れざるを得なかったことは、もっとむごい要求ではなかったのでしょうか?

  • SCNK
  • ベストアンサー率18% (514/2762)
回答No.2

今のイラクのようになっていたのではないでしょうか。アメリカの要求は、さらに新たな要求を受け入れることになります。反撃も出来ない状況になっていたでしょう。 私は少なくとも昭和16年の段階では回避は無理だと思います。回避できたとすれば昭和8年のタンクー停戦協定を遵守し、長城線を越えた軍事行動を、すくなくとも占領を企図したものにすべきではなかったと考えます。 それと大陸において日本があたかも一人勝ちの様な状況にしたことが問題です。米国の門戸開放も一部受入れるべきだったでしょう。一部の権益でも認めていれば日本の権益を守る意義が発生するからです。 62年前では既に戦争しか残された道はなかったのが現実ではないでしょうか。

noko_
質問者

お礼

有難うございます。参考になりました。 >>アメリカの要求は、さらに新たな要求を受け入れることになります。 >>反撃も出来ない状況になっていたでしょう。 アメリカと戦争して負けたことによって、日本はアメリカの要求をはねつけることができたということでしょうか? 日本は敗戦によって、もっとむごい要求を受け入れざるを得ない状況になったとは考えられないのでしょうか。 >>昭和16年の段階では回避は無理だと思います。 無理ということは、回避してアメリカの要求を受け入れていたら、ジェノサイド状態のようになっていたという感じだったのでしょうか。 >>米国の門戸開放も一部受入れるべきだったでしょう。 >>62年前では既に戦争しか残された道はなかったのが現実ではないでしょうか。 62年前に日本が大陸から一切手を引くことにして戦争を回避したなら、敗戦以上のむごたらしい事態が待ち受けていたということなんでしょうか。

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