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平安時代の既婚女性(貴族)の呼び方

平安時代の既婚女性(貴族)の呼び方 未婚の場合、姫君かと思うのですが、既婚で両親のもとにいる場合、どのように呼ばれるのでしょうか。 奥方様ですか? 両親が呼ぶ場合と、家人たちが呼ぶ場合と、両方のケースで知りたいのですが。 どうぞよろしくお願いいたします。

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  • ベストアンサー
  • fumkum
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回答No.1

平安時代の貴族の婚姻は招婿婚(ショウセイコン)、つまり男(婿)が女の家に通う形式でした。ですから女性は生まれ育った家に両親と共に住み続けているのが一般的でした。男は一箇所だけ通うのではなく、いく人か通う女がいるのが一般的で、その女性間に正妻・側室の差別が無いのが本来ですが、平安時代も時代が降るに従い、女の身分により正妻と妾扱いの区別が顕著に出てくるようになります。 さて、貴族の既婚女性の呼び方は「北方(北の方とも言い、カタノカタと読みます)」が一般的です。男が3位以上なって、政所と言う家政機関を設置できるようになると、「北政所(北の政所とも言い、キタノマンドコロと読みます)」と呼ばれるようになります。これは貴族の館が寝殿造りで、公的な場所でもある寝殿(正殿)の北、東、西に対屋(タイノヤ)の呼ばれる建物があり、普通は北の対屋が家族の私的居住空間となり、女性が住んでいることが多いのでいつしか北方と呼ばれるようになったとされています。女によっては東対や西対に住むこともあり、「東の方」と呼ばれていた者もいます。しかし、北方と呼ばれるのが一般的で、北方=(正)妻として使われるようになります。 また、住んでいる建物により東の方のように家人達は呼んでいた事と思います。宮中では藤壺とも呼ばれる飛香舎に住んでいる女御を藤壺の女御と呼ぶように。 これに対して両親は諱(イミナ)と言う本名で呼んでいたと思います。諱は知られてその名前を呼ばれると支配されるとされ、両親や夫となった男性などしか知らないものです。そのために、官位をもらったり、女御などとして宮中に入った者(位記や宣命により名前を記入したり、読み上げる必要がある)以外は女性の名前がほとんど知られていないのです。 それ以外に中期の有力貴族である右大臣藤原実資が娘を「かぐや姫」と呼んでいたことが大鏡に記載されています。これが諱なのか呼称かははっきりしませんが、他の知られている女性の名前が泰子・安子などのように「子」がつく例が多いことから考えて、幼名か、呼称であった可能性のほうが強いと思います。また、「姫」という呼称は婚姻しても変わらないそうですので、姫と呼ぶことも多かったと思います。 以上、参考まで。

eimbaqepx1tuozu
質問者

お礼

お答えいただき、ありがとうございます。 お礼が遅くなり申し訳ございません。 まさに知りたかったことがとてもよく分かり、勉強になりました。 当時の状況を詳しくお教えいただき、感激です。 心からお礼を申し上げます。

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