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泉鏡花の文体について質問です。

泉鏡花の文体について質問です。 初めて泉鏡花の作品(「絵本の春」)を読みましたが、とても文体が変わっていて驚きました。 どこが主語なのかどこが述語なのかよくわからないこともしばしばあり、短編なのに読むのにとても苦労しました。 そこで質問なのですが、この文体は「正しい」ものなのでしょうか。 私たちが習った正しい文章とはかけ離れている気がしますが、これは泉鏡花だから許される文章なのでしょうか。そもそも正しい文体とは一体何なのかもわからなくなってきました。 少し変な質問かも知れませんが、御回答よろしくお願い致します。

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  • TYWalker
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回答No.1

泉鏡花はよく知りませんし、おっしゃる作品も読んでいませんが、擬古文ですよね。 これは、平安時代などから伝わる古文を、江戸以降の人が懐かしんで生み出したもので(当然彼らは平安時代の本物の古文を読みこなす力も持っていた)現代文とは当然違います。 また、現在我々が使っている口語文は、明治時代の人が使っていた文語体とは違います。 聖書の訳でも、昔は 「飛ぶ鳥を見よ、撒かず、刈り取らず、蔵に収めず。」 などとなっていましたが、今は 「飛ぶ鳥を見なさい。種をまくことも、刈り取ることも、蔵に収めることもしません。」 となっています。 昔の方がカッコイイと思うんですが、今の方が簡単に意味がわかりますね。 また、口語体では述語がないとおかしいので「種を」と補っています。 清少納言の有名な「春はあけぼの。」にしても文法的にはわけがわかりません。 意味的には「私は春の季節は明け方が一番いいと思っている」という意味なんですが、春が主語であけぼのが述語とは思えません。 破格の文は英語にもある現象で、よく子供が言うことわざで「Finders keepers, losers weepers.」(見つけたもの勝ち、なくしたものは泣きをみる)というのがありますが、これも動詞がありませんので文法的には不正確です。 文法というのは、今学校で習っている山田文法などは、明治以降に、英語、ドイツ語、フランス語の文法を参考にして、日本語を分析して作ったもので、当然破格(文法に即しない文章)も当然あります。 また、今の口語体と平安時代の古文は文法が違いますね。現代仮名遣いでは五段活用だったのが、歴史的かなづかひでは四段活用になって「已然形」などというわけの分からないものがあったのを覚えているかと思います。 とうぜん泉鏡花も、清少納言も文法などは知らなかったと思います。 あなたも、わたしも、文法に完全に通暁しているわけではありませんが、立派にこうやって文章を書いています。 文法とは昔の人が書いた名文を分析研究するために(後付で)作ったものであって、今の人が文章を書くにはあまり役に立たない、というのが、少なくとも日本語については正解だと思います。 たとえば -昼ごはんは何を食べますか -ぼくはうなぎだ の「ぼくは」は長い間主語と思われていましたが(「は」は主格を表す格助詞だと思われていた)それは間違いだというのが最近は有力だそうです。 (「日本語で一番大切なもの」丸谷、大野著に詳しい) なお、あなたの文章では「正しい文体」「間違った文体」などと書かれていますが、文体というのは文章の書き方、スタイルのことで、正しい文体という日本語はないと思います。 この場合は「文法的に正しい日本語の文章」「正しい文法」という言い方が適当ではないでしょうか。

その他の回答 (4)

  • TYWalker
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回答No.5

#1です。 >小学生の頃に句読点の間違いなどを先生から厳しく指摘された記憶があり(未だにきちんと理解も出来ていませんが)、また「この文章には主語がない」とか「述語がとのつながりがおかしい」とかも言われたような記憶があるので、やはり間違った文章と正しい文章というのがあるのだと思ってました これは正鵠を射ていると思います。 「主語がない」「述語とのつながりがおかしい」というのは、小学校の先生や親が子供を教える程度では、よく言われることです。 ・夕焼け小焼けの赤とんぼ、負われて見たのはいつの日か ・うさぎ追いしかの山 小鮒釣りしかの川 ・国境の長いトンネルを越えると、そこは雪国だった いずれも主語がありません。 小学校程度の作文であれば 「私は昔、夕暮れに子守りのおばちゃんにおんぶされて、赤とんぼを見ました。しかし私は、それがいつの日だったか、よく覚えていません。」 「あの山では、私は昔うさぎを追いかけました。あの川では、私は昔小鮒を釣りました。」 「私は電車に乗って夜旅行していました。電車が県境の長いトンネルを越えて外に出た瞬間、そこは雪国だったので、私はびっくりしました。」 という文章が求められるでしょう。 当然そこに文学性はありません。 #4さんのご教示とも関連しますが、そもそも日本語に主語という概念はないと考えるのが一般的ですので、「主語がない」という先生の教えはおかしいことになります。 「5W1Hをはっきりさせて書け」「動作の主体をはっきりさせて、わかりやすい文を書け」といいたかったのでしょう。 文学は必ずしも分かりやすくするのが能ではなく、複数の意味に取れる文、一見してよくわからないが、だんだん分かってくるのが感動を呼ぶ文など、さまざまな技巧がこらされています。 そもそも作家の文学を味わうのと、子供に作文を書かせるのと、同じ国語という学問なのがおかしいかもしれません。 明治大正は西洋のロマン主義と日本古来の伝統がぶつかってさまざまな面白い文化が花開きましたが、現代でも筒井康隆さんなどを始め、多くの作家が文体の冒険、日本語の冒険をしていますので、そちらも楽しまれるといいと思います。

ogenkideshouka
質問者

お礼

学校の国語教育における誰にでもわかりやすい文章と文学には大きな違いがあることを知り勉強になりました。学校のお勉強はビジネス上は役立ちますが、文学、芸術とは一線を画すものですね。頭の中でこの二つの棲み分けが必要だと思いました。 日本の伝統も西洋からの影響を受け、ずいぶん変化していたのですね。ご提示いただいた作家さんの本を初め、この辺の事情がわかる書物や情報を探ってみたいと思います。御回答ありがとうございました。

  • fedotov
  • ベストアンサー率48% (710/1461)
回答No.4

主語があるのは最近で、主語がないのが日本の伝統。 日本の上流社会では、伝統的に会話のセキュリティ として主語を省略していたのです。 会話にないので文学にも主語がありません。 谷崎潤一郎は『源氏物語』を現代語訳する時に、 主語を追加していないので主語がありません。 平安時代は、本名を知られると呪術で呪われる というので、名前を知っているのは家族だけ。 名前を教える事「名を許す=体を許す」でした。 三田村鳶魚が最後の大名・浅野長勲に大名の暮らし 『浅野老公のお話』を聞き書きした時、浅野長勲が 主語のない話し方をするので苦労したそうです。 昔の時代劇でも、目上の人の名前を呼ぶ事は非礼 なので、武士は会話で身分の高い人を呼ぶ時に、 姓や名前でなく「水戸殿」・「尾張殿」という風に、 住んでいる地名などで呼ぶ事が多かったです。 幕府が外様大名の取り潰しを狙っている江戸時代は、 幕府に知られたくない話を隠密に盗み聞きされたら 大変ですが、たとえ聞かれても主語がなければ、 誰の事を言っているのか判りませんよね。

ogenkideshouka
質問者

お礼

主語がない方が日本の伝統というのは、あまり知られてない興味深い歴史ですね。そういえば現在の会話も英語は常にIとYouを常に付けるのに対して、日本語は主語を省略して話すことが多いですね。文章の上でもそれが普通であったということは頷けます。その理由がセキュリティの面から来たというのは、とても面白いです。また日本は狭い世界で、特に主語がなくとも以心伝心で伝わるということもあったのかも知れませんね。御回答ありがとうございました。

  • TYWalker
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回答No.3

#1です。 #2さんの投稿を読んで、青空文庫に載っていることがわかって読んでみました。 http://www.aozora.gr.jp/cards/000050/files/3245_19570.html たしかに!これは、かなりの難物だと思います(^^) 質問者さんがビックリするのも当然だと思いました。 これは、こういう実験をしようと思って書かれた文章であって、その驚き、違和感も含めてこの文学の価値だと思います。 主語がない、という点については、「私」の視点がどこにあるかを意図的に隠すこと(映画のカメラのように誰の視点から描かれているかを積極的に隠していることが、文章の一つの主眼になっていること)がこの文章の一つのポイントであると思うので、その点に違和感を感じた質問者さんは、読者としてこの作品のポイントを良くつかんでいると思います。 また、細かいイメージを連続的に叩き付けるような文章で、映画のようにいろんなイメージがフラッシュバックでパッパッと連続的に映し出されるような効果を楽しむことも一つのポイントだと思います。 そうなると、普通の小説のようにスジを追うのが大変だし、あまりそれにこだわると主眼を逃してしまうということになると思います。 また、昔の文は美文調なので、声に出して朗読すると価値が分かると思います。 ということで、これが正しい文かというよりも、こんなハチャメチャな作品を書ける日本語ってスゲエと思うのはどうでしょうか。

ogenkideshouka
質問者

お礼

二度御回答いただきありがとうございます。お礼をこちらにまとめて書かせていただきます。 泉鏡花の文章が擬古文かどうかとかそんなこともわからないのですが、お書きいただいた内容はとても参考になりました。 私は、小学生の頃に句読点の間違いなどを先生から厳しく指摘された記憶があり(未だにきちんと理解も出来ていませんが)、また「この文章には主語がない」とか「述語がとのつながりがおかしい」とかも言われたような記憶があるので、やはり間違った文章と正しい文章というのがあるのだと思ってましたが、国語の作文の授業でバツとされる稚拙な文章と、熟成し、崩した文章というのは似ていながらも全然違うものなのかなと思いました。 しかし、泉鏡花ほどの有名な人なら、「その文章はとても変わっている」という評判は何か耳に入っていても不思議ではないのに全く聞いたことがなかったので、書かれたものを読んでとても驚いた次第です。 明治から昭和の初めの人ということですが、その時代の自由さにも驚くばかりです。今回、御指摘のような意図をもってこの作品が書かれていたとしたら、本当にその頃の日本文学は進んでいてすごいと思います。 いろいろ勉強になりました。ありがとうございました。

  • 3orihsoy
  • ベストアンサー率33% (3/9)
回答No.2

ogenkideshoukaさん、 暇なので、わたしも「絵本の春」を青空文庫で読んでみました。 確かに、学校で習った文法にあてはめようとすれば、どこが主語なのか述語なのかよくわからないことがしばしばありますね。しかし、前の回答者も言ってみえると思いますが、文法とはもともと言葉を後追いしているにすぎないのです。大多数の人が読んで聞いてわかるように、体系を整えたものですから、それに従えば、大多数の人が読んで聞いてわかる文章を書き、喋ることができるという教則です。大多数の人に理解できれば、それを「正しい」と表現してもいいのかもしれませんね。しかし言葉はこの「絵本の春」に描かれたような一種の魔物です。まして文学ともなれば、読む人はそれを元にどんな想像をしても、どんな絵を見てもかまわないのです。どこからどこまでが現実か夢か、記憶の幕の内か外か、またあざやかな花の色にあふれる春の情景から、その花の色を血の色と見立てて、変な言葉ですが読者を「煙に巻こう」というのが泉鏡花の文学とすれば、すなおに煙に巻かれてその情緒を味わえばいいのではないかと、わたしは思います。言葉は時代につれて変わっていきます。同じ時代にあっても、書き言葉と話し言葉は違います。時代が変わり、今のわたしたちにとって読みなれない文章であっても、「正しくない」と切りすてることなく、その「正しくない」ところに味があるとして、味わっていきたいものと、わたし自身は考えています。 「短編なのに読むのにとても苦労しました」と言ってみえますから、ogennkideshoukaさんはとても几帳面な方とお見受けします。それは長所ではありますが、堅苦しいことも事実です。あまり肩肘はらず、わかったようなわからないようなことを書いているのだから、なんとなくわかればいいのだくらいに、おおようにかまえましょうよ。そのほうがくたびれません。またそのほうが泉鏡花の夢幻の世界の「正しい」味わい方だと思います。

ogenkideshouka
質問者

お礼

御回答ありがとうございます。 泉鏡花の文章は、正しいとか、正しくないとかを超越した、感覚的で幻想的でとても進んだものなのですね。 泉鏡花は、明治から昭和の初めの頃の作家ということですが、その後に出てきた文豪と呼ばれる人たちの文章の方が、文法的に基礎に忠実な感じがするのが不思議です。このスタイルは踏襲されず鏡花のみで終わったものなのか、またはその後、鏡花ほどの自由な人がいなかったのか…。このあたりは日本文学史の領域になるのかとも思いますが、とても興味深いです。 しかし今のところ御指摘のように、もう少し鏡花の作品をあまり堅苦しく考えず楽しんでみたいと思います。ありがとうございました。

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