• 締切済み

死への憧れを芸術分野で○○主義と言ったりしませんか?

死への憧れを芸術分野で○○主義と言ったりしませんか? 以前、何かのテレビで絵画が画面に映っており、その解説をしていました。 で、その絵の意図するものが人間の死であり、その絵が描かれた時代には死を憧憬する風潮が 芸術分野であったといっていました。 その時にメモを取るのを忘れてしまい、それ以来、私の中でその呼び名が何だったか気になって 仕方ありません。 どなたかご存知の方、教えていただけませんでしょうか?

みんなの回答

回答No.2

厭世主義。

trueth
質問者

お礼

早速のご回答、ありがとうございます。 なるほど。 もう一度、文学・絵画・音楽などの分野で調べてみます。

  • yu-taro
  • ベストアンサー率39% (3209/8203)
回答No.1

 こんばんは。  ドイツロマン主義だと思います。  ロマン主義の特徴の一つに死への憧れがあります。

trueth
質問者

お礼

ご回答、ありがとうございます。 ドイツのロマン主義というと、フリードリヒでしょうか。 この時代のものを再度見直したいと思います。 ありがとうございました。

関連するQ&A

  • 芸術と哲学

    芸術(絵画)と哲学の接点は、どんな部分でしょうか? 宗教画や写実主義に限り、哲学的な要素があるのでしょうか? 絵描く・鑑賞する側としての視点でしか絵画が解らないのですが、哲学的に絵画をどう捉えられるか、教えてください。 よろしくお願いします。

  • 現代芸術における表現形式は どうなんですか

     アニメ・マンガ・TVドラマ・映画そして小説 さしづめ これらの分野で 先端をゆく表現には どんな形式がありますか。どんな思想として捉えられますかというのが 趣旨ですが 社会の流れや世界の動きの中で 作品が どのように位置づけられるのかとしてなど おしえてください。  芸術至上主義という考え方があります。表現が それ自体として いろんな意味でともかく よいというのであれば それでよいという思想です。  ▲ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  【恋愛至上主義】とは、  恋愛を人間における最高の価値と考える思想・思考形態を指す。結婚後であったとしても、恋愛の情熱が無くなれば別れることを選び、また他の異性と恋愛に走ることもやむを得ずとする主義である。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%81%8B%E6%84%9B%E8%87%B3%E4%B8%8A%E4%B8%BB%E7%BE%A9 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ とヰキぺディアにありましたが(――ちなみに 芸術至上主義は まだ作成されていませんでした――) これに沿って考えるなら 《つくり捨て・使い捨て》の傾向があるとも 邪推されて来ます。  とは言うものの 現代においては 単に《ロマン主義》的であるとか《幻想的で退廃的》であったり《神秘的》であったりするとかすれば おもしろいとは限らなくなっているのではないでしょうか。複雑であります。  推測するに 《物理学や生物学の成果を ふんだんに取り入れて そのあと 想像力によって飛躍させるかたち》ではないかと思います。そうだとすると 想像力の用い方が 問題になるでしょうか。  (このQ&Aで 《ワ゛テック》という小説を勧められて読んだことがあります。これは 神学が取り入れられていました)。  (同じく ここで 《ナルト》を勧められ その解説を読みました。解説だけで 長かった。よく分からなかったぁ。《エワ゛ンゲリオン》も解説を読んだ記憶がありますが もうよく覚えていません)。  昨今 資本至上主義とも言うべきマネーゲームが 大きな失敗に陥り そのような貨幣論理の追求は ひととおりの限界に到ったとも言われます。ひととおり暴れまくったわけです。芸術表現に関しては いかがあい成っているでしょうか。ふと 関心が湧きました。  上記の芸術分野に関することは すべて 憶測です。したがって その分 具体的な内容にかんしては 話が合わないかとは思いますが よろしくお願いいたします。  ともかく 今頃ですが 芸術評論も 重要ではないかと思ったので(と言っても そこに首を突っ込もうとは思っていませんが) とりあえず みなさんから おしえを乞いたいと考えました。

  • 芸術の感じ方・鑑賞の仕方とは?

    少し前のことですが、好意を寄せていた女性が絵をたしなむ(芸大卒の)方だったので、 一緒に美術館にいったことがあるのですが、 その後いろいろあって、「あなたとは芸術を共有できない」と 言われてしまいました。 いろいろ他にも理由はあると思うのですが、 どうも、私が、あまり暗い絵は好きではないし、 よくわからないと言ったのを聞いて、特にそう感じたようです。 彼女はそんな暗闇の中にこそ作者の苦悩がにじみ出て、 深い感動を感じることができるという旨のことをいっていました。 たしかにわたしは、彼女のように、深く芸術を学んできたわけではありません。 ですが、ヨーロッパの美術館の多くを回ったことがあるので、 彼女よりいわゆる名作といわれる作品を直接多く観ていると思います。 彼女からそのように言われて、少なからずショックでした。 それ以来、自分が見てきたものは何だったのだろうと 一人で美術館に行くたびに考えてしまいます。 そこで疑問に思うのは、芸術の鑑賞眼のある人はどうやってその力を 身に付けたのかということです。 1.自分も絵を描いてきたから自ずと他人の絵を観る力もついてくるものなのか 2.自分で絵を描かなくても、その絵の時代背景や、作者の境遇、など を深く学んできたからその力がついてきたのか、 3.絵を観る力も先天的な感性によるものなのか あるいは上記のどれでもないのか、上記のすべてなのか・・・ もう彼女との関係はうまくいかないかもしれないけれど、 あの時彼女が見ていた様に、もっといろいろな角度から、 深く芸術を感じることができるならば、 自分の視野がもっと広まるのではないかと今は考えています。 でもどうしたらいいのかその方法がよくわかりません。 美術館によく行って一人で絵を観ていても、 やはりわからないなぁと思うことが多々あるのです。 たとえば、モネの絵はなんとなく観ていていいなぁと感じますが、 それ以上の深い何かを私は感じることができません。 またいわゆる中世の宗教画のような洋画に関してはますます どこがいいのか私にはわかりません。 ただきれいな絵だなと思うだけです。 そんな絵を私はすたすたと歩いて観ていましたが、 彼女は一つ一つ立ち止まって、じっくり観ていました。 そんな彼女の姿をみていて、素直にすごいなぁと感じました。 すごく漠然とした質問で恐縮なのですが、 絵を観るときどんな風に観ていますか? 絵を観る力とはどうやって身につくものなのでしょうか?

  • 日本における「芸術」の位置付け

    本来芸術とか美術というのは人間の精神の解放との戦いでした。だから、芸術というのは王様や貴族、枢機卿のためにあるものでも、人々に「拝ませていただく」という位置付けでもないはずです。事実オーケストラクラシックやオペラは日本では割高の値段で香水臭い香りを漂わせながら格式張って聞くものでもなく、海外では割安の値段で聞けたり野外のフリーライブはよく聞く話です。なのに、日本ではドレスコードが決まってたり、緊張しながら聞かないといけなかったりし、少し違和感を覚えます。 また、最近とある美術館で、新古典主義やバルビゾン系、印象派の絵を見る機会がありました。これでもかと言うほど華美なフレーム(額縁)に、これはうん億円の価値だとか言う話も聞きます。値段よりも、そのえが描かれた背景としては人々の退廃的な神仏信仰主義だったり、印象派に至っては人間の本来の姿を描く(印象派は貴族の集合像よりカフコン、つまりカフェコンセールでダンスする姿とか、当時としては「下品な絵」とされていたほどの)と言う目的があると思います。この絵は何億の価値がある絵なんだ、だから拝ませてもらうように見なくちゃねとかそういうのって本来の芸術のあり方でしょうか? CMでも華美なクラシックをBGMにあたかも「俺たちが来てやったぜ」感。 実際にそういう著名な画家の絵を拝見させてもらうのはありがたいけどそう言うのって本来の絵画のあり方でもないし、 私はゴッホと同時期に活躍したロートレックが好きです。彼は娼婦の館に出入りして、著名なシャンソン歌手と「身近な」芸術を体現するような画家でした。 もちろん「そんなんじゃ行くな」とか、そういう話でもなくタイトル通り、「日本における芸術の位置付け」という議題ですから、そういう答えはあえて受け付けませんし、「的を得てない」という理由でもスルーさせてもらいます。 ましてや田舎や地方に住む人にとってはそういう「肌」にふれる機会はあまりないです。しかし、イタリアやフランスなどは地方の修道院や教会には、啓発の意味でも壁画に神々の絵が書かれてます。当時は「神様」は身近な存在であり、自分の心にあるものだという考えもあったせいか拝観料をとったり、「この絵はかの有名なルーベンスの~」何て気持ちは多分なかったと思います。ルーベンスよりもその神様を崇拝する気持ちがあったと思います。 今は、絵がかかれてる内容とか色使いは私には出せないとか表現はできないはまだしも、「この絵はテレビでもよく出ているあの画家の絵だ。ひとつ30億はする」などの内容にシフトしてて少し違うんだよなと思ったりします。けして著書が出てなくとも、テレビに出なくとも、実力がある画家は五万ともいます。なのに、「よく見かける画家だよね」ってだけで評価するのもどうかとも思います。

  • 美術、表現主義

    大学の美術の授業で表現主義の絵画(ポールゴーギャン、ゴッホ、マルクなど)を解説するプレゼンをしなければいけなくなりました。法学部の学生であって、美術の知識は全然ないのでかなり困っています。 具体的には以下の通りです。 The White Horse-Paul Gauguin Wheat Field with Crows-Vincent Van Gogh The Dance of Life-Edvard Munch Girls amongst Trees-August Macke Tiger-Franz Marc Landscape with Rain-Vassily Kandinsky 絵のどこが表現主義っぽいのか、以前の印象主義との違いはどこに見られるか、なども教えていただけると助かります。 9つもありますが、ひとつだけでも解説をしていただけると助かります。今週中に仕上げないとやばすなのでどうかよろしくおねがいします

  • クラシック音楽と絵画の歴史や関係性がわかる本

    いつもお世話になっております。 クラシック音楽と絵画の歴史と関係性がわかる本を探しております。 ピアノ歴15年(とは言っても趣味程度)でクラシック音楽が好きで、 また絵画も好きです(絵画はまったくのド素人)。 ピアノではショパン、絵画ではルノワールが好きです。 のだめを読んでいて、千秋真一が「印象派の○○がこの時代に『△△』を作り、同時代の音楽では~」みたいなことを言っていて、 音楽と絵画の歴史や関係性に興味を持ちました。 基本的には中世の絵画に興味がありますが、先日「スーパーエッシャー展」を見たとき、エッシャーがバッハの平均律を幾つもの円や弧で表現していてとても興味深かったです。 そんな風に、一つの芸術の分野だけでなく、複数の芸術の分野の関係性に興味があります。 サイトでももし充実したものがあれば教えて欲しいです。

  • なぜアニメを見ているだけで気持ち悪がられるのか? 

    世界的に芸術として認められている絵画も言ってしまえば、 と言うか、そのまま絵であるわけだが アニメーションも絵にほかならない訳だ、一方で絵画というものが認められ、 アニメーションという物が認められないという 現在の構造は、酷く醜い程に醜悪なほど歪なのではないかと疑問を抱かざるを得ない。 何故に絵という同一の媒体を利用して表現された両者の間において 著しく激しい隔たりが存在しているのか、 それは全くもって完全にまともであるとは言いがたいと言わざるを得ない。 アニメーションは芸術においても利用されている絵という 素晴らしい表現手段によって表現されている 素晴らしいものであるため、素晴らしいものであると評価されないことは、異常なレベルでおかしい。 なぜ芸術という存在として認められている絵画と、同系統の表現手段を利用していると言える アニメーションを見ることが気持ち悪いと評されるのか全く理解出来ない。 意味不明である。 性的な表現がなされるケースがあるからだなどいう 見当違いの指摘をするものもいるかも知れないが 絵画においても裸婦を描くことは特異なケースではなく、 そうであるにも関わらず、アニメーションというものに対してのみ それらを指摘するという行為は非常に馬鹿げているのではないかと思わざる負えない。 何か作為的な意図をもって、アニメーションというものに対しての、 偏見を牽引し助長させる組織が存在しているのではないだろうか。 アニメーションと芸術との間における差異などは存在するのか。 絵画とアニメーションとの違いは何か。 動いていればそれは表現物ではないとするのであれば大いに間違った認識ではないだろうか。 何故ならば、映画がまず芸術品として嗜まれる事があるからである。 これは紛れも無く動いているものであり、動いているが故に芸術性を否定するということは 明らかにおかしいと判断するに足るものである。 またスポーツなども時に芸術的であると評される場面がある。 動きというものは芸術性を否定する要素にはなりえない。 アニメーションを見ていると気持ち悪いなどという発想は全くもって完全に間違えている。 芸術を嗜むこととアニメーションを嗜むことに大きな差異はないのではないか。 あると思う奴がいるのであればそれを完結に明確にここで主張してもらいたいものだ。 絵という媒体を利用して表現を行なっており、 それによって多くの人々を魅了する文化が他にあるだろうか アニメーションを見ているだけで気持ち悪いなどと言うのはやめて頂きたいものだ。 私はアニメーションを見ているだけで気持ち悪いと言われるこの社会をひどく軽蔑する。 この歪な社会に異を唱えるべきではないだろうか?

  • 近代絵画の特徴は何か?

    フランス革命によって始まる西洋近代は、絵画の分野でも革新をもたらして、近代絵画というジャンルを作り出しました。 近代と言う時代の特徴は、自由とか人権と言う言葉で表現されますが、近代絵画の特徴はどう表現されるのでしょうか? マネとかモネの印象派の絵画をそれ以前の絵画と比べると、写実的描写を離れているように思われますが、こういう現象は、近代と言う時代とどういう関係がある、と言われているのでしょうか? 印象派の絵画は、それ以前の絵画より、なんだか親しみを感じますが、それが現代絵画と進んで抽象絵画になると今度は、なんだか解らない絵、という気がしてきます。 こういう動きは、何か絵画の進歩と考えられているのでしょうか?

  • 中世ヨーロッパの絵ってなぜあんなに下手なんですか?

    wikipediaの「カノッサの屈辱」の項目を見たのですが、そこに引用されている絵は、どれもどう見ても下手としか思えない絵です。 とてもミロのヴィーナスやポンペイの壁画から約1000年もたった時代の絵とは思えません。 あの絵は何か意図があって現在の人が見ると一見下手な画風で描いたのでしょうか?それとも当時の絵画は上手い人が描いてもあの程度までにレベルが落ちていたのでしょうか?

  • 大阪芸術大学入試について…

    お世話になります。 最近、大阪芸大を受験しようと思っているのですが、 とても悩んでいるので良ければ聞いて下さい。 私は元々絵を描いたりレイアウトをデザインしたりするなどの、 何かを創造する分野に非常に興味があり、 高校を卒業したら迷わず芸術系の大学に進学しようと思っていました。 しかし、家庭に金銭的な余裕がなく、 また、親も就職を望んでいたので、その分野とはかけはなれた業種に就職しました。 就職してからは夢を諦めようと努力したり、 また、逆に少しでもデザインに関れる職種(部署)や仕事内容に変えて貰おうと努力したりしましたが、 やはり未だに全然関係ない仕事ばかりで、出来ることなら今すぐにでも進学したい気持ちで一杯の毎日でした。 そうこうしている内に、何とか預金が学費2年分を賄えるまで貯まり、 親も説得して今年度一杯で仕事を辞め、大阪芸大を受験出来ることになりました。 しかしながら、もう2年近くもその分野を離れてしまっているし、 普段は本職やアルバイトに追われる生活だったため、勉強も、技術鍛錬もほとんど出来ていません。 大阪芸大は近畿内ではそれなりに名が通っていますし、他の芸術系大学よりも学費も安いので、 競争率が高く、難易度もかなり高いように思います。 そこでお聞きしたいのですが、 大阪芸術大学というのは、近畿ではなりレベル(難易度)が高いクラスなのでしょうか? 私は、関西の芸大と言えば大阪芸大か京都芸大しか思い浮かばないのですが それ以外に、それなりに画力や創造力があれば入れる比較的難易度の低い大学と言うのはありますか? 高校時代は、もう就職して一生辞められない運命だと思っていたので、 皆が進学について調べている時も、何もしていませんでした。 それが仇となっていざ受験しようとなった今、分からないことだらけでとても不安になっています。 出来れば受験料を最低限にするために、併願などは避けたいと思っています。 簡単に入れる大学に入って技術を磨き、大阪芸大に編入することも可能だと聞いたのですが、 どなたかその分野に詳しい方、アドバイスを下さい。

専門家に質問してみよう