• ベストアンサー

カントのカテゴリについて質問です。

ghostbusterの回答

  • ベストアンサー
回答No.1

簡単に説明します。 そもそも「カテゴリー」という語は、主語と述語の「述語」から来ています。主語と述語というと文法みたいですが、アリストテレスはこの「主語と述語」の構造が、存在の構造を探る手がかりになると考えたのです。 カントのカテゴリーはアリストテレスのカテゴリーがふまえられています。ですから、ここでもカテゴリーは「主語と述語」の関係です。 「量のカテゴリー」 全称的:「すべての」SはPである。 (例)すべてのクジラは水棲動物である。 特称的:「ある」SはPである。 (例)あるカメは水棲である。 単称的:「この」SはPである。 (例)このネコは水の中に入るのを好む。 「質のカテゴリー」 肯定的:SはPで「ある」 (例)信号は青である。 否定的:SはPで「ない」 (例)信号は赤ではない。 無限的:Sは「非Pである」 (例):青信号は赤ではないほうの信号である。 「関係のカテゴリー」 定言的:SはP「である」 (例)本日は晴天である。 仮言的:「Xならば」、SはPである (例)日が照っていれば、本日は晴天である。 選言的:Sは「PかQかのいずれかである」 (例)降水量ゼロというのは晴れているか曇っているかのどちらかだ。 「様相のカテゴリー」 蓋然的:SはP「であろう」 (例)明日の天気は晴れでしょう。 実然的:SはP「である」 (例)現在の気象状態は晴れである。 確然的:Sは「必ずPでなければならない」 (例)晴天は降水量が1ミリ未満でなければならない。 人間はまず外部からの刺激をまず感覚器官で受けとります。それは「空間と時間の形式」(ものの大きさや形状、前かあとか、など)にあてはめて受けとられるのですが、それだけでは認識にはいたりません。そこから直観として得られた対象を、悟性が上記の形式において判断する、それによって認識が成立する、とカントは考えたわけです。

関連するQ&A

  • カントをどうとらえればよいのでしょうか

    題名の通りですが、カントの思想や業績を追っていってもすっきり「どういう人だ」というイメージがわきません。その点、デカルトの思想ははっきりとイメージできるのですが、カントの場合、とらえどころがありません。イメージでわかりやすく、高校の倫理程度のご説明をしていただければと思います。よろしくお願いします。

  • カントについて

    岩崎武雄著のカントで実践理性批判を読んでみたのですが、わかる部分ももちろんありましたがいまいち全体を理解できなかったというのが正直なところです。 実践理性批判を一言でいうと、というのはもちろん無理だとは思いますが、簡単にまとめると何が言いたいのかということを教えてください。(もう一度読む上でも参考にしたいと思うので) これは質問というより相談なのですが「現代におけるカント哲学」という章で近年の世界状況から見て、永遠平和論について考えていこうとおもっているのですがどうでしょうか。 もちろん近年のカントに関する国際会議についてなども入れたいのですが。 カントに関する国際会議についてあれこれ検索したところ、なかなか情報がなかったので可能な限りでよいので具体的な情報があれば助かります。HPアドレスや資料でも結構です。 よろしくお願いいたします。

  • カントの道徳哲学って?

    哲学のテストでカントの道徳哲学について述べなければいけません(>_<)覚えれるような量で説明していただけないでしょうかm(__)mお願いします。

  • 「恋の悩み・人間関係 」のように質問の多いカテゴリーは、もっと細分化すればいいのにと思いませんか?。

    OKwebのカテゴリー で「恋の悩み・人間関係 」がありますが、質問が多く、すぐに古い質問になってしまい、回答を集める期間が他のカテゴリーより短くなってしまいがちのように思えます。 (「アンケート」カテゴリーもそう思えますが。) 学術系なカテゴリーはその逆のようにも思えますし、 【Q:「恋の悩み・人間関係 」のように集客の多いカテゴリーを細分化して、少ないカテゴリーを合わせてみるのはどうでしょうか?】

  • カント哲学とは?

    これまで多くの方が、OKwave上で カント哲学とは、いったい何のことか? という質問をしてこられています。 主な回答を見てみましたが、 人間の脳が当たり前におこなっている思考活動のことを ただ、屁理屈をこねながら面倒な用語で言い換えているようにしか 思えません。 例えて言えば、歩くときには、片方の足を前に出して 次に、反対側の足を動かす・・・ という程度の理屈を論じているようにしか見えません。 いったい、なぜ大勢の学者が、カントの哲学について 真剣に論じているのかも理解できません。 カントの哲学の本質を、1行で要約していただけますでしょうか。 よろしくお願いいたします。 文系の勉強が苦手な科学者から、この質問の投稿を頼まれました。 私も、その質問依頼を聞いて、その通りだと感じました。 長い説明は、なさらないでください。 ありがとうございます。

  • カントでの、理性と理念の関係

     カントでの、「理念」の、「理性」との関係がよく分かりません。 感性→悟性→理性の展開に対応して、その先験的形式面として、時空→カテゴリー→理念という展開を考えてよいのでしょうか?  よろしくお願いいたします。

  • 価値の哲学 価値考量(カント哲学の関係で)

    いつもお世話になります。 カントの哲学を理解しているわけでは有りませんし、カントは「価値・所有・交換」といった概念には関心が無いようですが、私なりに考えてみると、非常に困った問題が有ることに気がつきました。 価値考量 価値を量的に考える事ですが、 私たちの主観は対象の「量」「質」「様態」「関係」さらに「時間」と言った、種類の違う概念を総合して一つの概念(価値)の量的評価を行う能力を持っていると考えますが、この能力は、全て、経験から得るものでしょうか? それとも、例の難解な「形式」は、経験に関わらずに普遍的に全ての人間が持っているものでしょうか?

  • 敢えて「直接関係なさそうなカテゴリ」で質問することは可能ですか?

    たとえば、家族関係に悩んでいる会社員がいたとします。 この教えて!gooで家族関係について質問するなら 普通は「ライフ」などのカテゴリを選択すると思いますが、 会社員がよく見ていそうなカテゴリは 「ビジネス・キャリア」だと思います(なんとなく、イメージで言っただけですが)。家族関係とは直接リンクしないと思いますが、 同年代、似たような境遇の人が偶然質問を見て、より的確なアドバイスをもらえるかもしれないなと思ったのですが・・・。 普通、あまりにも質問内容とかけ離れたカテゴリに質問を書き込むと 数日後に「このカテゴリは質問と相違する内容のため、○△カテゴリに移動しました」という連絡が来るそうですが、やはりこういうのって よくないのでしょうか? 少し、みなさんからのアドバイスを聞きたいので 質問してみました。ご意見をお聞かせください。

  • ヤフーカテゴリ登録について教えて下さい。

    ヤフーカテゴリの登録は、その登録したカテゴリの言葉、例えば「自動車」とか「旅行」とかに対してSEOに効果があると言う事でしょうか? それともカテゴリの言葉と関係ないキーワードでも全体的にSEOが有効なのでしょうか? また、私の扱っている商材はカテゴリにないのですが、説明文にヒットして欲しいキーワードを入れておくのが良いのでしょうか? 教えて下さい。よろしくお願いします。

  • カントの「要請」に関して

    (1)カントにおける「要請」と「信仰」の関係についての質問です。 「私は、信仰に対して場所を得ておくために知識を取り除かねばならなかった」(Ich muss also das Wissen aufheben, um zu Glauben Platz zu bekommen.)と言ったそうですが、その「信仰」とは、実践理性による「神の存在」と「魂の不死」と「自由」の3つを「要請」することを意味するのですか? (2)カントにおける「要請」と「公準」の関係についての質問です。 「神の存在」と「魂の不死」と「自由」の3つを道徳の実践のために「要請」するという場合、そこには「公準」の意味は無いと聞きましたが、これは本当ですか? たしかに、この場合の「要請」が「信仰」を意味するなら、それが同時に「公準」でもあるというのはへんですよね。「信仰」は幾何でいう「公準」などとは全くカテ違いでしょうから・・・。 一般に、カントの「要請」は「公準」の意味もあるといわれますが、仮に、この(2)の答が「Yes=本当」だとすれば、では、どういう「要請」の場合に、「要請=公準」の意味になるのですか? (3)「要請(する)」と訳されている原語(ドイツ語)について質問です。 カントは3批判書、特に「実践理性批判」の書で、日本語で「要請(する)」と訳される原語としては、名詞のPostulatと動詞のpostulierenと、どちらの方を用いているのですか?どちらも使っているなら、おもに使用している方を教えて下さい。 (4)日本語の訳語と原語との対応関係についての質問です。 使用しているのが名詞のPostulatだけなら、日本語の訳語は「要請」と「公準」の2つで済むでしょうが、動詞も使っていてなおかつ、日本語で言うところの「公準」の意味を含むなら、「要請する」という訳だけでは不十分ということになりますよね。 だって、日本語では「要請(する)」と「公準」とはまったく関係ない言葉だからです。意味が直結しません。 「前提(する)」と「公準」ならわかりますが・・・。 つまり名詞のPostulatも動詞のpostulierenも日本語に訳せば「要請(する)」と「公準」の両方を意味するというのが不可解です。 (A) ドイツ人・・・というかカントの頭の中では、日本語で言う「要請(する)」と「公準」とが意味的につながっていたのでしょうか? (B)postulierenという動詞は、日本語で「公準(と)する」と訳し得るような意味があるのでしょうか? 日本人の常識では「要請(する)」と訳される言葉が「公準」という意味もあるということ自体、ピンとこないのが普通だと思います。一方は動名詞で一方は名詞だし・・・。それが元のドイツ語では不自然ではないとすれば、日本語で言う「要請(する)」と「公準」とがあちらでは意味的に近いのでしょうかね? (C)日本語で「要請」と「公準」の2つをつなげるとしたら、<「公準」を「要請する」>といった動詞と目的語の関係しかないと思います・・・少なくとも「要請=公準」とはならならと思うのですがいかが?