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座右の銘の存在意義
私にも一応座右の銘がありますが、どちらかというとすぐ忘れます。(事実上座右の銘でない) 皆さんは座右の銘を持っていますか? 座右の銘は現代人に必要でしょうか、それとも不必要でしょうか? その理由を具体的に教えてください。 また、複数の座右の銘を持つことに関してはどう思われますか?
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- kurupin
- ベストアンサー率24% (125/511)
私も座右の銘を複数持っていますが、ほとんど自分の行動のつじつまを合わせる為に持っています。ちょっとずるいですけど。ですんで現代人の私には必要です。あと座右の銘になる言葉って語感がいいので気持がいいんですよね。私の場合ただのことわざマニアなだけかも。
- kyuukeityu
- ベストアンサー率31% (62/198)
特に座右の銘というほどではありませんが、好きな言葉ならいろいろありますね。 座右の銘は、必要の無い人は持っていないでしょう。反対に持っている人には、必要なものです。 また今まで持ってなかった人でも、ある言葉が強烈に印象に残って座右の銘になることは、よくあると思います。 座右の銘は、身近にあり、その人に力を与えてくれる言葉ではないでしょうか。 その言葉と出会ったときの衝撃や驚き、喜び、座右の銘に助けられたときの記憶など、様々な思い入れがその人の座右の銘にこめられているのでしょう。 味わえば味わうほど、深みが増すのだと思います。 座右の銘は一つとは限らないでしょう。 人は言葉に囲まれて生きていますから、そこから座右の銘に出会うのは、砂の中から宝石を見つけ出すようなものだと思います。 どんな小さな言葉でも、きらりと光ってその人の心を捉える瞬間がありますね。そこから座右の銘は生まれるのでしょう。 ちなみに今印象に残っている言葉は、「深刻になるな、真剣になろう」です。
人は誰でも、自分なりのやり方で、人生で起こる様々な物事に対処しています。 何か困った事になった時に、その「自分なりのやり方」を確認するための手段として、 「座右の銘」があるといえるでしょう。 ですから「座右の銘」とは、言わば人生の指針を端的に表現したもの、ですから、 必要不可欠とまでは言えないまでも、あると便利、とは言えるのではないでしょうか? 上記に即して言えば、人が対処しなければならない問題には、それぞれ様々な状況、 様々な性質があり得る訳ですし、引出しを増やしておく、 複数の選択肢を常に準備しておく事は、それは必要な知恵だと思います。 人によっては、いついかなる時も、ただ一つの方法を貫く事が、自分の基本方針だ、 という事になるかもしれませんが。
- taroimo_hasami
- ベストアンサー率23% (191/830)
万夫不当 強くなりたいからです。
- gvgv
- ベストアンサー率22% (14/63)
座右の銘とちょっと違うかもしれませんが、私が常に心に抱いている言葉は「終わりよければ全て良し」「不幸中の幸い」です。 後者の言葉は私の人生そのものです(笑)。ですが、さすがに不幸が続くと不安になりますよね。そんな時は前者の言葉を思い出すんです。最後に良いことが来るから今は我慢のときだ!と。 座右の銘って宗教と似たところがあると思います。ちょっとついてないなって時に思い出したり、何かをやるときに心に浮かべたりする、無形のお守りって感じでしょうか? こんな感じで私は座右の銘(?)を二つ持っています。特別二つ持ってて悪くて一つだと良いとは思いません。なぜ?って言われても特別理由は無いんですが、私は宗教を特別信仰してないので、逆を言えばどんな宗教でもOK?みたいな感じです。なので、その感覚が座右の銘にも影響してるのかなって思います。 現代人はあまり宗教を信仰しないので座右の銘を持っている人も少ないんじゃないかな?ただ、座右の銘は持っていてもOKだと思います。逆に持っていなくても非難されることもありません。なので、「必要か不必要か?」という二択では答えられないかな・・。
- lanlead
- ベストアンサー率42% (95/225)
座右の銘・・・ 持っています。 「彼も人なり、我も人なり」 自分が弱っているときや、弱りそうなときに限って、いつもこの言葉を思い出します。 現代人にというよりは、前に進みたい人間には心強い見方であることは変わりないと思います。 理由は、言葉やフレーズに励まされずとも事を成すには非常に強い精神力が必要で、その精神力を生活の中から培えば、これを象徴する「言葉」が浮かび上がってくるからです。 そして、人によって、必要な方(私のような)と不必要な方がいらっしゃるのでしょうが、不必要な方にとっても、座右の銘に代わるものが形は違えどあるのではないですかね。 複数の座右の銘、いいと思います。 物事の表面的なもので、悩んだり考えたり迷ったりすると、時や場所や場合で違う言葉が適用されるのでしょうね。 最初は誰しもそうだと思います。 ですが、複数のものでなければ表現し得ない「何か」をたった一言で表せる言葉との出会いが、本当の意味での「座右の銘」との出会いだとも思いますよ。