上巳の節句と3月3日

このQ&Aのポイント
  • 上巳は上旬の巳の日の意味であった。中国では、上巳の日に川で身を清め不浄を祓う習慣(上巳の祓)があった。
  • 元々は3月上旬の巳の日であったが、古来中国の三国時代の魏より3月3日に行われるようになったと言われている。
  • 平安時代に日本に取り入れられ、日本では3月3日を上巳の日として上巳の祓をする習慣がある。
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上巳の節句と3月3日

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E5%B7%B3 上記によれば ●「上巳」は上旬の巳の日の意味であり、元々は3月上旬の巳の日であったが、古来中国の三国時代の魏より3月3日に行われるようになったと言われている。 ●古来中国では、上巳の日に川で身を清め不浄を祓う習慣(上巳の祓)があった。これが平安時代に日本に取り入れられた。 とあります。 ちょっと日本語がわかりにくいように思います。 ●上巳は上旬の巳の日の意味であった。 ●元々は3月上旬の巳の日であった。 ●上巳の節句は三国時代の魏より3月3日に行われるようになった。 ●中国では、【上巳の日】に川で身を清め不浄を祓う習慣(上巳の祓)があった。 質問(1)中国で上巳の祓をおこなっていた【上巳の日】とは3月3日のことだと考えていいですか? ●これが平安時代に日本に取り入れられた。 質問(2)日本では3月3日を【上巳の日】として(上巳の祓)をする習慣をとりいれた、ということですね? 本来の【上巳の日(3月上旬の巳の日)】に(上巳の祓)を行っていた、という意味ではありませんね? よろしくお願いします。

noname#163492
noname#163492
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回答No.1

こんにちは。 私は、自称「歴史作家」です。 >>質問(1)中国で上巳の祓をおこなっていた【上巳の日】とは3月3日のことだと考えていいですか? 元々は、3月の最初の「巳」の日に「お祓い」を行いました。 しかし、陰陽五行説の影響により、「陽の数字」=「奇数」が重なる日が、最も効果がある、と考えられるようになり、3月3日をあてるようになりました。 陰陽五行説は、少し解りづらい解釈ですが、 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B0%E9%99%BD%E4%BA%94%E8%A1%8C%E6%80%9D%E6%83%B3 要は、 「陰」=「月」 「陽」=「太陽」 で、「奇数」は「陽」と考えられています。 従って、五節句と呼ばれるものには、「陽」の数字が用いられるようになりました。 1月7日・・・・「人日」(じんじつ)・・・七草粥の日 3月3日・・・・「上巳の節句」・・・・・・雛祭り。「桃の節句」とも呼ばれる。 5月5日・・・・「端午の節句」・・・・・・「菖蒲の節句」とも呼ばれる。 7月7日・・・・「七夕」 9月9日・・・・「重陽の節句」・・・・・・「菊の節句」とも呼ぶ。 1月7日だけは「例外」ですが、それぞれの「奇数月」に「同じ奇数日」が重なった日が、再び、運気が戻ってくる・・・と考えられたからです。 「9」は単一数字の中では「最上級」に位置しますので、11月11日などの、同じ奇数の組み合わせでも除外されたのです。 では、1月1日は・・・と言うと、これは、「お祓い」よりも、新年になって、昨年1年間の「厄落とし」が自動的に行われる・・・と考えられたからです。 そして、1月7日にしたのは、ちょうど、正月に美味しいものを食べ過ぎて、胃腸が弱った頃ですので、七草の薬草による粥を食べることで体調を整える・・・「運気」を取り戻す、という意味合いです。 >>質問(2)日本では3月3日を【上巳の日】として(上巳の祓)をする習慣をとりいれた、ということですね? 本来の【上巳の日(3月上旬の巳の日)】に(上巳の祓)を行っていた、という意味ではありませんね? 「魏志倭人伝」で、「魏」の国から日本に伝わった時には、すでに、3月の巳の日ではなく、3月3日が「厄払い」の日とされていたようですね。 ですから、あなたの考え方で良いと思います。 日本に伝わってからは、日本独自の「陰陽道」により3月3日を「桃の節句」とし、「桃」は、神仙に力を与える果実『仙果』と呼ばれ、邪気を祓い不老長寿を与える果物とされています。 「ひな祭り」は、道教、神仙道、神道、陰陽道などが習合した、日本独自の発展をとげた行事になったのです。 現代でも、「厄払い」「禊」(みそぎ)「お祓い」としては、室内でひな人形を段の上に飾るだけではなく、ひな人形に「邪気」を閉じ込めて川に流す、「流し雛」などの風習もありますよね。 神仙(仙人): http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%99%E4%BA%BA

noname#163492
質問者

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丁寧な解説をありがとうございました。

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