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 背理法とは対偶がその原理だと私は思っています。つまり対偶と背理法は基

33550336の回答

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回答No.4

まず、貴方の使っている、 「基本的に同一」 という言葉が数学的に定義されたものではないので、当然数学的な解答は出てこない、ということを先に断っておきます。 このことから、この問題は各々の主観による問題になるのですが、私は背理法と対偶法は同じものだと思っています。以下でそう思っている「こころ」を説明します。 まずA、Bを命題とし、AならばBを示したいとします。 もし対偶法を使うとするならば「¬Bならば¬Aを示す」ということになりますが、これは「Aかつ¬Bを仮定して矛盾(Aかつ¬A)を示す」ことと捉えることができます。 逆にAを背理法で示したいとき、「¬Aを仮定して矛盾を導く」という方法をとりますが、これはCを恒真命題(要するに常に正しい命題)とすると、「¬Aから¬C(つまり矛盾)を導き、対偶をとればC(つまり何も仮定されていない状態)からAが示される」と、対偶を使っていると無理矢理捉えることもできます。 このように背理法と対偶法はその人のものの見方の違いだけであって、大差はない、というのが私の意見です。 最初にも述べましたが数学的にどちらか(背理法と対偶が「同じ」かどうか)を決定できる問題ではないので、貴方が納得する方で思っておけばいいと思います。その上で私の意見が参考になれば幸いです。 あと、原理式として書いてある式は正しいです。 その式は常に成立します。

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