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「時間がやわらげてくれるような悲しみは一つもない。」

http://www.meigensyu.com/quotations/view/1370.html についてですが、 よく「時間が解決してくれるよ」とちまたでは言いますが それとは反対の意味なのでしょうか?

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noname#103282
noname#103282
回答No.1

私の勝手な解釈 もし、悲しい出来事があったとして 時が経ち、忘却できたとしたら、 それは「悲しみ」ではなかった、 という事、ではないかと思うのです。 悲しみ、という言葉はそれほど重いもの、 人の業とか、人の短き命とか、 キケロの思う「悲しみ」と言う言葉は 私が理解しているより、もっと哲学的な 意味と捉えている気がします。 当てずっぽうです 失礼しました。

qwfgjo
質問者

お礼

ありゃ。もう既に退会されてしまったのですか。。。 大変参考になりました。

その他の回答 (5)

  • indoken
  • ベストアンサー率37% (173/457)
回答No.6

No.5です。お礼で > いろいろな訳し方があるのですね。 と言われてしまって、かたなしです。 念のために、Ciceroのsayingsから英文を引用すると、 There is no grief which time does not lessen and soften. どんなに いろいろ訳してみても、"くれる"にはなりません。 引用なさっているのは、"くれぬ"を"くれる"に書き間違えた、"迷言"なのです。 残念ながら、キケロのそもそもの原文は知りませんがね。

qwfgjo
質問者

お礼

再度ありがとうございます。 大変参考になりました。

  • indoken
  • ベストアンサー率37% (173/457)
回答No.5

いろいろ解釈なさっておいでのようですが、 引用文が間違っているだけです。 正しくは「時間が解決して "くれない" ような、、、」です。 キケロ格言集下記URLなどをご覧ください。 http://kuroneko22.cool.ne.jp/cicero.htm

qwfgjo
質問者

お礼

いろいろな訳し方があるのですね。 有難うございます。

noname#112847
noname#112847
回答No.4

私も若かった頃、時間がすべてを解決してくれるよ、と言われた事がありました。 その言葉は深く印象に残っていますが、振り返ってみるとある程度は当たっていたような感じがします。 悲しみも憎しみも簡単に消えるものではありません。 でも、時間の移り変わりと共に、その時の自分が記憶共々次第に遠くなってゆくような感じがします。 思い起こして、その時の自分に帰ってみれば、悲しみは確かにあります。 悲しみを持った自分が、自分の中にいるという感じです。 解決とは無くなる事ではなく、記憶が新しい自分の中に包みこまれてしまう事なのかもしれません。 前向きに、という言葉はそこから生まれてきたのでしょう。

qwfgjo
質問者

お礼

私も振り返ってみるとそうですね。 時間のおかげで解決したのか、経験値を積んだから解決したのかわからないですが。 有難うございます。

  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.3

例えば、親を亡くしたとする。 1年後、痛みが軽減したとする。 普通は生きている以上、1年間ぼーっと家にこもっているわけにもいかず、なんらか生きている以上やりますよね。 仕事をしに行けば人に親切に触れたり、本を読めば自分より悲惨な人生を歩んだ人がいたとわかったり、買い物途中でかわいい犬になつかれたり。 そうやって外部からの刺激で、悲しみ10だったのが、悲しみ9:楽しさ1、悲しみ8:喜び2と変わっていくわけです。 要するに、時間自体が悲しみを減らしているのではない、時間とともに起こることが悲しみを軽減しているんのだ って言いたいんじゃないかと。

qwfgjo
質問者

お礼

わかりやすい例えです。 有難うございます。

  • hyuuma8579
  • ベストアンサー率29% (326/1097)
回答No.2

悲しみの情念は、唯一その悲しみとなった原因を取り去りことでしか、喜ぶことができるようにはならないのだと思います。 人生の目的が喜ぶことにあるとした時、昨今、喜びを放棄したした人々が、どれほど多いことでしょうか。 喜ばない人生でさえ、悲しいことなのに、もしそこに悲しみという傷を負ったなら、実体で血を流すことの痛みよりも、はるかに大きい痛みを感ずるはずです。 肉の傷が時とともに癒えるものなら、悲しみという心の傷は、誰かがどこかで解決しなければ、人を変えてでも受け継がれていくものだと思います。 時が解決するのではなく、誰かが悲しみを乗り越えていかない限り、宿題として、次の世代に残されていくのです。 悲しみを悲しみとして受け止めるだけの人では、乗り越えられないのです。 誰よりもつらい悲しみがあったとして、その悲しみを喜びとして受け止めることのできる人間によってのみ、悲しみの傷は初めて癒されるのです。

qwfgjo
質問者

お礼

難しいですね。 それなのに、このような文章を書けて尊敬します。 有難うございます。

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