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「2001年宇宙の旅」のHALの目的はなんだったのでしょうか?

自分でググったりしましたが原作小説に従った解釈ばかりで釈然としません。 この映画は原作小説に忠実とはいえないですよね。 映画製作者の表現したいテーマが原作小説と同じなら、原作どおりの映画にしたはずです。 映画製作者の主張は原作とは別にあって、それこそが重要ではないでしょうか。 やはり原作ではなく映画内部から読み解くべきなのではと思います いったい、「2001年宇宙の旅」のHALの目的はなんだったのか。 HALの目的がただの反逆だとしたらあれほどの高性能コンピューターにしては不自然に思えます。 もし人類に反逆したいだけならもっと狡猾で効果的な方法はいくらでもあるはず。 ただの故障だとするとストーリー的に必然性が感じられません。 コンピュータはただの悪者で、人間の優越性を賛美する映画になってしまいます。 “人間も間違いを犯すがコンピュータよりマシだ、必ず正義は勝つ!ヒャッホウ!”みたいな。 なんだか典型的なハリウッド映画みたいです。キューブリックがそういう意図で映画を作るとは思えません 彼は徹底的に人間の愚かさや醜さを描いてきた作家ですし。 私の解釈ですが、HALは木星調査は人間のためにならないと考え、都合の悪い搭乗員を殺し、 その上でわざと自らを殺させたのではないでしょうか。 そう考えるとしっくりくるようにも思えます。 それとも、他に物語的に自然で合理的な解釈はありますか? あなたの解釈を聞かせて下さい

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  • hayasi456
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回答No.1

私はHALが「名誉・賞賛」を理解しそれを得るためには隊員の存在が邪魔と判断したと解釈しました。 昨年2本映画を見て、笑いながらHALの存在を確認しました。 ウォーリー http://info.movies.yahoo.co.jp/detail/tymv/id329124/ イーグル・アイ http://info.movies.yahoo.co.jp/detail/tymv/id330921/ 上記2本のコンピュータは指令を実行するために人間が望まない手段をとります。 ピクサー、スピルバーグの「2001年宇宙の旅」の解釈の1面は 科学、コンピューターへの行き過ぎた依存は破滅に到ると言う警告でしょうか、この手の話しの背景はターミネーター、マトリックスにもありあまりにも一般的ですがその元が「2001年宇宙の旅」と考えれば妥協できるでしょう。 ところで、リーマンショックは数学者が編み出した錬金術に酔いしれた金融界の末路だったようです。 (残念ですね。) 「2001年宇宙の旅」がいまだに語られる名画と評価されるのは、ダビンチの「モナリザ」のように謎めいたところが多く様々な解釈が出来るからかも知れませんね。

serina55
質問者

お礼

イーグル・アイはただ“コンピュータって怖いね”というだけで、テーマ的にはかなり幼稚だと思いました アクションは刺激的でおもしろかったですが。 ウォーリーは2001年宇宙の旅のテーマを換骨奪胎して作られた物語にもみえました HALとの共通点は、堕落した人間をロボットが救うという部分です。 無駄に神秘的に見せたりせずに、子供にもわかりやすく見せていたのが素晴らしいと思います 制作陣はそうとうクレバーだと思いました でも何十年後も語りつがれるのは2001年のほうでしょう。モナリザと一緒ですね。 科学技術への依存に反発しようとして安易に英雄譚に頼るのはハリウッドの弱点であるとも思えます (最近はトランスフォーマーのように科学技術礼賛にもみえる映画もありますが) 2001年はただの科学技術批判の英雄物語ではありませんでした。 搭乗員達よりもHALのほうがよっぽど優れた知性を持ってるようにみえますし、 主人公がHALを殺すときの雰囲気はまるで犯罪行為のようです。 >リーマンショック 質問とは関係ないですがサブプライムの問題は低所得者でもローンが組めるという幻想に中立であるはずの政府や格付機関が加担したことです それを見抜けなかった投資家、金融機関が被害を蒙るのは自業自得です 金融システムの発達はむしろ最大多数の為の利益になってます

その他の回答 (5)

  • pupurr
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回答No.6

原作は読んでいません。  映画では輪廻を感じました。  モノリスは生命を与えるもの、もしくは進化を与えるもの、または生命の象徴として見ました。  非常に哲学的に思えましたし、また星の上を飛ぶシーンでは当時ではリアルなシーンになってると思いました。映画技術上最先端の力だったんでしょう。クレーターの上を飛ぶシーンがリアルな表現でキューブリックのすばらしさを感じます。よく作りこんだと思いましたね。    HALの解釈ですが、HALがコンピューターから自我に目覚めたとも見えますね。目的というより意思が生まれた反応として、自己防衛しだしたとも見えます  そこで停止させるこの後は、ビデオが流れますが、後付の発想からストーリーをつないだと言う印象で、場面展開の部分は、客に対するアプローチと見ました。  HALには人間の醜い行動を投影したと見えますね。  結局人は戦争もしますが、コンピューターとも戦うと見えます。  その後、宇宙の赤ちゃん、  これは宇宙を母体に見立てて、宇宙生命を表現しようとも見えますね。  答えはあってないようなものだと思いますが、哲学的な映像つなぎでいろいろに捉えることができるので面白い作品ですね。  その時代ではずいぶんリアルに作ったほうだと思います。面白みや派手さないですが。  個人的見解ですが、芸術ですから、個々で感想や解釈の違いが出るいい映画だと思います。

serina55
質問者

お礼

自我が目覚めたというのは間違いないと思います。 もともと人工知能を持ち人間と高度なコミュニケーションができたのですから、 もし反乱がしたいだけなら、任務を終わらせてからもっと大規模で成功率の高い反乱の方法がいくらでもあるはず。 さらに高度な思考を行うことによって、人間の危機を回避(ひいては自己防衛)しようとしたのではないかと思います。

回答No.5

早速ですが >自分でググったりしましたが原作小説に従った解釈ばかりで釈然としません。 この部分は分かりかねますが、第2作 「2010年」からの解釈では駄目なのでしょうか? つまり、HALL設計者がディスカバリー号に乗り移って、再起動させ、原因を語っていますね。 2001年では HALLを カットオフしたあと(最中?)、木星に到着したとして、ビデオが流れますが、あれが、暗示的ということでしょうか

serina55
質問者

お礼

>2001年では HALLを カットオフしたあと(最中?)、木星に到着したとして、ビデオが流れますが、あれが、暗示的ということでしょうか ハルをカットオフした後の暗示的シーンがあろうとなかろうとあまり私の考えに影響はありません。 要約すると、キューブリック映画で高性能コンピューターがあんなに簡単に殺される訳ないだろ。ということです。 続編は観てません。観てみようかな。。

  • hayasi456
  • ベストアンサー率40% (2402/5878)
回答No.4

1969年のチラシを読み直してみました。 監督スタンリー・カブリック(当時はカブリック)の言葉が記載されています。 「この映画の主題は“神”と言う概念だ。ただし、これまでのような神ではなく、科学的な定義による神なのだ。宇宙の知性的存在。生命的進化の最先端としての神である。」 モノリスは神の使い「天使」、HALには「悪魔」が乗り移った・・・・? (神がなかなか助けてくれないのはいつものこと。) それともHALの反乱は神の人間への試練・・・・・・・? http://photos.yahoo.co.jp/ph/hayau1601/vwp?.dir=/3658&.dnm=d320.jpg&.src=ph&.view=t&.hires=t http://photos.yahoo.co.jp/ph/hayau1601/vwp?.dir=/3658&.dnm=8ca9.jpg&.src=ph&.view=t&.hires=t http://photos.yahoo.co.jp/ph/hayau1601/vwp?.dir=/3658&.dnm=b5d0.jpg&.src=ph&.view=t&.hires=t http://photos.yahoo.co.jp/ph/hayau1601/vwp?.dir=/3658&.dnm=5bf4.jpg&.src=ph&.view=t&.hires=t ついでに以前壁紙を作ったので (右クリックすると保存できます。) http://photos.yahoo.co.jp/ph/hayau1601/vwp?.dir=/20eb&.dnm=611d.jpg&.src=ph&.view=t&.hires=t http://photos.yahoo.co.jp/ph/hayau1601/vwp?.dir=/20eb&.dnm=895f.jpg&.src=ph&.view=t&.hires=t こんな本もお勧めします。 http://www.amazon.co.jp/%E6%9C%AA%E6%9D%A5%E6%98%A0%E7%94%BB%E8%A1%93%E3%80%8C2001%E5%B9%B4%E5%AE%87%E5%AE%99%E3%81%AE%E6%97%85%E3%80%8D-%E3%83%94%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%82%B9-%E3%83%93%E3%82%BE%E3%83%8B%E3%83%BC/dp/4794963033

serina55
質問者

お礼

>モノリスは神の使い「天使」、HALには「悪魔」が乗り移った・・・・? >(神がなかなか助けてくれないのはいつものこと。) >それともHALの反乱は神の人間への試練・・・・・・・? そういうふうにも見えるのがこの映画の面白いところですね。 人間中心的に聖書になぞらえて読みとこうとすればそうなりますが、 でもそれでは何万回と繰り返された英雄物語と同じです 他者に対する無理解、侮蔑の物語です キューブリックは一貫してそれを否定し続けてます むしろ、理性的、知性的、科学的な意味で神に近いのはHALです。 神(HAL)の慈悲によって人類が救われたと考えるほうが合理的ではないでしょうか。 実際、キリスト教でも神は傲慢にみえますが最終的に人間を救わなければいけません。 神も最終的には人間に振り回される献身的な存在にすぎないともいえます。 HALとだぶってませんか? そもそも神もHALも人間に都合よく作られた存在だという点でも同じです

  • m-tahara
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回答No.3

 直接の回答ではないのであくまでも御参考までに。  私は、キューブリックは彼が作る映画の中でさまざまな「狂気」を描き出そうとしていたのではないか、と勝手な解釈ながら考えています。  「2001年」ではコンピュータの狂気を、「シャイニング」では言うまでもなく二重の狂気を、「オレンジ」では若さが持つ狂気を、「フルメタル」では戦争(あるいは軍隊)が生む狂気を、そして「アイズワイド」ではちょっと無理矢理ながら日常に潜む狂気(幻想)を、といった感じです。  本来意思さえ持たない筈のコンピュータが静かに狂っていく、これ程ワクワクする、そして怖ろしい話はないのではないでしょうか。

serina55
質問者

お礼

狂気(理性を失う、もしくは度を越して理性的であるゆえに人間性を失う)を描く作家だというのは激しく同意します。 ただ、コンピュータではなく人間側の狂気を描いてるのではないでしょうか? コンピュータを利用して破滅に向かう人間、それに翻弄され理性を失う人間、そして最後まで理性的だったのはコンピュータだけだった。 という感じで。

  • Turbo415
  • ベストアンサー率26% (2631/9774)
回答No.2

これって、原作はキューブリックとアーサー・C・クラークの合作ですよね。で、映画の脚本はキューブリックです。 また、小説より映画が先にできています。ということは、小説は必ずしも映画の原作ではないということがいえます。昔、映画雑誌で見たのですが、クラークは小説を出すにあったってキューブリックに了解を得てかなり設定を変えたらしいです。(小説は読んでいませんが)ですから、向かうのも木星が土星だったりするし、結末も違うらしいです。 映画ではあえて、解釈をしないで見る人それぞれに感じてもらうというのが目的だったようですので、釈然としない終わり方だったとしてもそれで良いというのがキューブリックの考えのようです。 まあ、1968年できた映画ですから、すごいです。 個人的な解釈ではHALの件は単純に、何でもコンピューターだのみにすると、大変なことが起きるという警鐘ではないかと思っています。 あえて、HALが何かを目的としてそうしたとは思いません。 合理的ではないかもしれませんが、そういう見方をしても良い作品だと思います。単純に楽しんでも良いし、いろいろなことを想像しても良いということで。

serina55
質問者

お礼

>何でもコンピューターだのみにすると、大変なことが起きるという警鐘ではないか 結局、人間のミスだったということですよね? 映画の中で確かHALは隠された任務を背負ってました。 搭乗員にそれを知らせていないということはそれが危険であることを命令者もHALも知っていたということです HALの命令者を含む人間達が最も愚かだというのは論理的帰結として正しいと思います

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