• ベストアンサー

奈良時代のことですが、農民の他に皇族や貴族も口分田を与えられ、税を納め

奈良時代のことですが、農民の他に皇族や貴族も口分田を与えられ、税を納めていたのですか? 宜しくお願いします。

  • 歴史
  • 回答数4
  • ありがとう数10

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • fumkum
  • ベストアンサー率66% (504/763)
回答No.4

>奈良時代のことですが、農民の他に皇族や貴族も口分田を与えられ、税を納めていたのですか? 皇族・貴族を含めて院宮王臣家とよんでいるのですが、皇族=院宮と王臣=貴族では規定が違うのですが、根本は似たり寄ったりですので貴族を中心に考えると、位封・職封・位田・職分田・位禄・季禄・節禄・時服・馬料・月料・要劇料があり、そのほかに従者として、帳内や資人と呼ばれるトネリをつけてもらっています(高位者のみ。また家令もつく)。 さて、この内質問に関連すると思われるのは位封・職封・位田・職分田です。この内位封・職封などはまとめて食封(じきふ)とか、封戸と呼ばれ、○○国××郷の△△戸と指定されますが、もらった本人(封主)が直接それらの戸を支配するのではなく、戸のある国の国司が租庸調を徴収し、租の半分と、庸調の全てを封主に直接納入する制度です。租の半分は国に納めるのですから納税したと考えられます。 位田・職分田は○○町などのように直接土地をもらう制度(自分ではないでしょうが耕作することになります)で、その内位田は輸租田と禄令に定められていたと思いますので、租は納めています。これに対して職分田は田令に不輸租田とあったと思いますので租は納めません。しかし、対象が大納言以上と国司・大宰府官人・郡司(郡司の職分田は輸祖田)で高位と地方官に厚い制度になっています。 墾田永年私財法の質問にも書きましたが、墾田といえども田租は納めています。職分田と言う例外はありますが、奈良時代では農地に関しては院宮王臣家といえども納税するのが原則です。 旅先なので律令の本文等の資料を持ってきていないので、不正確な部分もあるかもしれません。参考程度に。

その他の回答 (3)

  • isa-98
  • ベストアンサー率23% (205/859)
回答No.3

>奈良時代のことですが #2さまの言う位封による封戸を与えられていました。 それは国司が管理していました。 そこで徴収された祖の半分が貴族の取り分となります。 >税を納めていたのですか? 5割を納税していた事になります。 ここまでは貴族は直接祖を徴収できません。 律令制による中央集権国家でした。 墾田永年私財法などによって自分の領地が出来始めたのです。 最終的に貴族の荘園は無税となります。 平安時代には百姓は口分田を貴族に寄進した形を取り 安い祖を貴族に支払います。 中央に対する祖はどんどん減少し、律令制は崩壊します。 (天皇の領地と貴族の領地が分離した。) 貴族は自分の領地と財産を守る為に武装をし始めます。 これが侍です。 保元の乱で天皇が武士の力を利用した事によって 武士の台頭がはじまります。 鎌倉時代初期には頼朝と朝廷は互角でありました。 承久の乱で武家優位となります。

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.2

http://www.tabiken.com/history/doc/B/B123L100.HTM まぁ一種の領地をもらえたわけです、貴族は。 納税義務なんてありません。

  • tadagenji
  • ベストアンサー率23% (508/2193)
回答No.1

貴族や官吏は口分田を与えられたり租税を納めたりはしていない。 彼らは荘園を経営していて、国家から経済的、身分的な特権が与えられていた。 国民の多くは公民とよぶ農民で男女共6才以上で班田収授法により男子は2反=約600坪、女子はその2/3、良民の私的な奴婢は男女それぞれの1/3を与えられて死亡により国家に返還させた。 その代わり、租庸調という税が課せられていた。

degusann
質問者

お礼

ありがとうございます!

関連するQ&A

  • 奈良時代の人口増加について!

    奈良の都の繁栄の陰で農民たちは苦しい税に苦しんでました。また天然痘などの疫病の流行や凶作の影響のあり、口分田を捨て浮浪したり逃亡する農民があらわれました。 そのため班田収受が困難になるのですが、その原因が『良質な口分田の不足』と『人口の増加』と教科書に書いてあります。口分田の不足は理解できるのですが、なぜ天然痘などの疫病が流行したのに人口が増加しているのですか?政府が何か政策をとったのですか?教えてください。

  • 奈良時代の貴族と庶民

    奈良時代の貴族と庶民の生活の違いについて簡単にまとめてください!

  • 奈良時代の貴族と地方の庶民の暮らしを教えてください

    奈良時代の貴族と“地方”の庶民の暮らしを 詳しく教えてください。 衣食住についてです。 地方では奈良時代になっても 竪穴住居が使われていたと知りました。 貴族たちの明るい平城京と 庶民たちの苦しい暗い奈良時代、平城京のことも 比較したいです。 よろしくお願いします。

  • 平安時代の庶民【農民)の生活について?

    平安時代の農民の結婚はどうだったのか?貴族同様一夫多妻だったのですか?

  • 江戸時代に名字(姓)を持っていた農民、商人はいましたか?

    江戸時代まで名字(姓)が許されたのは、貴族、武士だけだと学校では習いました。一般庶民が名字を持つようになったのは、明治時代からだと思いますが、本当に江戸時代に名字を持っていた農民、商人はいなかったのでしょうか? 一部の有力な農民、商人の中に名字を持つ者はいなかったのでしょうか?もしいたら、それはどういう理由から持つことを許されたのでしょうか? ご教授願えませんか?よろしくお願いします。

  • 日本の貴族が栄えていた時代の小説について

    戦国時代を扱った小説はよく見かけますが、日本の貴族の時代(飛鳥時代や奈良時代、平安時代)を扱った小説は中々見かけません。 そのような小説の作者や本のタイトルを紹介してもらえないでしょうか?

  • 十二単は平安時代の貴族はどの感覚で着ていたのですか

    十二単というと平安時代の貴族のお姫様の衣装で、お雛様でも目にします。 今でも皇族の方が儀式を行うときなどで見ることもあります。 平安時代で十二単を着るというシチュエーションはどんなものだったのでしょうか? 今の時代でいうと、ドレス感覚だったのでしょうか?

  • 奈良時代天皇の詔は、どうやって伝えられたのでしょう

    子供につっこまれて困っています。奈良時代天皇の詔は、どんな方法で農民まで伝えられたのでしょうか。また下級官人たちには誰がどうやって伝えたのでしょうか?

  • 奈良~平安時代 『租』について

    律令制度の始まりに伴い、古代日本では6年ごとに戸籍が作られ、6歳以上の人間には口分田が与えられました。 そして、誰しもが納めなければならない税である、租があります。。 国衙の財源(今でいうと県の財源と同じ)になるということらしいのですが、租というのは米を納めるんですよね。 ・ほぼ全ての人が米を作るとなると、米が余ってしまいませんか? ・私の認識ですと、この時代には貨幣があまり流通していないですし、  基本的に大勢の農民は自給自足だと思っていますが、間違いないでしょうか? ・貨幣が流通していないということは、一部の弓や剣を作ったりしている人々の報酬はお米なのでしょうか? ご回答お待ちしております。よろしくお願いします。

  • 平安時代の女官~江戸時代の貴族

    平安時代は女官でなくても女性の名前は、本人と親と夫くらいしか知らなかったそうで、 宮中の女官の呼び名は、何とか式部とかになっています。 これはどういう風につけられていますか? 清少納言は、親の地位と苗字の一字から取られたそうですが、他にはどういう物があるのか教えてください。 また、江戸時代に貴族や皇族の女性が徳川家の男性に嫁ぐことが多かったようですが、 今に名前が知られていても、当時はやはり本名(○○子のような)は一般には知られていませんでしたか?