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「時間」は、一様に流れているか?

. 僕は、時間は一様に、同じ速さで流れていると思っていました。 しかし、あるきっかけから、時間は、速く流れたり、遅く流れたり、時には止まってしまったりする事もあるが、それを、識別できないから、一様に流れていると思っているのではないかと、疑問が生じました。 例えば、時間が止まったとしましょう。 その場合、時間が止まった認識出来るでしょうか? 飛んでいる鳥はどうでしょう。 落ちる気がしますが、落ちるためには、落ちる時間が必要です。 太陽の炎は消えるでしょうか? 消えるためには、消える時間が必要です。 人間は死ぬでしょうか? 死ぬためにも、やはり、時間が必要です。 世界は、闇に包まれるのでしょうか? 人が見ている像は、そのまま保たれます。 人間の意識はどうでしょう? 意識が成立するには、時間が必要です。 つまり、時間が止まっている事を識別するものは何も存在しないと思えるのです。 時間が、ゆっくり流れるとしましょう。 しかし、心臓の脈もゆっくり打ち、意識もゆっくり活動します。 地球が、太陽に引き寄せられる重力も、G=9.8m/s^2 で、変化がないため今までと同じように、太陽の周りを回ります。 時計の針も、ゆっくりと進みます。 原子時計の波長も時間単位の周波数なので、時間が伸びれば、それに応じて波の間隔も伸びます。 こうして考えると、時間が速く流れても、遅く流れても、止まっても、これを識別する手段がないと思えます。 つまり、時間の流れが不規則でも、私たちは、一様に流れているとしか認識できないと思えるのです。 時間が、不規則でなく一様に流れているという、「証明」は出来るのでしょうか? .

質問者が選んだベストアンサー

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  • amaguappa
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回答No.39

> 基本的には、証明不可能という立場と理解していいでしょうか? 証明の仕方は存在するということを書いたつもりでした。 「時間が一様に流れているならば、○○である」 「××であるならば、時間は一様に流れている」 と言えるような○○や××があればよく、しかし、この○○や××は、いまのところなさそう、という立場でした。 質問者さんは、この色は青い、というようなことを証明しようとしているのと同じで、 証明不可能というより、証明すべき対象を概念として扱っていないのです。 この色は何色かわからないけれども、青であるとすればどうなのかというところが、証明のポイントなのだと思います。 > 自分が最近気になっているのが「温度」「気圧」です。 > これらは、時間の変化「速くなる」「遅くなる」の影響を受けず一定なのでしょうか? > 時間の流れが遅い時「気温が低くなる」という事は無いでしょうか? > そういう現象があれば、「証明」になると思うのです。 時間が伸びたり縮んだりしながら気温や気圧が上下変動しているとして、それが時間が一様に流れていることの証明になると思われるのですか? 観測できないものは現象ではないですから、気温はともかく、時間を観測するのは難しいですね。 あとは、気温や気圧の低下がほかの原因によらないことを明らかにすることと、 気温や気圧の低下自体が、概念化された時間の実体ではないことを条件にしなければならないでしょうね。 もし量子重力が、温度と圧力にどんな変化をもたらしうるかを述べることができて、 たとえば三次元から五次元に抜ける量子にかかる温度と圧力を観測できたとして、 そこで温度や圧力が下がったとしても、それはそれだけのことで、もはや、「時間」が「流れて」いるなんて話ではなくなると思います。 あるいは身も蓋もないことをいえば、 脳神経の電圧の変化そのものが時間の感覚ということもありえるかもしれず、それもけっこう奥深い話になりそうな予感があります。 まあ、幽霊や亡霊や怪奇現象を見たという人々の「寸前に覚えた寒気」「歪んだような空気の違和感」なら「証言」として集めることができると思いますが、 そこで時間が「ゆっくり流れていた」とか「走馬灯のように長々としていた」と主張される「一瞬」があったとしたら質問者さんには興味深いですか?

mintarou1
質問者

お礼

. 回答ありがとうございます。 >証明の仕方は存在するということを書いたつもりでした。 なるほど、そういう趣旨の発言でしたか・・・ >この色は何色かわからないけれども、青であるとすればどうなのかというところが、証明のポイントなのだと思います。 たしかに、仰るとおりだと思います。 時間であれば、どうなのか?・・・・ 確かに、困難と思われますね。 .

その他の回答 (38)

回答No.8

 回答No.6の冒頭の「mintarou1さんは」を、「我々は」と言い換えたくなりました。  

mintarou1
質問者

お礼

yy8yy8az さんも、加速度を感じると思いますよ。

  • yosiochan
  • ベストアンサー率20% (27/135)
回答No.7

「時間」もどういう視点で時間を見るかに依存しますので、絶対的な時間は存在しないと思います。絶対的基準がないからです。 ある条件下でという条件付で証明できるかもしれませんが、それは非常に粗雑で、「1メートルは本当に1メートルか」を証明するようなもんです。 人間の日常ではそれで事足りるかもしれませんが、哲学的に考えるなら、証明できないでしょう。 そもそも、「証明」とは何か?になってしまいます。絶対な証明など、そもそもできないのです。する必要もないのです。証明されるもの(対象)も、証明を正しいと認識する主体もなくなるからです。これが正しいと思えること自体(整合性)、ある条件下における非常に主観な見解だからです。 ゆえに質問の回答は出来るといえば、できるが(それを証明した人とその証明が正しいと思える人にとっては、証明が出来たといえます)、私の立場ではできないという見解です。

mintarou1
質問者

お礼

回答、有難うございます。

回答No.6

 mintarou1さんは、多分時間という船に乗った乗客なのでしょう。  船の外を眺めなければ、速度が速くなったか遅くなったか分かりません。    止まった事さえも。

mintarou1
質問者

お礼

. その例えはどうなのでしょうか? 船に乗っていたら、速度を増すとき、減速する時、加速度を感じるでしょう。速度が速くなったか、遅くなったかは、分かると思いますよ。 .

回答No.5

相対性理論において、時間の流れは一様ではない、同時性というのは変化する、 といった時間のフレキシビリティは指摘され、実験的にも証明されています。 1つには、相対的に運動する物体は、(相手の方の)時間の流れが遅くなります。 2つには、重力場(質量を持つ物体の近く)においては、時間の流れが遅くなります。 その結果、たとえば我々は少なくとも「自分の時間の流れは一定」だと考えますが、 その実、「静止している=時間の遅延作用のない」自分の内において、分子は振動し、 原子は回転し、そしてその根源のスーパーストリングは量子=光速に基づく、 といった具合に、原理的に遡るほど高速で運動している=時間の流れが遅くなる ことが明らかとなっています。 その根源で量子性のみに基づくなら、本質的には時間は流れておらず(そもそも物理 の根源(経路積分など)において量子相互作用は瞬間作用(因果関係を逆転しても等価) とされる)、人間の不完全な認識において物事を原理的に確定せず、表面的に捉える (「コップ」という存在は真には無く100%原子の集まり)ことで、階層現象表面性 に付随して、派生(仮象)的に流れ始めるものなのです。 この「原理的に確定すれば時間は流れていない」ということは、空間的に射影すれば 「原理的に決定すれば無限不確定性に発散する」という不確定性原理につながります。 実は、相対性理論にしても、量子論にしても、認識体との相対によってしか存在は無い、 という帰結を潜在的に持っています。 客観的時空や絶対的存在というのはない、というものです。 認識性を除外した存在は、無=無限不確定性になります。 その無限の闇に、認識体の仮定断面の運動を想定すれば、相対的に無の風は光になり、 認識体はその光(量子相互作用パターン)の向うに、自我仮説の相補としての 時空仮説を派生させるのです。 「相補」というのは、絶対時空や外的存在を否定し、認識体との相対においてしか 時空は計量できないとする相対性理論や、同じく認識体が現象表面的に物事を捉え、 本質的に決定しないことにより有限的存在性は生じるとする不確定性原理といった ものを伴う時空、ということです。 即ち「何か有るんじゃないの?」という疑問(自我仮説)の相補として生じた時空仮説に 対して、「本当はないんだけどね」という無の射影として、存在は生じていると言えます。 無いとは分からない事が有であり、流れているのは時間ではなくあなたの方なのです。

mintarou1
質問者

お礼

. 回答有難うございます。 申し訳ないのですが、回答#2の回答へのお礼と、同じ内容とさせていただきます。 .

回答No.4

宇宙全体での「流れ」として捉えられる場合、仰るとおりだと思います。 そうして、その速度が「変化」するとすれば、宇宙全体の外部から観察すれば分かるかもしれませんが、「観察」という概念が成立した途端、そこもまた、「この宇宙」の一部にならざるを得ない。なぜなら、「時間・空間」が連続していなければ「観察」することも不可能だからです。。。 ※補足:宇宙の一部の「時間の流れが一様でない」場合、ネーターの定理から、その部分ではエネルギー保存則は成立しなくなるでしょう。。。

mintarou1
質問者

お礼

. 回答ありがとうございます。 「ネーターの定理」は、知りませんでした。k_jinenさんは、本当に博学ですね。 どこまで知識があるのか、いつも驚いています。 でも、[宇宙の一部の「時間の流れが一様でない」場合]ということなので、自分の場合、宇宙すべてが、同時に時間の流れが不規則に同時に変化する場合を考えているので、その場合は、 [時間が、不規則でなく一様に流れているという、「証明」は出来ない]と考えていいんですよね。? .

  • cyototu
  • ベストアンサー率28% (393/1368)
回答No.3

私は物理学者です。その経験から参考意見を述べてみます。 時間という言葉で何を指しているかによって、いろいろな主張を説得力のある論理で合理的に説明できるはずです。人間の生まれてきてから死に至る現象を考えて下さい。時間の流れは人が違うと違っているばかりでなく、一人の人間の物理的現象にとっても、同じ速さで流れていないと言うことは、測定可能な経験によって明らかです。例えば、ここに45才の方がいたとします。その方の皮膚はもしかしたら35才ぐらい、その方の足腰の筋肉は50才ぐらい、腕の筋肉は40才ぐらい等と、一人の人間のなかの物理的な現れ方でも、皆違っているのが普通です。 この世の中の現象を記述するのに、宇宙の構造だとか、電子や素粒子や光などの途轍もなく単純な現象に選択的に限ることにし、また、今までに物理学者達が手に入れた未熟な論理だけに頼るならば、単振り子や原子の運動に現れる単純な繰り返しの周期運動の数を数えることで、「時間」の流れを捉えようと言う立場は、大変便利な方法あることが確認されてまいりました。しかし前世紀の中頃から、物理学はそれよりも桁違いに複雑な「複雑系」という名で呼ばれている現象も扱えるようになりました。カオスの理論などは、その複雑系の中でも最も単純な系を扱う理論です。非線形非平衡熱力学や統計力学が扱う系は、それよりももっと複雑な「複雑系」の例です。複雑系の究極は、生命現象とか、社会現象辺りになるでしょう。このような系を取り扱うのに、果たして、単振り子の周期のような、この宇宙でも例外中の例外に属する単純な運動の数を使って記述することが合理的であるかどうかは、自明なことではありません。 周期運動が何故重要かと言うと、数理科学で言う所謂線形現象が、フーリエ解析と呼ばれる数学の手法で全てが原理的に解明可能だからです。ところが、非線形効果では、フーリエ解析の手法は必然的でもなんでもなく、したがって、この解析法で解明可能な現象は、ほんの一部に限られています。その具体的な例が、上に述べた、時の流れに関係した「年齢」や「寿命」という問題です。エントロピーの増大法則に関わった不可逆的な「時間」も、この例に入ります。この問題は、力や相互作用やエネルギー等という、今までの物理学者の自然把握の概念だけでは記述が完全ではなく、相関という、物理学者にとってもまだ十分にこなし切らえていない概念を使って把握される必要があるようです。相関の概念は、力や相互作用やエネルギーと密接に関係してはおりますが、しかし、それだけの概念に既約できる概念ではなく、数学的表現の中でも共鳴効果や非線形効果などが本質的な役割を演じる、全く新しい側面を持った概念です。 ですから、相対論で論じられているような、極端に単純な事象に着目して考えられている「時間」ばかりでなく、複雑系ではそもそも「時間」とは何を意味するのかまで考え始めると、「時間は一様に流れている」という言葉自体が、それで何を意味するのかについて、これからの物理学が問い掛けて行かなくてはならない問題だと思います。

mintarou1
質問者

お礼

. 回答ありがとうございます。 私は、物理は大学で学んだ程度なので、複雑系等までの知識は持ち合わせていません。 それで、勘違いがあるかもしれませんが、感じる所を書かせていただきます。 回答者様は、個々の体力の例ですがを挙げて、時間の流れが一様でないと書いていますが、自分の言う例は、個々ではなく、大きく捉えるなら宇宙全体を対象としています。宇宙全体の時間の流れが、一様では無いと、考えることも出来るのではないか?と可能性を聞いているのです。 時間がゆっくり流れるときには、人間個々の心臓もゆっくり鼓動を打ったり、時間が止まった時は、全員心臓も止まる。 その、時間の不規則な流れが、認識が出来ないのでないか?と問うているのです。 回答者様の、回答を十分に理解せずに勘違いをしているようなら、指摘いただければ、再度、考えます。 よろしくお願いします。 .

回答No.2

 哲学のカテゴリですが・・・物理的な考察をしているように感じます。 そして、その物理的な考察が間違っているのですが・・・・。  20世紀前後のニュートン力学の時代は、時間は均一に過ぎ去るものと考えられていまたが、エーテルという仮想物質を媒介して「光」が伝達されると考えて始めたころにアインシュタインが登場して、光は30万(Km/秒)という有限の速度を持ち、普通に存在する物質は、この光の速度に到達することが不可能と証明?されました。 そして、これによって移動するものは、その移動速度に依存して時間が遅れることは事実として観測されています。  なので、下記の証明は物理的には否定されています。 > 時間が、不規則でなく一様に流れているという、「証明」は出来るのでしょうか?  哲学は、ほとんど知らないのですが・・・物理学的に否定されていることは哲学でも否定されると思って書きました。

mintarou1
質問者

お礼

. 回答ありがとうございます。 質問が悪かったかもしれませんが、私の言う「時間」は、日常生活における時間を言っています。 アインシュタインが示した、光速に近い速度で移動している物体の時間は、思考対象から外して考えていただければ、と思います。 この、日常生活において、時間の流れが、一様であり、不規則な流れでないか「証明」できないか?という問いなのです。 .

回答No.1

証明できません。 おっしゃる通りどんな動作にも時間が必要です。もしも時間が止まっているとして、それを人間が証明するためにはそれを頭で理解する時間が必要ですが、時間が止まっている間には理解する時間はありません。 今わかっていることは、時間が一様に流れているということではなく、周りの人間や生き物などと同じように流れているということだけではないでしょうか。

mintarou1
質問者

お礼

. 回答ありがとうございます。 答は、時間が止まっている例を挙げて説明していますが、 時間がゆっくりな時、速く進む時も、同じように説明できないと回答しているのでしょうか? .

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