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なぜ数千年を要したのか?地球の形状を知る理由
- 去年の夏、房総半島で地球の形状についての驚くべき発見がありました。
- 肉眼でも確認できる水平線の曲がり具合から、地球が丸いことを実感しました。
- 一方で、古代の天文学の進歩にも関わらず、地球の形状を知るまでには数千年を要しました。なぜでしょうか?
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>過去において生じたこれらの失敗や間違いについて見直し、なぜこのよう >な失敗や間違いが生じたのか 私も昔はそのように考えていました。 しかし、科学と迷信の違いを理解するにつれ、この考え(科学が誤ったという認識)自体が誤りだと気がつきました。 科学というものは、デカルトの「方法序説」からケプラーやガリレイ、ニュートンなどの活躍ではっきりした形を取ることになった方法論でしょう。 それは、誰にも手段さえあれば観察可能な観察結果から、それを説明する理論を推測し、それを実験などで確認していく手法でしょう。 それが確立するまでは、そもそも「科学」ではなかったのですから、「科学が誤った」という土台で判断できません。ギリシャのデモクリトスが「原子」を提唱しても、それは哲学にすぎなくて、たとえ後に証明されたとしても科学ではない。 では、ニュートンの物理学は誤っていたのでしょうか?。 いいえ、それ以前(ケプラーなど)に観察された結果--誰でも追試できる--結果を元に、それを説明できる法則を説明し、キャベンディッシュが実測をした。でも重力を人類は遠い昔から知っていた。べつにニュートンが発見したわけじゃない。天体でも地上でも同じ法則が成り立つことを説明した。・・・それが科学。 もちろん、それで当時観察されるすべての重力のかかわる減少は説明できた。 それで説明できない事実が発見され、のちのアインシュタインへ続くわけだけど。 >これらを回避するにはどうすべきであったのかなどを 科学ではなかったか、否かが問題なのです。 新しい理論が発表されると、こぞって科学者は議論に参加しますが、それはその過程が「科学的か否か」であり、同じ結果が出るかの追試なのです。 科学以外が、間違っていたり、あるいは科学以外が科学の成果を否定するのとは区別する必要があります。 進化論だって、科学の世界ではすぐに議論され速やかに受け入れられたけど、他の世界は長く、今でも否定している。でも、それを批判しても始まらない。
お礼
1つ考えてもらいたいことがあります。 万有引力の法則は17世紀ごろニュートンにより発見され、これによりものの上、下は全て相対的なものであるから地球の下側の人間が下に落ちるのではないかという歴史的にあった問題は心配せずにすむこと、地球が丸くても問題はないことが理論的に説明されたわけです。 しかしながらはたして万有引力の法則を理解しなければ地球が丸いことを理解し得ないだろうか。 織田信長が万有引力の法則を理解したとは思えないが、彼は地球儀を見て即座に地球が丸いことを理解したという。一方、側にいた坊主連中はそれが理解できなかったという。この違いはどこからくるのか、この認識の違いを生む「モノ」は何なのかというのがあります。 もう1つ、もし万有引力を知らず全てものは下に落ちると考えるのであれば、月を見て月にも上と下があるのであるから、月の下側から砂や石ころが下に落ちているであろうとか(もしくは月の下側は砂粒ひとつないツルツルであろうとか)、そういう議論があって当然であろうと考えますが、そのような話は全く耳にしません。これも少し考えてみればおかしな話だと思いますがどうでしょうか。 ギリシャ時代のアルキメデス、ユークリッド、エラトステネス、アリストテレスなども万有引力の法則を認識していたとは思えないが、彼らは立派に地球が丸いことを理解し、地球の大きさを計算して見せました。万有引力を知らなくても地球が丸いことは思索により導き出せると考えることも出来ますがこれは認識に関する方法論の問題であり、このあたりからは科学の範囲かどうか何ともいえません。これについては、まだ結論が出ていないと考えますがどうでしょうか。 つまりここで言いたいのは質問に掲げた問題は既に解決済みであり、何も問題は残されていない過去の事と一般にとらえられていますが、私はそうでなく解明すべきことが山ほど残っていると考えるわけです。