カソリックのキリスト教信仰とバチカンのことについて
- カソリックのキリスト教信仰とバチカンに関連する事件を通り過ぎることができるのか疑問
- カソリックの教会や信徒さんたちはバチカンの事件をどのように受け止めているのか興味
- バチカンには免罪符や魔女狩り以外にも悪評があるのか調査
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カソリックのキリスト教信仰とバチカンのことについて
http://www.asahi.com/international/update/1126/TKY200911260119.html において、 「神の銀行」とも呼ばれるIORが、イタリアの民間銀行を通じて巨 額の資金洗浄を行っていた疑いがあるとされる報道がありました。 私自身はカソリックではありませんが、個人の信仰者にとっては一番大事なバチカンへの信頼性に関る事ではないかと存じます。 仮にこれが私たちの信仰の本部団体だとしたら、私たちは悲惨な気持ちで信仰と精進を離れることにもなりかねません。 正に人生が大地から崩れます。 1. この事件を私たちは全く偶発的な一過性のエピソードとして通り過ぎることができるのでしょうか? 2. カソリックの教会や信徒さんたちはどのように受け止めていらっしゃるのでしょう?(URLでも結構ですので、お教えください) 3. バチカンには、免罪符や魔女狩り以外に今も何か悪評があるでしょうか??(URLでも結構ですので、お教えください) 参考:http://okwave.jp/qa5479418.html
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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参考添付されておられるご質問の回答者さんが、すでにおっしゃってるように、バチカンのマネーロンダリングなどの問題は、遠藤周作氏の、たしか、『反逆』という作品でしたかな、わたしは新聞掲載当時のを読んでいて、この作品のなかでも出ていたように記憶しておりましたが、これでもう、かれこれ20年ほど前じゃないかと思います。つまり、今に始まった問題じゃないということですね。 なにしろイタリアとの関係が深いからですか、マフィアとの繋がりを取り沙汰されるのは、よく見かけるようです。 そのマフィアとの関係について、こちらの質問で、ご回答者のお一人が触れておられます。 「バチカンの資金洗浄は有名で、この手数料収入は反共産主義運動に利用されており、前法皇の時代、ポーランドの反共産主義組織「連帯」に一億ドルもの資金が供給されていたそうです。」http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3260813.html 1.については、同様の事件で、これまでにも逮捕者が出ているということは、それなりに捜査の手が入っているわけですから、「偶発的な一過性のエピソードとして通り過ぎ」てなどいないはずですね。ただし、あるところまで来て、そこから先が壁というのか、なかなか難しいことになってるんでしょう。 2.については、ここで、このように尋ねられたところで、肝心の信者さんたちからの、教会組織への「信頼性」如何のこと、はかばかしい回答は、これまでもそうだったように、あまり見込めないのでしょうね。以下は、信者さんであるかどうか確かなところは分かりませんが、大きな理由の候補として考えられるのかな? 「カトリック信徒は、その公の言動において、カトリック教会の教導権の教えを否定するような言説をばらまくことはなんらゆるされていません。(教会法1369条、1371条など参照。)」 http://www.amazon.co.jp/review/RRAL3W4E7W52P あと、ヤフー知恵袋では、こういう声がありました。 「信仰とは個人個人の問題だと思っています 聖書の信仰は個人対神です」 「キリスト教は神様を個人的に信じてる人の集まりでグループ意識があるひとはいない。ただ「神様がその教会に行きなさい」と言う命令を受けて行くだけです。」 3.については、そりゃあ、あるでしょう。現に、こちらのご質問で挙げられていることも、その一つじゃないですか。 個人のサイトですので、hを外して挙げておきます。御覧になるときは、冒頭に加えてください。 ttp://plaza.rakuten.co.jp/ryujisato/diary/200505160000 あと、こういう映画もあったようで。 『バチカンの嵐』 http://eiga.com/movie/47954 わたし自身は、キリスト教徒ではありませんので、先に紹介した参照リンク中でも述べられていることからの想像や推測でしかないですが、 悪名高いマネーロンダリングにしても、反共産主義運動などの現実的な活動の一手段であるとか、組織としての活動が、どのように腐敗的な様相であったとしても、信者の立場からは、教祖や教え自体とは、切り離して受け止めているということかもしれません。 思い切って卑近なことで喩えてみれば、男女のまぐわいによって生まれ落ちたに違いない子どもが、聖性を求めるがゆえに、一人の女としての肉体を持つ生々しさを、その母から除外して見詰めるようなものですかねえ。よく分かりませんが。 サッと検索かけてみたかぎりでは、この程度だったですが、肝心のクリスチャンがバチカンの問題に関して意見を述べているサイトは見つかりにくい、というか、全然ないのか?と思うくらい、目につかないもんですね。 まあ、確実なところを知りたいならば、現にクリスチャンやってる人たちに、直に尋ねることでしょうね。それでも、あまりハッキリしたことは言わないのかしれませんが。その理由として考えられることは、すでに紹介したあたりをご参考に。
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