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自分が死ねば、宇宙が消滅するのか?

. 私に、哲学に造詣の深い知人がいます。 彼が、時折 「世界は、あなたが観測するから存在する。あなたが死ねば宇宙は消滅する」と言います。 その考えが存在することは、哲学の書籍で知っていました。 (独我論という考えらしいです。他の名称であれば、すみません。) しかし、自分はその論には、どうしても府に落ちなかったのです。 それである時、その知人に 「じゃ、俺が死ねば、お前も消滅するのか?」と聞いたところ、沈黙してしまい、それ以後その論は話さなくなりました。 自分は、不思議で仕方がありません。 先の論は、哲学書にも記載されているから、認知されている考えなのでしょう。 それに、時代の批判にも耐えてきたのでしょう。 それなら、どうして僕の素朴な疑問にも答えられないのでしょう。 皆さんの意見を聞かせてください。 .

質問者が選んだベストアンサー

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noname#163132
noname#163132
回答No.11

一般人ですが、独我論…wikiでざっとみました。 だから本当には理解できていないかもしれませんが、知人はこのようなことが言いたかったのではないかと…(付け焼き刃で回答しては、知人に怒られてしまいますかね…?)。 それって、つまり世界は自分が認識した上で存在するということですよね。 自分という体と意識があってこそ、世界を体感、認識できるということとすると、 >「世界は、あなたが観測するから存在する。あなたが死ねば宇宙は消滅する」と言います。   自分の認識を頼るとそういうことになりますね。 自分自身が死ぬと、自分は世界を観測できなくなるから、認識が出来なくなります。自力で認識できる世界が宇宙の全てだという考えの基では、その説は成り立ちます。指示しているわけではないけれど、言わんとすることは分かる気がします。 >「じゃ、俺が死ねば、お前も消滅するのか?」と聞いたところ、沈黙してしまい、それ以後その論は話さなくなりました。 知人が仰る、「自力で認識できる世界が宇宙の全てだ」という考えの基では、質問者さんは死を迎えることによって自分の存在も、知人の存在も認識できなくなります。 死ぬことによって、「認識できるもの=世界」が消滅します。 その論の基では、質問者さんにとっては死でもって宇宙の全てが消滅します。 自分の認識によってのみ存在証明が出来るのだという立場を取ると、そういう結果になります。 乱暴ですが、証明(認識)できないものは存在しないということでしょう。 知人は質問者さんではないから、仮に質問者さんが先に亡くなっても、自力で認識できる世界を生きて存在し続けます。 そのときの知人を認識できるのは、知人とその関係者です。 でも、知人が亡くなるとき知人が認識してきた世界はそこで終わります。 知人の関係者は知人の死を認識し、その後の世界を生きるのだけれど、知人が属した世界と同じものだとは証明できません。 何故なら、知人の関係者を知人は観測できないからです。 だから、同じ宇宙だとは証明できません。 知人とその関係者は同じ時代を生きている間は、同じ宇宙で存在していると証明し合うことが出来るけれど、その後の宇宙も同一の宇宙で延長上にあるものなのかどうかは、知人もその場に居合わせないかぎり証明できないからです。…自分の認識が全てだから。 なので、知人と質問者さんが感じ取ってきた宇宙が存在していても、お二人が存在することが叶わなくなったら、その後の世界が二人が属してきた宇宙そのものであるかどうかは、お二人には証明が叶いません。 個人による存在の証明の限界を、端的に「自分が死ねば、宇宙が消滅する」と言い表しているように聞こえますね。 私が存在して認識をしなければ、記録も記憶も写真も録音も、存在の証明にはならない。 本当にこれが通れば、裁判は無意味なものになってしまうし、映画も音楽も遺跡も無意味になってしまいます。 実際には制作者や当事者が亡くなっても、それらの事実は世界の中に存在し続けるのにね。 「人間の世界は、人間が観測するから存在する。人間が滅びれば、人間が作り出した世界は存在価値を失う」ということであれば、とても良く分かります。 「世界は、あなたが観測するから存在する。あなたが死ねば宇宙は消滅する」とは、これを一個人に当てはめて言い表した言葉のようにも思えます。 「ものがあっても、それを理解出来る人が誰もいなければ、存在していないのと同じ」なら分かるんですけれどね。 自分の存在だけが確かだという大前提で成り立つ説で、現実にはそぐわない感があります。

mintarou1
質問者

お礼

. すばらしい! 初めてで、そこまで解釈できるものでしょうか! 大型新人の登場!ってやつですかね。 解釈に特に、異論はありません。 ただ、僕が問題にしているのは、最初に質問に書いてあるように「腑に落ちない」と言う点でもあります。 これは、mist_greenが、文末で書いている。「現実にはそぐわない感があります。」って言う事と同じだと思いますが、こんなに、現実から乖離感を感じる論が、そんなに、認知されているという、違和感なんですよ。 これは、できれば、後のほうで、突き詰めていければと思っているんですが、相手(回答者)のあることですからね。 どう、話が展開するか・・・・ .

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その他の回答 (38)

  • heartmind
  • ベストアンサー率14% (32/226)
回答No.29

独我論や形而上学論は一見すると変な理論だけど、ある意味、的を得ていると思います。 >僕の死んだ後にも宇宙は存在すると、考えるのが自然な考えだと思います。 そう考えるのが自然と考えるのも主体なのです。 >「現実にはそぐわない感があります。」って言う事と同じだと思いますが、こんなに、現実から乖離感を感じる論が、そんなに、認知されているという、違和感なんですよ。 という違和感を感じているのも主体なんです。 結局こうなっちゃうわけです。ああいえばこういうみたいな。 客観でみていると考えている結局のところ主観・・・・・。 なんか最強のへ理屈みたいで嫌だなってことでしょうか。私もそう思うけど、でも案外そういう考え方も生きていく上で必要なこともあると思いますよ。

mintarou1
質問者

お礼

. 回答ありがとうございます。 >私もそう思うけど、でも案外そういう考え方も生きていく上で必要なこともあると思いますよ。 そうですか。 自分は、現実離れした論は、思想の遊戯みたいで自己満足の世界に思えるんですよ。 生きていく上での必要性があるのかな? 現実と整合性のある論の方が役に立つんじゃないか、と思うんですよ。 精神的に幼いからですかね? .

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  • ga111
  • ベストアンサー率26% (247/916)
回答No.28

>自分にとって存在していると確信できるのは自分の精神だけであり、それ以外のあらゆるものの存在やそれに関する知識・認識は信用できない、とする。(独我論の定義D) 文が長いので、なるべく短く表現しようとしていました。確かに意味が少し変わっていますので、あなたが引用している文を定義とします。(=定義D)この定義Dを使っても、 「世界には自分しかいない、とか、そんなことを言っているわけでは全然ないんです。」(命題E) 「哲学者にとっての独我論」は矛盾しないと思います。 また、「これに対して、独我論は、私の認識とは無関係な事物の存在を否定する。」(命題C)は矛盾するとおもいます。「それ以外のあらゆるものの存在やそれに関する知識・認識は信用できない」なら、「私の認識とは無関係な事物の存在」を否定も肯定もできないはずです。よってウキペディアが不正確な叙述をしていると私は考えます。言語学者や哲学者がかいているとは限らない(普通は書いていない)のでよくあることです。これはウキペディアのその記事の内部に矛盾があるというだけです。 No.26はNo.18と等価ですね。

mintarou1
質問者

お礼

. 私の言っている趣旨はそんなことではありません。 定義の問題で足踏みしたくないんです。 そこは、スタート、または、通過点で、先に行きたいのです。 だから、あの定義が変とか、この定義がおかしいと言うことではなく。 お互いに、納得できる定義を出したいんです。 そこで、あなたの信頼できる哲学の辞書なり、書籍に書いてある定義を 元にしようじゃないかと提案しているんです。 何度も言いますが、あなたの解釈でなく、信頼できる本なり、辞書なりの定義を示してください。 お願いします。 .

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  • sheep67
  • ベストアンサー率28% (36/128)
回答No.27

下のNO26です。 もうちょっと考えましたが、 なんかパラドックスのにおいがしますねー。 独我論ー自分の存在だけが確かで、他は不確かなんですよね。 でも質問では、「じゃ、俺が死ねば、お前も消滅するのか?」 と言っています。 でもこの質問をされたほうは、この質問が意味のある筋の通った物だと認めてしまうと、我が2つ有ることを認めることになります。 この質問に於いて、すでに、我が2つ有ります。 この質問を受け取った「お前」という我と、 この質問を成り立たせるために認めざるをえない「俺」という我です。 変です。 別に独我論が間違いというのではありません。 独我論が正しいなら、この質問は成り立たないと思います。 多分、論理的におかしい質問をしたのではないでしょうか? 相容れない2つじゃないかと思いました。

mintarou1
質問者

お礼

. 回答と言うか、指摘と言うか、ありがとうございます。 質問の内容自体に問題があったのかもしれません。 例えば、 「世界は、自分が観測するから存在する。自分が死ねば宇宙は消滅する」と言います。 「じゃ、お前が死ねば、俺も消滅するのか?」 と聞いた。と考えていただければいいのではないでしょうか? そうすれば、「我」の存在を2つ考えなくてもいいと思います。 独我論の問題は、認識の問題ですから、それを、中心に考えて 上のほうに置き換えれば、すっきりとすると思います。 .

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  • sheep67
  • ベストアンサー率28% (36/128)
回答No.26

こんにちはー。 NO・・4です。すごい人数ですねー。 で、独我論、済みません、僕も見落としてまして、説明いただいてあすみません。 で、考えたんですが、 「じゃ、俺が死ねば、お前も消滅するのか?」 というのは、 「じゃ、俺が死ねば、(俺にとっての)お前も消滅するのか?」 という意味なら、イエス、だと思います。 でも 「じゃ、俺が死ねば、(主体としての)お前も消滅するのか?」 なら、ペケじゃないでしょうか? 僕がそのお前なら、自分が「俺の見てたお前」の分、減った感じはあっても、なくなりはしませんから。 「俺から見たお前」は消えます。 「お前から見たお前」は、減りますが消えません。 つまり・・「お前」の定義ですねー。 重箱つつくようですが・。 もうこういう話はだれかから出てますか?

mintarou1
質問者

お礼

. 指摘ありがとうございます。 先に、No27の方にお礼を書かせていただきました。 それで、この問題も納得できますでしょうか? まだ、疑問を感じるなら、再度、書き込みお願いします。 .

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回答No.25

 ご盛大ですが、mintarou1さんを唸らせることがなかなかできないですね。  勝手な読み方ですが、この質問・テーマは、私たちの教えの意識論に類縁しているようにも思えます。  釈尊は、母の脇の下から生まれると七歩歩いて、「天上天下唯我独尊」といったそうです。  これは一定の宇宙哲学の講義への導入の創作でもあるでしょう。    私たちも宇宙とその存在、そして自分というものを考えるようにと、どんどん肩を押されていきます。  押している主格を五感では知覚しないので、自分で歩いているような気持ちで居る。当たり前の事ですが。  日本語では勤行というのをやります。  経験と経験内容、知覚と知覚内容、五感と五感報告、そして思考や観念(これらを経験と経験結果といいます)と自分との区別をする訓練をします。  通常の生活の自分が経験と経験結果であるにすぎなく、その内容やその内容の中の相関関係を取り外した意識に引き上げます。  この意識が、創作し、紡ぎだしてくると、全世界が現出します。  そして意識はその客体世界の一員に為りきった錯覚で自分を忘れて、その中の存在と為り錯誤しながら、存在し続けます。  そういう意識の意識と意識結果(内容)が世界で、自己はそういう客体化します。  その自己は死のうが生きようが世界には関係ないでしょう。  客体世界の一部に過ぎませんから。  でもそうでないその奥で、紡ぐ自己は単なる私たちではないので、それが更に上部に引き上げられ、世界を経験しなくなると、世界はもうなくなるでしょう。  無限の世界はどこまで行っても無限です。でも宇宙は無限ではない。  しかしその突き当たりに行って、そこから先を観測すると、そこから更に宇宙は作り出されていく。  それはその観測した結果の主格意識、行動意識ではなく、その奥で紡ぐ意識が観測の根底に居るからだという思考を、私たちはしております。  これもmintarou1さんからは多分反論と疑問が出るでしょうが、納得するにはやはり、勤行と生活しかないので、賛成してもらう説明はできない事を先に降参して謝ります。  この投稿をpsytexさんが読んで、“自分が死ねば、宇宙が消滅するのか?(2)”が決して揚げ足とりでもなく、知的な好奇心や遊びでもない事をご理解してくださり、私の望んでいる言葉を補って下さるか、ご回答してくださる事を切願します。

mintarou1
質問者

お礼

. 本当にそうですね。psytexさんからの、補助回答があるといいですね。 僕も、僕なりに、psytexさんに呼びかけているのですが、分かりやすい言い回しでの、回答はしていただけないんですよね。 何故だか分かりませんが・・・・ こればかりは、本人の意思なので仕方ないですね。 そちらでも、深まる議論がされることを願っています。 .

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  • ga111
  • ベストアンサー率26% (247/916)
回答No.24

なかなか話が終わりませんね。定義は、たとえばこのスレッドでこの言葉をこう定義する、と宣言してもいい場合もあるのです。 ウキペディアが正確でないことが多いのは有名な話ですので、そこでの定義が一般的かどうかは疑いの余地があります。が、、、ここではmintarou1さんも、わたしもウキペディアの定義でいいということです。定義Aと定義Bが矛盾しているのは分かりますよね。 ウキペディアの冒頭の「他人の意識や存在に対する私の認識は信用できない」(定義A)は、「これに対して、独我論は、私の認識とは無関係な事物の存在を否定する。」(命題C)とも明らかに矛盾すると思います。「私の認識は信用できない」なら、「私の認識とは無関係な事物の存在」を否定も肯定もできないはずです。よってウキペディアが不正確な叙述をしていると私は考えます。言語学者や哲学者がかいているとは限らない(普通は書いていない)のでよくあることです。 また、命題Cを定義とするのもありです。独我論という言葉自体が余り一般的でないので、最初に矛盾しない定義を「あなたが明らかする(表明する)必要があります。」なにも不思議はないと思います。 語感的には、命題Cを定義としたり、定義Bを取ったりするのがより一般的かもしれません。

mintarou1
質問者

お礼

. あなたが、wikiの冒頭とする文章 >ウキペディアの冒頭の「他人の意識や存在に対する私の認識は信用できない」(定義A) 私が、実際wiki よりコピーで持ってきた文章 >自分にとって存在していると確信できるのは自分の精神だけであり、それ以外のあらゆるものの存在やそれに関する知識・認識は信用できない、とする。 勘弁してください。なんで、wikiの文章をこんなに、変更解釈するんでしょうか? なぜ?・・・・ wikiが信用できないなら、信用あるとする「独我論」の解釈を示す辞典の例を出してきてもいいですよ。こんな、不問な議論は、そろそろ終わらせましょう。 僕は、その先に行きたいのです。 .

mintarou1
質問者

補足

. 可能な限り、調べました。 信用置けるのは、以下の内容かと思われ提示します。 同、哲学カテで、「哲学者にとっての独我論」という題で質問されたものです。 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa1350724.html その中で、良回答とされている回答者が、「独我論」を示しています。 >自己の意識とその意識がとらえた像のみが確かなものであって、 >他者はこころに現れた現象として認識するしかない」と考えるのが独我論 wikiとは、微妙に違います。しかし、これをどう解釈すれば、 >他人の意識や存在に対する私の認識は信用できない となるのでしょうか? 私は、精一杯やっているつもりです。 後は、あなたが、根拠の確かと思える「独我論」を提示するのを待つしかない気持ちです。 .

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  • ga111
  • ベストアンサー率26% (247/916)
回答No.23

それは「独我論」の定義によります。想定外の定義をしたら、当然、議論も変わってくるでしょう。 「独我論のの基本的な考えは、人間と呼べるものは自分だけで、他はただの人形かロボットに過ぎない(定義B)」と定義した場合、ロボットに過ぎないというのも、決め付けであり、「他人の意識や存在に対する私の認識は信用できない」(定義A)と矛盾するのです。 もし私が使ってきた定義Aを取ると、ロボットに過ぎないというのも、やりすぎなんじゃない? むしろ、他人はいると仮定するのも自由だよね?正確にその他人の心は知りえないとしても。、という論理展開も可能なのです。 

mintarou1
質問者

お礼

. >それは「独我論」の定義によります。想定外の定義をしたら、当然、議論も変わってくるでしょう。 定義とは何でしょう? 個人で、勝手に決められるものでしょうか? そうしたら、論理は基礎を失い展開できなくなります。 定義は、一般に認められている内容としなければなりません。 その場合、wikiの定義を用いるのが常識的な対応だと思います。 再度wikiの別の部分から、独我論の説明を引用します。 >これに対して、独我論は、私の認識とは無関係な事物の存在を否定する。 >リンゴが存在するのは、私が認識しているときだけであり、私が認識を止めると、 >リンゴもまた消滅する(見えなくなるのではなく、存在しなくなる)。 >全ては私の意識の中にのみ存在し、私の意識を離れては何物も存在しない。 >これが独我論の基本的な世界観である。 他人の認識には一切触れていません。私の認識、意識を主体とする考えだと読み取れると思います。 .

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  • ga111
  • ベストアンサー率26% (247/916)
回答No.22

いいえ、文の解釈に問題があります。 >自分にとって存在していると確信できるのは自分の精神だけであり、それ以外のあらゆるものの存在やそれに関する知識・認識は信用できない、とする。 これは「自分以外の精神(これをイコール意識とします。)を認めない立場です。」ではなく、他人の精神に対する私の認識は信用できない、と取るべきです。他人には他人のさまざまな考え方、感じ方があるので、厳密には他人の考えを完全に把握することはできません。自然だと思います。 また、あるもの(たとえばパソコン)の知識も、パソコンについて知識が深くなればなるほど変わっていくでしょう。よって、存在に対する私の知識も信用できないのです。 すなわち、世界はわが表象である(ショーペンパウエル)なのです。

mintarou1
質問者

お礼

. 回答ありがとうございます。 そうですか、wiki以外に色々なサイトを参考にしたのですが・・・ とすると、以下のサイトの「独我論」の解釈は、誤りって事ですかね。 http://www6.plala.or.jp/swansong/2/essey0055.html

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  • ga111
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回答No.21

書いた直後に気がつきました。「あなたの」世界の「あなたの」がよく抜けるのは、独我論だからです。独我論は自分の認識がすべて(=世界)なので、「あなたの」世界も想像されたものに過ぎないのです。mintarou1さんのコメント(20のお礼)も、本質的には同じだと思います。 よって、「あなたの」がよく抜けるのは、解決です。よって、すべて解決ではないでしょうか?厳密には、独我論の言ったとされることは間違いで、 「私の」世界は、私が観測するから存在する。私の死ねば「私の」宇宙は消滅する が、厳密かもしれませんが。この文には何の不思議もありません。ちなみに、私は独我論はある程度ただしいというか、自然な考え方だと思います。「あなた」、「私」を補えば。

mintarou1
質問者

お礼

. 回答ありがとうございます。 >「私の」世界は、私が観測するから存在する。私の死ねば「私の」宇宙は消滅する >が、厳密かもしれませんが。この文には何の不思議もありません。ちなみに、私は独我論はある程度ただしいというか、自然な考え方だと思います。「あなた」、「私」を補えば。 これは少し、違うように思います。 wikiの独我論からの抜粋ですが、 >独我論は、哲学的な考え方の一つである。 >独我論は認識論や形而上学での立場の一つで、自分にとって存在していると確信できるのは自分の精神だけであり、 >それ以外のあらゆるものの存在やそれに関する知識・認識は信用できない、とする。 これで、書いてあるように、自分以外の精神(これをイコール意識とします。)を認めない立場です。 よって、他人に意識を認めないから、意識の無い存在は、世界(宇宙)を認識できないので、他人には、世界(宇宙)が無いと言う考えです。 つまり、私の世界しか存在しないから、あえて「私の」をつける必要が無いのです。 世界で、私しか意識が無い。・・・・これって、自然な考え方ですか? .

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  • ga111
  • ベストアンサー率26% (247/916)
回答No.20

>そう書けば、納得できるですが、「独我論」では、徹底して「あなたの」を省いているのです。「あなたの」を入れれば、単純に納得できるのに、それを一切行わない。これは、どうしてか??? それは、話を難しくするためです。といったら元も子もないですね。私はある程度そう思うのですが。質問者さんはどう思うのでしょうか? 「独我論」は認識論の一種であり、私の世界、あなたの世界はかなり違う、同じである保証はなにもないということを、「あなたの」「私の」などという言葉を省くことで強調しているのかもしれません。

mintarou1
質問者

お礼

. これについては、回答者さんの答えの中に、様々なヒントが隠されていると思います。 まずNo1さんの答え、 >自分以外の人間は操り人形ということを前提にしているからでは? これは、正解から遠く離れていると感じている方もいらっしゃるかもしれませんが、 これが「独我論」の問題点だと指摘する専門家もいます。 次にNo11さんの答えの末尾の分 >自分の存在だけが確かだという大前提で成り立つ説 これも、No1さんと、答えは似ていますね。 自分は、自分の意識を確認できますが、他人の意識を確認できません。 (存在を確認できないものは、存在しないと同じと言う考え。) つまり、他人に意識があろうと、無かろうと、自分からは同じ世界に見えるわけですから。 自分だけが意識を持った人間で、他は、意識のないロボットだと考える事も出来ると言えます。 これは、考え方の根本を突き詰めると、No1さんの回答と同じになります。 これを、前提とするならば、「あなたの」を、つける必要などないでしょう。 さらに、No12さんの答え >ならば、質問者さんが死んだあとお友達が存在していることを >どうやって質問者さんは確認するのでしょう。 >確認するすべがないものが存在していると言えるでしょうか。 これも、先の回答に似ていますが、友達の意識には触れず、自分の意識を中心に書いています。「確認するすべがないものが存在しているといえるでしょうか。」 として、「存在証明」つまり、確認できないことを、中心に話を展開しています。 僕は、意識的にNo12さんとは、同じ「認識論」の土俵に乗らず回答しています。 それは、「様々な理由」があるのですが、一つには、同じ土俵に乗ると問いを跳ね返すことが困難であると考えての答えです。 僕は、「独我論」の専門家ではありませんから、正しく問題を指摘していると言うことではありません。 ただ、これらの回答を考えていると、こんな「独我論」の輪郭が見えると感じると言うことです。 これらを、元に再度「独我論」を考えてみてください。 .

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    哲学についてはド素人なんですが、質問させていただきます。  皆さんは「言語の先行性」についてどうお考えですか?『ウィトゲンシュタインと「独我論」』を読んで、言語の先行性についてなんとなくは分かったのですが、今まで考えたことのない思考だったので、正しいような正しくないような・・・?つまり、自分の考えがもてないんです。なので皆さんの考えを教えてください。曖昧ですみません。  あと、ウィトゲンシュタインは「独我論」批判をしたようなんですが、どのように批判したんですか?簡単にでも答えていただけたら嬉です。 よろしくお願いします。

  • 独我論が正しいのでは?世界は自分が創っている?

    >vitaさん >我々人間は、光や音、匂いや触感などの外部刺激を受容することで、自我、心を形成しています。その受容には僅かとはいえ、有限の時間がかかります。つまり我々は過去しか受容できないのです。そして我々はその外部刺激に反応し世界に働きかけるのです。その方向性は一方通行で過去から未来への方向なのです。ところが独我論は、そもそも受容する外部刺激そのものを自分自らが作り出し、それを可逆的に自ら受容し反応していくということなのです。つまり未来から過去を形成するという全く非常識な方向性を持っているのです。自ら外部刺激を作ることなど本来できないのですから、独我論など全くの妄想であり、議題にすること自体無意味なのです。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1389656183 ↑ これの意味がよくわかりませんが・・・。。。確かに過去を受信?して、現実を自分の脳で理解している。 >独我論とは、客観的世界など存在しない、すべては自分の意識のみ存在している。 他人や椅子や机などのものは脳が見せている幻影であり、そのものの存在はあり得ない。 >つまり、世界の中に自分がいる のではなく、 自分がいて、世界は自分が創っている。という考えです。 ~~~~~~~  そんなわけで、独我論が正しいのではないかな~?っと、思ったわけです。 しかし、どうも、仮に、「世界は自分が創っている」としても、そのヒントは世界にほとんど存在しません。 誰1人、「あなたが創造している」とはしません。(しかしネット上にはいくつかそういう説も出される) 1,唯物論?のように、全ての人に意識がある=常識論、当たり前とされている考え 2,独我論のように、1人1人が独立した世界を持っている?というオカルト説。1人1宇宙。 の2種類がほとんどです。 しかし、私は、 3,実は、世界、宇宙には、「私という自分しか存在しない」という独自に近い考え。。を持ったりもします。 しかし、これは、まさに、「有り得ない話」でもある。 というのも、1人1宇宙で、60億人分の自分だけの現実(アニメとある魔術の禁書目録・超電磁砲)を持つ、という、2番目の説ならまだしも、 3、の、私しかこの世に存在しない、というのは、無茶苦茶でしょう。やはり・・・。 それはつまり、「一切の他人に、意識が存在しない人形のようなモノ」だと、してしまうからです。 これは、怖い話。。。 また、これを他人に聞いたら、どう答えられるでしょう? 他人は、「いや、それは違う。私には意識がちゃんとある。だから、貴方は間違っている。考えすぎだ。頭冷やせ。病院行ったら?」と、なります。 2,3番目の考えは、神=自分=私、わたし、だという考えにも、近く、「私が神だ!」と主張する =馬鹿で頭イカれた精神異常者、だと、他人からは映ります。。。 ・・・さて、何が言いたいのかよくわからなくなってきましたが・・・思うことが、多々あるってことです。 とあるサイトで、2番目?の「1人1宇宙説」を唱えている人がいました。 観測についての記述ありました。 「あなたの真後ろ、遠い駅、地球の裏側」は、見えていないから、観測されず、存在しない、真っ暗な何か、というような説明がありました。 なるほど、と思います。 というのも、それならば、「エネルギーの節約になる」からです。 最近はよく、「この世はスーパーコンピューターの世界だ。」という話を見かけます。 それならば、この世界を描写するのならば、「私だけ」描写すれば良いわけです。 私のパソコン画面、と、その周辺だけ、描写すると。それも、完全にリアルに。。。 (また、私の幻覚体験で、建物幻覚=中に入れた、熱いシャワーが出た、という謎や、廊下に過去の記憶のミルクティーこぼれていた事件や、携帯電話が11日間だけ最新ニュースが流れていた、や、Gigazineに明らかに私と関係ある記事が載っていた(←これは完全に幻覚でしょう。)といったことなどなどが、ありました。) これは、私の脳が壊れかかっている?wのか、それとも・・・・・? 世界が壊れかかっているwのか、、、・・・・?・・・・・。 個人的には、「世界が壊れかかっていた」という方が、2010年3月の色々な幻覚体験は、説明が付きます。その直前は、一週間家から出なかった?忘れた、とかあったので、明らかに、私の脳が異常を出して、幻覚になってしまった、とも、言えるのですが。 何れにしても、世界=宇宙=自分の脳みそ、というのは、正そうです。。。。 Aという世界、Aという宇宙は、Aという私の脳が創りだす、Aという、Aだけの現実・・・だとも言えそうです。 そしてまた、B,CDEFG・・・・という世界が、他人にもあると。まぁ、5感で生まれてからの経験の積み重ね=現実世界のようなので・・・・。(これはまさに2番目の話) さて・・・そう考えていくと・・・・・・・・・・・・? 結局、最低でも、「1人1宇宙」であり、それとも、 「私の宇宙だけしか、この世に存在しない。宇宙は1つしか存在しない。唯一。」という、 無茶苦茶な考えが出てきます。 また、この考えについて、他人のほとんどが否定する理由は・・・・・・・・・・・ 「宇宙にたった1人しかいない、私・・・・・・。。。」というのを、信じていかないとならない点です。 1人1宇宙ならば、60億人分の現実があり、現実世界が無数に存在し、人間もまた、60億人、別々の世界でも、確かにそれぞれが、存在する。だから、「この世には1人じゃなく、60億人は確かに存在する。」と、できます。 しかし、宇宙が1つ、意識を持つのも、私1人・・・・・・だとすると?・・・・・・・・・・・・ もしも、それが真実ならば、、、、とても、「虚しい」気がしてきます。 全ての他人は、所詮、意識がなく、人形のようであり、また、<私の無意識>が創造した他人である、と。。。。 宇宙がどうやって出来たのか?わかりません。しかし、「一番初めには、確かに私1人しかいなかった。それじゃぁ、虚しい。だったら、私の分身を、完全に他人に思えるように、創造していこう。」っと、神である私。。。が、、、、、、、、、考えて、創造していった、としたら?・・・・・・・・・。。。 確かに、辻褄は合うと思います。 結局、人形劇、自作自演ということです。それが真実かは不明ですが・・・。。。 さて。自作自演と言えば、911テロです。これは陰謀論ですが、、、、。。。 また、2chでも、自作自演という単語は出てきます。笑い話でもあります。 しかし、「他人は、自分が創造していて、、、、自分=他人だとしたら? 鏡だとしたら?」 んーーーーーーーーー、、、、。。。これまた、虚しいと。。。。 自作自演、ってやつですね。こんにちは。ありがとう。さようなら・・・・・。。。 そして、「これらが真実だと仮定すると、これらが公にならない理由は・・・・・・・・・」 やはり・・・・・・「自分1人だけの世界は虚しいから・・・・・・・・・・・・・・・。。。。」ということだと思います。 超超超超・・・・・・・・・・・・超超超・・・・・・・強力な・・・・・・・・・「ロック=鍵=Key」がかかっている、ということでしょう。Key=ゲーム会社でもありますが。 パンドラの箱・・・・・・・かもしれません。 超強力なロックだからこそ・・・・・・・・・・・・・。。。。。。。。他人は、ネット上でも、現実世界でも、 誰1人、他人は、「あなたが創造している」というようなことを、言わないのだと思えてきます。 他人は、嘘を付いている?・・・・・ような感じです。 結局、自分しか信じられない、ということに、尽きるかもしれません。 ・・・・・・・あとは。 この世がスパコンで出来ているとして、幻覚は、私が、 「実はこの現実は、自分が創造しているのではないか?」 っと、「潜在意識がここに来て顕在化(これはOVA超電磁砲黒子の台詞)、した」ということのような気もします。 ずっとずっとずっと、、、、自分が全てを創造しているとしたら?・・・・・・・・ ずっとずっと、「自分で自分に嘘をつき続けている」ということになります。 これまた、しっくり来るのですが・・・。。。 http://www1.ttcn.ne.jp/turu/30souzousyuhe.htm これなんかも、あなたが創造している、としているサイトの1つですが。1人1宇宙論かもしれません。 また、さっきの911ですが、CG説があり、これも、「変だな?」と思わせます。 311も何故、911+311=1222=2012年12月22日人類滅亡?説になるのか?っと。 福知山線脱線事故だって、何故、運転手がスピードを出してしまったのか?謎です。 最近では、全てのニュースが、自分が創造したようにも思えてきます。。。 さて・・・・・・観測ですが・・・・・・・・。 自分の目で、観測しています。問題は・・・・・・・・・・・「自分も、他人も、同じように、5感を持っている」ということでしょう。 「自分も他人も、同じ体を持っている。だから、自分も他人も、同じ存在だ。だから、独我論は間違っている。」とも、仮定できます。 これは質問ですが、これを否定することはできるのでしょうか? もしも、自分だけしか、意識が無いとすれば、自分=他人の体、という事実は、何故か否定され、観測しているのも、自分1人だけ、だということになります。 ここで字数制限・・・。。。

  • 究極の認識論とは宇宙の存在を問うことではないのか

      哲学のテーマの1つに認識論なるものがあります。 いま目の前に見えるコップは果たして存在するのかとか、 いま自分が食べているこの御飯は果たして存在するものなのかとか、 いま自分が話をしている目の前の女は果たして存在するのかとか、 いま生きているように感じる自分は果たして生きているのか、死んでいるのかとか、 自分は存在しているのか、存在していないのかとか、 哲学と称してこのようなことを問いかける者が度々見受けられます。 果たしてこのような問いかけが哲学なのかどうか、 認識論と称してこのような問いかけを行うのであれば、 認識論とは唯一つの命題「宇宙は存在するか」を問うているに等しいのではあるまいか。 随分と前から問われているようであるが果たして認識論は哲学なのか、これが何がしかの意味をもつのか、またこれについて何か結論は生まれたのか、何らの結論も得られず果てしなく続くことになるのか。 どうであろうか。    

  • 真理のイメージと宇宙論が複数存在する理由について

    大学の哲学の授業で質問がだされましたが、どう答えていいのかわかりません。助けてください。 1、真理のイメージとして鏡を用いる事がなぜ不都合なのか説明せよ。 2、宇宙は1つなのに宇宙論について複数の学説が存在している事態を知識論の立場からどう理解すべきか。 哲学に詳しい方にとっては簡単すぎる質題かもしれませんが大変困っています。教えてください。お願いします。

  • ビッグバン宇宙論とは何だったのか

      我々の宇宙は150億年前に無から生まれたとするビッグバン宇宙論とは一体何だったのだろーか。 既にビッグバン宇宙論は破綻し、今ではビッグバン宇宙論は過去の遺物になってしまった。 ビッグバン宇宙論は何だったのか今一度振り返って見た。 ビッグバン宇宙論は無から宇宙が始まったことを何一つ証明できなかった。 結局ビッグバン宇宙論は科学ではなかった。 無は現実の世界には存在せず、物理で扱えるものではなかった。 にも関わらず実証不可能なものである無を科学に組み込んだのは、科学を否定することを意味したからである。 150億年とゆー宇宙年齢もいい加減なものであった。 人間が望遠鏡で観測できる、宇宙のごく一部を観測した結果をもって宇宙が膨張しているなどと戯言を言ったりもした。 実際ビッグバン宇宙論が科学的に正しいと考える人は殆どいなかったのである。 そもそも常識的、経験的に考えて宇宙が無限であることは誰の眼にも明らかであった。 ビッグバン宇宙論は20世紀が生み出した最大のギャクに過ぎなかった。 ではビッグバン宇宙論は何故生まれたのか。 ビッグバン宇宙論とは、一つの世界宗教であり、 ローマ法王が認定した終末思想であった。 しかしこの終末思想には明るい未来は無かった。 ビッグバン宇宙論は次第次第に人々の心に暗い影を落とし始めた。 もともとビッグバン宇宙論は日本には馴染まないはずであった。 しかし閉鎖的な日本の科学界はビッグバン宇宙論を盲目的に取り込み布教し始めた。 つい半世紀前にビッグバン宇宙論が誕生する前までは世界の宇宙観は常識なものだったのである。 しかしビッグバン宇宙論と終末思想のおかげで世界は狂い始め、科学は退歩し始めた。 以上が既に破綻したビッグバン宇宙論についての自分なりの総括であるが、皆はどのよーに捉えるのかご意見下さい。