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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:巨勢徳陀(? - 658年)が正一位?)
巨勢徳陀:正一位への昇進とその疑問
このQ&Aのポイント
- 巨勢徳陀は正一位に昇進したとされていますが、その時期に疑問があります。
- 冠位・官位制度の変遷によれば、正一位の登場は685年以降です。
- 巨勢徳陀に関する資料からは、彼が正一位に相当する大繍であった可能性も考えられます。
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- PENPENMAKKY
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回答No.1
お礼
回答ありがとうございます。 わざわざ調べて下さったとのことで・・・頭が下がります。 「尊卑分脈」の中に描かれていましたか。 巨勢氏って「紀氏」だったのですね。 初めて知りました。 で、「続日本紀」では「大繍」、 「公卿補任」では「大紫」となっているのですね。 「大繍」は後の正二位相当、 「大紫」は後の正三位相当ですか。 うーん、そうすると、巨勢徳陀の正一位叙位はなかったと思われますね。 おそらくウィキペディアは「尊卑分脈」の記述から巨勢徳陀正一位としたのでしょうね。 「大織」の冠位は後の正一位相当なのですね。 なんでも7世紀から8世紀に生前に一位が与えられた者はいなかったということです。 鎌足の子の藤原不比等と石上麻呂が死後に一位となったそうです。 丁寧な説明をありがとうございました。 感謝いたします。